宮田文化庁長官に失望

 立て続けに襲ってきた台風や豪雨のおかげで、というと語弊がありますが、ここのところやっと表現の不自由展の話題が収まってきたようです。
 
 その終わりがけに襲われた大きな絶望が、一旦決めた助成金の交付を打ち切った文化庁の長官が、元芸大学長の宮田亮平だったこと。
 
 彼はかれこれ十年前にNHKの探検爆問という番組に登場し、あのピント外れの活弁を得意とする太田に対してびしばしダメ出ししていたのが非常に印象的でした。 あぁ、こういう権力から少し遠いところにいるような人が学長になるのが東京芸大の魅力なのか、と正直かなり感銘を受けたのを覚えています。 その興奮は十年前に書いた自分の文章でも明らかです。(二回も書いているし
 
 ところが先日のある朝、チコちゃんに叱られる!の再放送を見てたら、全く別のネタで久々のNHK登場。 そして肩書きは文化庁長官。
 
 「え?え?え?」

 ということは今回の不自由展の助成金打ち切りの責任者?
 
 いやぁ、はっきり言って文化庁長官とか大臣とか、国にとって大して重要ではないポストとはいえ、明らか政権の右翼思想の言いなりになるとは。
 
 天下の東京芸大学長経験者でしょ? そして自身も表現者。
 「は?表現の自由でしょ。 事前検閲はいかなる場合でも忌避されるべき。」
 とか、あんたが言わねば誰が言うねん! ボーッと生きてんじゃないよ!
 
 国会に引っ張り出されての答弁では、表現の内容云々ではなく、申請手続きの齟齬だった、とまるで対韓国の貿易手続きに名を借りた経済制裁みたいな言い訳してたけど、見てて悲しくなりました。
 
 東京芸大学長から文化庁長官、その先に何を目指しているのか知る由もありませんが、ひさびさに大人って汚い生き物だなぁ、と落胆したわたしでした。

| | コメント (0)

2019年前期の放送大学

Ouj19f

 今年前期の放送大学は下記の三科目を観ています。
 
 ・食と健康
 ・Webの仕組みと応用('19)
 ・計算の科学と手引き
 
 「食と健康」はいわば栄養学です。
 小さい頃からの食生活、その後の溢れるような情報によって、あれは実は体に悪いとか、何々は止めて全部あれこれにしろ、だとか、はて?本当はどうなんだろう?と思うことがよくあります。
 多分それは、自分が老境に向かおうとしているのに加え、ここ数年ずっと夕食を自分で作っているせいもあると思います。
 カリキュラムの内容は、「タンパク質をしっかり摂って野菜も忘れず」的なものかと思ったら、さすが専門過程。 「栄養というのはそもそもは化学ですから」といきなり化学式の基礎から始まりました。
 うん、でもやっぱりすごく為になりますよ。 歳をとるほど肉を食え、と近年よく言われていることについても非常に論理的かつ明快に説明してくれています。 アミノ酸スコアなんてのは生まれて初めて知りましたが、これがとても印象的でした。

 な〜んとなく自炊を始めて、それが長くなってきた人には必見かと。

 「Webの仕組みと応用」は、初回を見た時、あれ?これ一度見たことがある、と思い調べて見たら、担当教員もそのままで2019年版としてリメイクされたバージョンでした。
 Webについて、一応一通り知っているつもりでも、実は怪しい部分があったり、ここ数年の動きの新しい技術を正しく知らなかったりというのが、特にこの世界は目立ちます。
 例えば、先日アップルも参入を表明したシングルサインオンも、利用してはいるものの仕組みは知らなかったりするので非常に実利的です。
 高校の情報授業でこの辺りを教員がつらつら説明するより、これをずっと流してた方が良いかもしれません。

 な〜んとなく自己流でWeb制作に絡み、気がつけば長くなってきた人には必見かと。

 「計算の科学と手引き」、これは時々ある、自分で選んでおきながらさっぱりわからないという自虐的な内容だろうと思っていたら、どうやらコンピューターのプログラミングを意識した内容であることを知って、俄然興味が湧いてきました。
 アルゴリズムの説明では、今更ながら、あぁそうかだからああいう場合は配列を使うのか、とか、高校の時には何のために存在するか分からなかったlog対数が計算の効率化のために役立つこととか、クソなアプリしか組めない私には非常に参考になります。

