我が町の民度を嘆く

 ペットボトルは野放しでいいのかという批判もありつつ、とりあえずスーパー、コンビニを始め、ホームセンターから百均まで一斉にレジ袋が有料となりました。
 というか、私が利用している近所のイオンはもう半年くらい前からレジ袋は有料となっていたので、逆にコンビニや百均で有料と言われてはっとするという感じです。
 
 で、そのイオンで有償化が始まった時、市や環境庁とタイアップしてシェアバッグという制度が始まりました。
 これはその名の通り、無料で利用できるマイバッグで、次回来店するときに決められた場所に返還する、仕事帰りで普段使っているマイバッグを持参できないときにとても便利で重宝していました。 これならレジ袋が廃止されても困らないね、と。
 
 が、ある日この制度が休止され、以来ずっとそのままです。
 新型コロナ騒ぎの前なので消毒がどうとかではなく、しばらく理由がわからなかったのですが、どうやらモノ不足、つまり借りたまま返却されないケースが多くてバッグの数が不足してきたからだとわかりました。
 
 はぁ? ここは中国か。
 
 確かにかなり前、少し知能に問題がありそうな男が離れた場所で完全にマイバッグ化しているのをみたことがあるものの、たぶん公私の区別をつけるのが難しいのでしょう。
 でもそうそうそんな人ばかりではないと思っていたら...
 
 ついこの間、まともでそこそこ品があり、お金もしっかり持っていてそうな夫婦がプリントされている市のゆるキャラも誇らしげに、そのシェアバッグを提げてなんとそのイオンの前を歩いておられました。
 
 はあああああ?
 
 見る限り、多分住む家もあり、子供を育て、もしかすると孫すらいるかもしれないこんな夫婦が普通に生息している我が町。
 
 廃プラ問題以前の民度。
 

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マスクにまつわるこの危機感を伴うモヤモヤへの解答

 こないだ、私一人しかおらず、ビニールで仕切られているバイト先の事務所に関係者がやってきて、後にマスクをしていなかったと指摘が入りました。
 それに対する私の感想。
 
 「あぁ、ここにもアホが」
 
 相も変わらずマスク同調圧力責めの日本。
 幸い私は出会ってはいないものの、最近はマスク警察と呼ばれる人たちがいて、マスクをしていない人を怒鳴ったり、これでも着けとけ、とポケットからくしゃくしゃのマスクを投げつけられたりするんだとか。

 さすがにこんな私でも電車の中では嫌々マスクをしているものの、なんだろなこの気持ちの悪さ、とずっと疑問に思っていました。
 そこで出会ったのが『コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度』というダイアモンドオンラインの文章。

 我々は教科書だったり家族から戦前戦中の検閲や相互監視社会の闇を教えられ、その主体は軍や憲兵でした。 がしかし、それを導くかのような国民レベルの監視社会を「投書階級」が先に築いていたという内容は非常に新鮮な驚きです。
 そしてこの投書階級は言うまでもなく今のネットの告げ口誹謗中傷層と見事に重なります。

 今回のコロナウイルスの被害の大きさは個人主義の信奉度に比例する、という意見を目にしたことがあり、確かに今のところ震源地であるにもかかわらず大感染から免れている中国を思うと納得できます。
 しかしこれは言い換えると「管理されたい」「管理されることを疑問に思わない」「自由なんかいらない」と同意で、とても危険な香りがします。
 
 そんなもやもやを解決してくれたのが上記リンク記事で、ぜひご一読をお勧めします。
 
 かすかな期待は、夏を迎えてマスク装着が原因の熱中症で子供から老人まで満遍なく人が死んでくれることですね。 その事実を前にして科学しない社会とマスコミがどう反応するのかが楽しみです。
 
 
 私のマスク不要論の科学的根拠はここ
 日々感じるマスク圧力への恐怖はここ

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緊急事態宣言下を懐かしむ

 いささか不穏当な題名ですが...
 