 な〜んとなく自己流でプログラムを学び、気がつけば新しい言語に付いてゆけない人には必見かと。
 
 例によって、夏休みには一挙放送がありますので、もしご興味がおありの方はぜひどうぞ。

| | コメント (0)

娘がカナダに行った

Canada

 昨日、娘が半年の語学留学でカナダに旅立ちました。
 伊丹から成田経由だったので見送りに行かなかったせいもあって、いまひとつ送り出した実感がありません。

 いえ、上の息子のスペイン留学と同じく、親は金を出しておりません。
 とはいえ兄のようにキャバクラのボーイで荒稼ぎするわけにはゆきませんので(キャバクラのキャストになるほどの器量はない)、普通に昼と終電までのレストランのバイトがメインで、何より彼女は大学合格時に義祖父から何十万円もの祝いを貰っているので、それを元にしたようです。
 いやぁ、兄弟揃ってしっかりしていると言うか、親が頼りにされていないと言うか。

 息子が非英語圏に出たのに対し、英語圏のカナダを選んだことに、外国語イコール英語の昭和に育った私としては正直安心感はあります。
 半年程度の留学では今時履歴書上ではあまりメリットはないし、その程度の英語力が飛び抜けた社会人へのパスポートになる時代ではないのは当たり前としても、言語という人の思考の柱になるものが異なる世界があるということを一定期間体感できることは、非常に重要であるはずです。
 いやまぁ、子供たちが少し羨ましいな、とも。
 
Serching もちろん女性であることも含めて心配がないわけではありませんが、そこは時代。 iPhoneの「友達を探す」に登録しておけばネットーワークさえあれば世界のどこにいても所在が地図で示される安心。 これって息子の時にはなかったなぁ。 たった7年前なのに。
 
 息子が小さい商社にまともに就職できたことを考えると、娘もまぁ、まっとうな人生を歩んでくれるんじゃないかと漠然と思ってるんだけど、いや、何が起こるかわかったもんじゃないか...
  
 ところで、息子も娘もいなくなった家にほぼ同年代のおばさんが住み着いているんだけど、この人誰だったっけ。 思春期症候群みたいに完全に存在が見えなくなったらいいのに...

| | コメント (0)

大学は教育機関では無いのか

 読売新聞に、「大学近くの路上喫煙増加、住民苦情で喫煙所存続」という記事が。
 
 構内を禁煙にすると外で学生がタバコを吸って苦情がくる。 だから一旦撤去した喫煙所を再開する、あるいは維持する。
 私の認識に間違いがなければ、大学って教育機関じゃなかったでしょうか。
 
 はっきり言って路上など公衆の場所での喫煙率はその場所の民度を示しています。
 今、仕事で通っている場所の一つは、歩きタバコはごく当たり前、路上には吸い殻が目立ち、昼の(灰皿の無い)コンビニ玄関横には若者ではなく、老労働者がカップラーメンの空き容器を灰皿に、座り込んでタバコを吸っている。 夕方には作業服に上着を羽織った女性がくわえタバコで家路を急ぐ。 そして彼らが携帯用灰皿を持っているのを見たことがありません。
 これらの大学はそういう民度レベルに卒業生を送り出そうとしているのでしょうか。
 
 一応どの大学も、教育方針やパンフレットなどに「未来を担う社会人を養成」「時代を読む力」みたいな文言を盛り込んでいるはずです。 そう、未来は明らかに無煙化に向かっています。
 嗜好品だからとか、個人の自由というのを言い争うつもりはありません。 ただ、間違いなく禁煙、減煙が明らかな未来に若者を送り出す教育機関が、このような阿片窟のような退廃的措置でごまかすのは如何なものかと。
 
 実はこれはどのポスト高校教育機関でも似たような問題を抱えていて、私が長年世話になっている専門学校でも同じ苦情が学校に来ます。 それに対し、学校側は特に苦情情報が多い時間に教職員が交代で学校周辺をパトロールすることで対処しています。
 とはいえ、構内に於いては義務であるネームカードを隠してしまえば本学の学生かどうか見た目で確定するのは難しく、ネームカード義務がなく、学生数が多い大学などではなおさらでしょう。

 が、逆に学生が多い、つまりは営業規模が大きいことを考えれば、行政と協力して大学周辺を全て路上喫煙禁止区域に指定し、理想は大学と地域、それが難しければ大学側が経費を負担して巡回員を雇う、あるいは学内アルバイトを用意し、周辺を巡回、路上喫煙者に注意を喚起するという解決策があります。
 まさか学生の路上喫煙に苦情を言う周辺住民が(学生だけに限らない)路上禁煙化に対して反対できるわけもなく、そうすれば周辺喫煙者が該当大学の学生かどうかの判別問題に煩わされることはありません。

 とかいうと、近視眼的愛煙者は眉間にしわを寄せるのでしょうが、近未来社会は確実に無煙化・無臭化に向かっています。 そんな未来を指し示し、社会に送り出す準備をさせるのが教育機関だと改めて思い起こしてみてください。
 
 タバコなんて禁煙外来で簡単に止められます。 経験者曰く

Smoker

| | コメント (0)

国分というアニメの教師が偉大

 もう十年以上前、理想とする男性像はパトレイバーの後藤課長でした。 そのうち歳を取って、老年期には攻殻機動隊の荒巻で、とここまで生きてきました。(あ、実写版の荒巻はクソです。あくまでアニメ版の方)
 
 そんな中、最近新たに「こいつ格好エエ...」と唖然とするおっさんを発見。
 それは「三月のライオン」の二期に登場する国分という教師。
 この作品、本来は将棋がテーマなんだけど、将棋に全く疎遠な私でも十分楽しめる、様々な人模様を現した傑作です。 その一つが中学でのイジメ。 最も生徒が頼りにするはずの担任すら「面倒を起こさないでちょうだい」と逃げる中で、最終的に登場したのがこの学年主任なんだけど、こいつがブレない。

Kokubu

 風体ははっきり言ってダサくて、下手するとヒール役でもいいくらいのアピアランス。 が、この独断と偏見に満ちた私ですら、生徒の気持ちを慮りすぎて言葉に詰まったり濁らせたりすることが多い昨今、この国分は迷いがない。

 いじめの張本人の親が、「うちの娘がいじめたという証拠があるんですか?」と自信たっぷりに詰め寄るのに対し、「証拠?そんなものはありませんよ」と突っぱねる。 「強いて言うなら、いじめられたという生徒のSOSが証拠です」と続け、これに対して「証拠もないのに!」と居丈高に攻める母親に、「じゃ、おたくの娘さんがいじめていないという証拠があるんですか?」と切り返す。
 
 かっけえ〜〜〜
 証拠がないからとのらりくらり逃げまくる、どこかの国の政治家や官僚エリートに見せてやりたい。
 
 まぁ、これだけだとフィクションに有り勝ちな勧善懲悪で終わるんだけど、その後、謝ったんだからもういいでしょ、と開き直るいじめた生徒を呼び出しての個人懇談。
 「先生に私の気持ちなんてわからないよ」
 そうそう、これね。 一見心情の吐露に見えるんだけど、単なる必勝セリフ。 ところがこの教師、
 「うん、だから今聴いてるんだよ。話そうぜっ」
 と切り返して王手。

 いじめた側を単に悪者として突き放すのではなく、指導も忘れない。 しかし相手の甘っちょろい話法に一切ブレない。
 揺るぎないのである。 

 非常勤とはいえ、二十年以上も教職を続けていると、時に何かを悟ったような気持ちになることがあります。 しかしそれは時に危険なことで、より学生の側に立った判断を心がけねば、とも戒めるようにもしています。
 ただ、それはともすれば切れ味の鋭い判断と言葉を鈍らせ、結果として相手に通じないことも経験しています。 そんな中で見たこの学年主任の迷いのなさ。
 
 う〜む、知り合いが徐々に定年だ、早期退職だと言い出す歳になっても、まだ目指せる理想像に出会えたのは嬉しいし、だからアニメ(というが原作は漫画だけど)はやめられない、というわけです。
 
 てなわけで、年齢順に並べ替えると、後藤→国分→荒巻、ということで...
 
※引用:NHK 三月のライオン二期 13話

| | コメント (0)

外国語で授業に参加すると頭が悪くなった気がする

 「外国語で授業に参加すると頭が悪くなった気がする」の続きでしたね。
 考えてみると、この放送大学の認知心理学で、この最終回のみちょっと異色というか、なんでそれを?という気がしないでもありませんでした。 つまり、担当教授がずっと考えていた持論を最後に入れたとも取れます。
 つまりは、それだけ日本人の思考と語学を専門の立場から常々考えられ続けていた、と。
 