 昨日、卒業生が学校に来て、いつもより一時間遅く帰途についたらホームはもういつも通りの混雑。 もちろん私はいつまでもコロナコロナと萎縮するのではなく、さっさと日常に戻れ派なのでこれはこれで望ましいことながら、暖かくなるとありがたくない虫もわいてくるように、嫌な奴も戻ってくるわけです。

 まず呆れたのは小学生。 わざわざJR三ノ宮から芦屋まで通っているので、多分どこか私立の(多分)名門か進学校に通っているはず。
 これが新快速到着直後、二列で十人以上並んでいる列の前に当たり前のように進み出て、「え?」と思ってたら案の定まだ人が降りているのにドア横から割り込んで行った。
 さらに窓際に座ったあと、通路側の席には大きな自分のリュックを置いて「横に座るな」アピール。
 さすがにこのリュックは後から来た大人が促してしぶしぶ膝の上に載せたけど、あぁそうか、緊急事態が終わって通常に戻ってくるということはこういうゴキブリみたいなガキも戻ってくるということかとすごくうっとおしい気分になりました。

 このゴキブリ坊や、たまたまドアを挟んで反対側の列に割り込んだのですが、もし私の前に入っていたら、多分制服の首根っこ掴んで「並べや」ぐらい言ってたと思いますし、最悪警察沙汰くらいにはなったかもしれないので、いやむしろ幸運だったのかも。
 
 さらにその後に寄ったイオン。
 レジ行列は引き続き一定間隔の指示が出てて、みんなもう慣れたかのようにそれに従っています。
 するとリーマンのおっさんがその隙間に何事もなかったかのように割り込んでしゃぁしゃぁと会計を済ましました。
 「え?」と思って本来並んでいた人の顔を見ると意外と何も感じていない様子。
 これももし私の前だったら「おっさん、並べや」と罵ってただろうと思います。 てなことでこれもある意味幸運だったのかも。
 
 つまりは私が不寛容なだけなのか...
 
 かように緊急宣言下でガキもリーマンもいなかった時が今思えば恐怖よりも心落ち着く静かな社会だったのかも、と不謹慎ながら懐かしむ今日この頃です。

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いつのまにか神器に返り咲いたマスク圧力が恐怖

 これまで自粛中の都心には寄りつかなかったので、久々の出勤(登校)で驚いたのがマスク装着率。
 私ははっきりとした根拠があってマスクは受動感染防止に役立たないと信じているし、移動中喋りもしないし咳もくしゃみもしなから能動的感染防止の必要もないわけです。
 そんなことを最初は冷静に伝えるマスコミもあったのに、いつのまにかマストアイテムに返り咲き、まるで感染防止に忠誠を尽くすか否かのインジケーターになっているかのようです。

 久々の新快速。
 いかにものリーマンが通路側の席にカバンを置いて窓際に座っていました。 たまたまそこしか席が空いていなかったので、「すいません」と小さく言ってカバンを除去させて座ったわけです。 するとそのリーマン、私が隣に座ったからか、マスクをしてなかったかわかりませんが、わざとらしく周囲を見渡して、多分他にも空き席があったのでしょう、席を立って行きました。
 まぁ確かに隣同士は密ではあるものの、平行着座だし、見知らぬ安っぽいリーマンと喋ることもなく、もちろん接触することもありません。(んな気色の悪い) 
 あほとちゃうか。 少しは考えろよ。

 さらに驚いたのが帰りに寄った梅田の地下街。
 正式な自粛解除前とはいえそこそこの人出がある中、マスクをしてない人は一人だけしかすれ違いませんでした。 感覚的には100%マスク着用。
 そして百貨店にはマスクをしていないと入店できません。
 
Noenter

 新聞なんかは「手洗い、うがい、そしてマスク」とまたいつのまにかマスクを神器入りさせていますし、別のメディアでは被感染防止には役に立たないが、と書きつつ「思いやり」だと。
 はぁ?思いやり? そんな思いやりが花粉症や体調不良で本当にマスクが必要な人がいるのに市場枯渇させたんじゃないかい?
 