 結論から言うと、国家や企業の一大事に関わるような交渉の場に母国語以外で挑むのなら、専門の通訳をつけろ、ということでした。
 誤解して欲しく無いのは、これは非常に高いレベルの話です。 なんだ、やっぱり英語の勉強なんていらないんだ、と短絡するものではありません。
 むしろ、そんな責任重大な場所に参加できる人であるからには、それなりの教育を受け、それを理解できる頭脳を持っているはずです。 にもかからず、交渉の場で母国語以外の理解に脳力を割かれるのは、時に国や企業の存続を脅かすほどのミスに繋がる可能性がある、つまりそれだけ母国語以外での思考は、本来の思考脳力を妨げる、という主張です。

 んで、これには補足があって、例えばドイツ人は英語で高度な授業や交渉ごとに参加するのはそれほど苦ではなく、これは客観的な調査でも証明されています。 つまりは母国語の言語系が何に属するかが非常に重要となります。
 いわゆる英語系と言うか、ラテン語諸群は文法や単語に共通項が多数あります。 だから欧米によくいる、数カ国語ペラペラというのは、その内容が同系統の言語であれば、それは我々、どの言語系にも属さない日本語を母国語にしている立場から想像するほどすごいことでは無いと言うのは、最近ではよく理解されているところです。
 その客観的観察手法によれば、日本語が英語を理解して思考するには言語系が全く異なるために、相当な思考力が割かれると言うことで、であれば、非常に重要な交渉ごとの席では通訳をつけろ、という担当教授の主張は非常に説得力がありました。
 
 んで、この方、東大の教授でもありますから、そのレベルの人々のこだわりもよくご存知で、そんな重要な席に挑むのに通訳使うのか?大丈夫か、こいつ、という他からの目、そして何より当事者のプライドにも触れられています。 ならばいっそ、異国語での交渉ごとには通訳をつけるのを規則で定めてしまえばいい、という提言も付け加えてられており、逆にそれだけ、専門の立場から見た、言語系統の違う外国語思考の難しさを改めて考えさせられた講義でした。
 
 再度付け加えておきますが、観光や日常生活、民間外交なんて話をしているのではありません。 日本語の言語系が特殊ゆえに、英語に限らず他の言語に学び、親しむことは非常に重要です。 が、たまに言語学校のコピーにある「外国語で思考できるほどの語学力」ってのには私はもともと疑念を抱いており、それだけの努力を惜しまず、成就するだけの脳力があるのなら、母国語でさらなる専門分野の力を伸ばしたほうがいいのでは?と改めて思うようになりました。
 
 あ、この認知心理学の授業、2018年の1学期にも組み込まれているようですので、興味のある方は是非ご覧ください。
 
 いや、脳って面白いのよ、実際。

| | コメント (1)

2017 2学期の放送大学「認知心理学」

 ここ二年ほど、学校の行き帰りに放送大学を聴いています。
 これまで二十本近くのコンテンツを勉強させていただいた中、先に終わった2017年2学期の「認知心理学」と「認知神経科学」が異常なほど面白かったので報告しておきます。
 
 認知、とつくとすぐに認知症を思いつく人が多いと思います。 が、今時は我々の時代の心理学というのが認知心理学という名前になっている、と認識して良いようです。
 非常勤ながら講師として専門学校で長年生徒を教えていると、はて、そもそも「教える」ということはどういうことなんだろう、と考えることがあります。
 もちろんそれは他人の脳に働きかけ続け、私のようにグラフィックデザインをパソコン操作を通じて教えていると、手を動かした作業も伝えることになります。 さて、それらは他人の脳の中でどう根付き、どう生かされるのか、あるいは残念ながら忘れ去られるのか。
 
 そういうともすれば禅問答的な泥沼に陥りそうな疑問を、最新の科学で解き明かしてくれるのがこの二つの講義でした。
 前者はより概念的に、後者はより生物学的なアプローチで、共に別の講座ながらたまたま同時期に放送されたことにより、ほぼ同じ項目を別の視点から補強し合うという非常に密度の高い時間となりました。
 
 全15回、二つ合わせて30回の内容をまとめるのはとても無理ながら、私なりに新たに得た結論というか仮説は、やはり日本語教育は非常に重要だということ。

 曰く、人の記憶というのはコーヒーの中に溶け込んだミルクのように、最終的にはどろどろに溶けた概念となってしまい、一つ一つはもう形としては存在してないそうです。 ただ、そうなればこそ我々は様々な形と時間から記憶を呼び戻し、それを複数組み立てて思考として完成させるようです。
 
 そのためには宣言記憶という主に言葉主体で、そして手続記憶という主に行動で脳に体験させ、それらが合わさって、長期記憶となることを知りました。
 これを私の授業に当てはめると、専門学校ゆえの実習(手を動かしてアプリケーションを駆使)は当たり前として、それを「体で覚えろ」という昔ながらの徒弟制度の掟で終わるのではなく、正しい言葉で説明することも同時に行わねばならないと見出せます。

 例えば、アプリケーションの操作をするとき、非常によく覚えている機能を利用する場合を除けば、「確かこうしたはず...」と手を動かし、アプリケーション内をさまよいます。 これは行動が主な手続記憶。
 そして「確か色調補正というメニューがあって、その中のレベル補正...」と探すのは言葉であり、宣言記憶を頼りにしているわけです。
 そのとき、言葉が曖昧で、「この辺のこれを適当にこうすれば...」と教えていると、生徒は手探りである手続記憶を忘れてしまうと、もう二度と目当ての機能にたどり着けなくなってしまいます。
 これは教育の、というと大げさなら、一つのレクチャーの失敗となります。

 ということで、日本人であれば母語である日本語でちゃんと教師は教えなくてはならないし、教えられる側も正しい日本語を理解しなければ記憶、ひいては知識や知恵は発達しない、ということを論理的・科学的に教えてもらった気がします。
 
 え?ということは最近はやりの「英語で物が考えられる」「小学校からの英語教育」ってどうよ?って話? という興味を持たれた方、奇しくも認知心理学の最終回では、外国語での学習、つまり留学について非常に興味深い内容に触れられていました。

 触りだけ言うと、30年前に米コーネル大学に留学して学位を取った東大名誉教授ですら、「外国語で授業に参加すると頭が悪くなった気がする」という感想を持った、という非常に興味深い内容だったのですが、あ、長くなった。
 続きはまた今度...

| | コメント (0)

グループ対抗webアプリをscratchで

 色々な都合でG/W中にも授業があり、時間割も変則的、いつもなら広告専攻とweb専攻で分かれている生徒達を一つにまとめて面倒を見なくてはならなくならず、どうせなら何か面白いことができないかと画策。
 
 二コースともにDTP検定に向けての授業を持っているのですが、この合格率がこのところ横ばい。 それについて特に上からああだこうだとは言われないものの、良いことではありません。
 その対策として、座学だけではなく、小テストなどをもっと小刻みに挟まねばならないね、とは話し合っているんだけど、作るのも、実施するのも、採点するのも結構大変で、なかなか時間が取れません。

 そこで、たまたま二クラスを一つの教室に収めたのを機会に、プロジェクターで検定の過去問を投影、正解した生徒に挙手をさせて両コースで競わせようと考えました。
 ところが、両コースで生徒数が違い、単純な正解者数だけで優劣をつけるわけには行きませんから、生徒数で割った正解率と比較することになります。 となると、計算が必要となる。 ならば、とこういうときこそscratchを使って計算、さらに興味づけのために面白おかしき演出を加えた、グループ対抗webアプリを作りました
 
Gyouji スクリプトの大まかな構成は二時間程度で、さらにブラッシュアップとスプライトの絵、音などでさらに時間はかかったものの、やっぱり学生はゲーム世代ですね。 こういう単純な仕掛けでも昼休みを挟んだ眠たい時間だったにもかかわらず、結構楽しそうにワイワイ楽しんでくれました。

 以前にも授業用としてscratchで本読み用乱数呼び出しアプリってのを作って、それはそれで今でも自分の授業で愛用してます。 ただし、今回のは当然ながら変数が必要で、その入出力、if文による比較判定など、初歩のプログラミング要素だけで実用的なアプリが完成しました。 こういうのはホント、子供向けのプログラミング授業に丁度良い感じのクエストでもありますね。

 今、人材サービス会社のテレビCMにS.ウォズニアックが出てるけど、彼がApple創始者の一人として得た莫大な利益を子供向けの教育に腐心し、なぜだかいつも楽しそうにしている姿が思い浮かびます。

| | コメント (0)

知恵の浅さに絶望する

 神宮外苑での展示物火災、全ての真実を知る立場にはありませんが、学生がおがくずの上に高出力の白熱灯を置いたという行動に驚きを隠せません。
 
 当事者が少なくとも理系の大学生である限り、中高の基礎的な学習を通じて、白熱灯はフィラメントを熱して光を出すことは理解していただろうし、燃焼の基礎も学習していたはずです。 また当人のみならず、周囲の誰もそれを止めなかったということに、関係者の知恵の浅さを感じざるをえません。