 まぁ、そんなことを主張しても偏屈ジジイの遠吠えにしか聞こえないでしょうし、仮に街中で注意されても論戦する気もありませんから(それこそ口角泡飛ぶわい)、少なくとも電車に乗るときだけは不承不承マスクをしようとは思いますが、なんかこれにみなさん疑問を感じないんでしょうか?
 
 私は正直ファシズム的な恐怖を感じます。
 あまたすれ違う人々のマスクにハーケンクロイツやら大政翼賛会の印がついている幻影に見舞われそうです。 マスクをしていない人は非国民。 売国奴。

 先日、テレビ朝日が取材した医師の発言を番組の趣旨に合うように巧妙に編集した騒ぎがありました。 しかしNHKラジオでも感染症が専門の医師に「マスクも必要ですよね?」と水を向け、「感染した人の飛沫飛散は防げますが、被感染は防げません」と答えが返ってきているのに「でも口の周りを触ってしまうことは防げますよね」とさらにつっこむと、さすがに医師は「まぁそうですね」と部分肯定していましたが、これも聞き様によっては全面肯定につながりかねず、どこのマスコミも似たり寄ったりです。

 唯一マスクでウイルスを通さないN95マスクをつけたまま体育授業を受けた中国の小学生が酸欠で死にましたよね。
 んまに、あほとちゃうか。 もっと考えろよ。

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こんなやつ助けに行くな

 昨日の高齢登山者のことを書いている最中に下記のニュース。
 
 「川崎市の男性、入山禁止の男体山で遭難 防災ヘリで救助
 
 こちらは25歳ということで、先の高齢者とは事情が違う部分があるとはいえ、共通して言いたいことは、そもそも自分の意思で山に入って遭難した者を捜索・救助する必要ってあるんでしょうか、という素朴な疑問。

 捜索隊の二次遭難もありうるし、実際に直接の原因は整備不良だったとはいえ、捜索訓練をしていたヘリコプターが墜落して全員死亡という痛ましい事故もありました。
 亡くなった救助隊の遺族は、仕事だからとは簡単に割り切れないでしょう。
 
 もともと自然は危険と隣り合わせ。 皆さん、そんなこと知り尽くしていると豪語します。
 なのに先日遭難死した80歳の高齢者は、山の麓近くで仲間と別れた後に道に迷って遭難しています。 あるいは白内障緑内障のせいで薄暮に視力を奪われたか。
 そんな状態で、しかも自粛が叫ばれている中で山に登る判断力。 
 そして入山禁止を無視して山に入るバカ。

 なんであれ入山前に「死して屍探す必要無し」の書類に認印を押させましょう。
 あるいは法律で「自身の意思で山に入られた方の救助要請はお断り」とデフォルト宣言すれば良い。
  
 そこまでして登った山で死ぬなら本望というもの。 
 すぐに鳥や獣が肉を食いつくし、一年もすれば寄生虫と微生物が綺麗に骨まで舐め尽くしてくれるでしょうから、忙しい火葬場の手を煩わせることもありません。
 バッグの保存食や電池は他の遭難者の役に立てるかもしれませんし、実際エベレストクラスの遭難者はそういう扱いをされているそうです。
 素晴らしい。 まさに山を愛するものの鏡。

 冒頭のニュース。 こんなやつ助けに行く必要ない。 勝手に死んどけ。

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その37.5度という絶対指定も止めんかね?

 そろそろコロナ以外のネタもたまってきたのでこれでひとまず区切りとしましょうか。
 
 隔離や検査の基準として体温が37.5度以上という指針が定着しています。 ところがね、これが憂鬱のネタである人もいるというお話。
 
 それは私のことで、平温が35.5度。 小学校の健康診断の時、自分で測った体温を申告するたびに、ふざけてるのか!ちゃんと測れ!と怒られ続けてきました。
 友達の多くは36.5度以上で、たまに37度以上の子もいました。
 その頃はそのうち成長と共に上がっていくんだろうと思っていましたが、以後そのまま。

 今改めてネットを見ると、健康な人間は大方36.7,8度くらいが平温でアナログ体温計の37が赤字になっているのもそのせいなんだとか。 ということは昨今の37.5度指示は平温+0.5度を意味しているのですね。
 
 だったらそれでいいじゃんか。
 「平温+0.5度の方」とかで。

 平温が35.5度と36.5度、たった1度というなかれ、私が37.5度を記録したら2度も上昇しているということで、ダメージも違います。
 逆に、平温が37度を超えている人は、空港やら大規模施設のサーモグラフィーで無駄に引っかかって、その度に説明が面倒なんじゃないかとも想像します。

 ところでこの体温、ネットによると低い人は免疫も運動能力も弱いらしい。 そりゃやだな。
 代謝熱量も低いでしょうから、あ、だから太りやすい体質ってことなのか。 それもやだな。

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やっぱパニックはマスコミが一端支えてるだろ

 マスクにしろトイレットペーパーにせよ、そして過剰な自粛もみんなマスコミがしかけたようなもんでしょ、という指摘が古市憲寿をはじめとしてあがっています。
 私も、「国民がバカである」ということを前提に、でもその国民をパニックに導いているのはマスコミだと思います。
 
 今回のサニターリー系不足の騒ぎでよく枕詞で使われたのが、SNSやらネット時代という言葉。 つまりは伝わる速度が昔と違う、と言いたいのでしょう。
 いやいや、騙されてはいけません。五十年前のトイレットペーパー買占め騒動、あの時ネットありましたか? 携帯で繋がっていましたか? んなもん、行ったこともないところでの事件やら現象はみんな放送や新聞で知ったのです。 
 マスコミはネット情報はデマが多いとか偉そうに言ってますが、むしろネットには古市やホリエモンや私のような嫌われ者、もといひねくれ者も必ずいて、少数ながらも大きな流れに対して異論を挟んだり背を向けたりする存在がいます。
 
 が、マスコミは本能的に人が知りたいことを優先的に知らせます。
 私はマスコミが嘘を言ったとは言いません。 確かに日本のどこかでトイレットペーパーやらマスクは大量の買い物によって品薄になっている。 それを知らせるな、というのはともすれば愚民政策であり、これが冒頭「国民がバカである」の所以です。
 ただ、初期において、不足を報じると同時に製造や流通を取材し、「でも安心してね、潤沢にあるんだからね」と言わなかったケースがほとんどでしょう。

 患者数の増加にしてもそう。
 少なくとも一昨日Yahoo!ニュースに掲載されていた日テレと朝日デジタルの記事は、増加数だけを報じていました。 もちろんこれも嘘ではありません。
 ただ、NHKは症状が回復した人も伝えています。 つまり陰陽ちゃんと告げています。

 これによると千人超えた、との大騒ぎの中、死者はたったの3%、クルーズ船感染も含めれば2%。
 そして改善して退院したのは25%と44%と、すでに1/4から1/3以上がが回復してるわけで、千人を超えたというのはある意味正しくない表現だということがわかります。
 
 でもこのNHKでさえ、初期の頃には「手洗いやうがい、マスクで自衛してください」とはっきりと何度も言い切ってたもんなぁ。
 
 でもこれでマスコミが全て悪いとは言えないのが情けないところ。
 調査によれば、今回の買い占めに走った人曰く、デマであるとわかってはいたけどやっぱり買っておかないと思って行動した、という声が少なくなかったそうです。
 つまり、いくらネットやマスコミが表裏併せて知らせていたとしてもパニックは起こることを証明したのです。
 これじゃ「国民はみんなバカだから真実は伝えても判断できない。都合の悪いことはみんな黙っておけ」という情報操作、報道管制をわざわざ認めるようなものです。
 