 別の視線から見ると、子供の頃から家の白熱電灯に触ったことがない、そもそも家に白熱灯がなく、その輻射熱を感じたこともなければ、当然点灯で高熱になった電球に触れたこともないという時代背景も影響したのかもしれません。
 しかし実在する全ての危険に対し、体験しなければ対処できないというのも、これまたあまりに低次元の話で、それを補うために教育があって、おかげで我々は数々の事故や病気から身を守っているわけです。

 また、当事者たちは悪意をもって今回の行動をしたわけではないだろうという想像がさらに虚しさを拡大します。 たぶん周囲が暗くなっても子供達がまだ遊んでいる、危ないからもっと明るくしてやろう、という優しさが行動の発端なんじゃないかと思います。 それが仇になったと。
 
 この遺憾はなんなんだろうとしばらく考えていたら、サマーウォーズというアニメが頭に浮かびました。 この中で、主人公がサイバー世界を襲う悪者をほぼ退治しかけた時、突然のコンピューターダウンでピンチに見舞われるシーンがあります。
 原因はアホ役のヤンキーが、「死んだバァちゃんが暑くてかわいそうだ」と、攻撃用コンピューターを冷却していた氷柱を、祖母の亡骸横に勝手に移動したことでした。
 
 この行動をバカと呼ぶのは簡単ながら、根本は人を思う優しさであったわけです。 もしこのヤンキーに少しでも知恵があればとっくに悪役退治は終わっていました。 もちろんこれは物語中の演出であり、それでは話は盛り上がらなかったのですが、現実にこのバカが起こると、親の目の前で子が生きながら焼かれるという地獄を創出してしまうのです。

 そして何よりも当事者たちが田舎の浅学ヤンキーではなく、れっきとした理系大学生だったことに一種の教育の絶望を見てしまった私なのです。

| | コメント (0)

二回目の学生作品集出版

Illustbook
 二年前に初制作した学生の自費作品集の二巻目が完成しました。
 プロデュースした身としては、初号から毎年継続して行きたかったんだけど、残念ながらあまり盛り上がらず、昨年は未発行に終わりました。 個人的に今年改めてプッシュすることもなく、ほとんど忘れていました。
 
 そしたら夏前に二年生の絵の上手い連中が教室に置いてあるそれを見つけ(彼らは初号発行の時には学校にいなかった)、今年は発行しないのか、と訊いてきました。 いやぁ、盛り上がらなくてと答えたら、少なくとも私たちは参加します、と三名が参加表明。
 確かに三名いれば表1,表4あわせて8ページ完成するなぁ、と再び腰をあげることに。

 ところがこの話を一年生にしたら、思ったより絵を描くのが好きな生徒が多く、幸いなことに結局合計14名が参加することになって、もちろんこれは二年前の初号より多い数です。
 これは頑張らなくちゃね、と忘れ去られていたwebページに手を入れて、トップの絵も改めて学生に頼んで描いてもらって、PHPとかデータベースの点検も開始。 依頼するオンデマンド印刷の料金もデータベースに入力した時のままで、思ったより手がかからなかったのも幸いでした。

 表紙の絵を依頼した学生は実は留学生で、いろいろあったのか、この絵を描き上げると同時に突然帰国。 今までうちの学生に無かったタッチだったので惜しい。
 その表紙絵を邪魔しないように私が文字を入れて、全員のデータチェックを終えて、はたと気づいたのがページ数。 参加者14名は偶数で何となくキリが良いと思い込んでいたのか、これに表1,表4加えたら30ページ、物理的には32ページになるので2ページが白紙となってしまいます。

 これはえらいことですがな、今更誰かに頼むわけにもいかないし、と仕方ないので、あっちのblogで二年前まで作ってたフライトシミュレータ画像をコラージュすることに。 使い回しなので新鮮感はないし、学生はこれらがいかに作られているかピンときてない様子で、「なんで飛行機の写真が並べられてるの?先生の勝手な趣味?状態。 いや、一応3Dアートとして見てくださいね。 このためにペンタブ買ったくらいなんだから。

 それはさておいても、集まった絵はデジタル/アナログあり、画風も幅があってとても良いものになりました。
 いや、中途半端なイラストレーションコースのある学校より上手いんじゃないか、とか。(こういうことはあまり大きな声で言ってはいけないらしい)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