 「あんた、大変や。 トイレットペーパーとかマスクとかなくなんねんて! あした車出して! ホームセンターで買わんとあかん。 ぎょうさん買うといたらええねん、腐るもんやないねんからな」 

 関東大震災の在日暴動デマと一緒。 何も変わっとらん。 もっと考えろ。 科学しろ。 義務教育終えてるんやろ。
 
 ウォシュレットあるんとちゃうんか! おばはん、そんなに元気やねんからマスク要らんわ。 花粉症のやつに譲ってやれ

 と叫んでみたくもなるけど、ほとんど問題外の子供と学生を対象とした説明なしの休校布告総理大臣だもんな。 兵庫へ行くな、兵庫から来るな、っていう知事だもんな。

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感染者の情報はどれくらい集まっているのだろう

 イタリアの感染死者数が中国を上回ったとか、日本の感染者が千人を超えたとか相変わらず日々のマスコミは大騒ぎ。

 で思うのは、重症や死亡した人の情報ってどれくらい集められているのだろうという疑問です。
 言われているように、重体や死亡に繋がる感染者の多くは高齢者、高血圧、心臓、糖尿、呼吸器系やガンなどの持病があると言われています。
 こういうのを集めて積み上げてこそ人がパニックにならなくて済む正しい判断ができるわけですが、気になるのは死亡者が出た時に遺族の希望で詳細が明かされないケースが複数あること。
 これが単にマスコミにだけであれば良いのですが、医療機関に詳しい情報が渡っているのか不安になります。

 あと、喫煙についてですね。 
 今回の新型コロナのようなウイルス感染で死に至るケースは間質性肺炎が主体であると、神奈川県立循環器呼吸器病センターの医師も語っています。 この間質性肺炎が慢性になったのがCOPD、いわゆるタバコ肺。
 もともと喫煙者(かつて吸っていた者も含む)の肺は大なり小なりCOPD化しており、それがコロナウイルスで一気に進むわけですから、喫煙者であるかどうかは非常に重要な情報なのです。
 逆に全くタバコを吸わなかった人にとっては、いくばくかの安心材料となります。

 このCOPD、なんで起こるかというのを放送大学のコンテンツで解説されておりました。
 肺に残留したタールは当然異物として認識され、免疫が無効化してくれます。 主役の白血球が異物にタンパク質の一種をかけて溶解させるのですが、タールは細菌やウイルスのような生物ではないのでなかなか消滅しません。 だから白血球はさらにどんどんタンパク質をぶつけ続けます。 それがやがて本来侵してはいけない肺胞や血管組織も溶かしてしまい、硬化、壊死してガス交換能力を失います。 だから重症患者には人工呼吸器が必要となるわけです。
 生憎この部分は再生はしないため、これが先にかつて喫煙をしていたという人も大なり小なりCOPDの傾向を持つ、という所以です。

 当然免疫機能はこの新型ウイルスにも果敢に挑戦するはずで、結果としてすでに弱っている肺がその免疫攻撃に耐えられなくなってしまうって図も考えられます。 つまり免疫万能論も危険であると。 だからそこに至るまでに無害化する、そもそも触れないって当たり前の結論になるんですが。

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マスク騒動、もっと科学しようや

 未だマスクが不足しているようですが、ここではっきりさせておきたいのが、ウイルスの大きさ。
 それは0.1μ(ミクロン/マイクロ)。 千分の1ミリメートル。 一般的な生活用マスクの網目の大きさは10μ。 ウイルスの100倍の大きな穴。 みんな素通り。
 光学顕微鏡しかなかった時代、野口英世が黄熱病ウイルスの存在を知ることなく死んでしまった理屈と同じです。 単純に物理的な大きさの問題。

 

 マスク推奨派の根拠としてよく用いられるN95規格マスクの場合は0.075μ。
 確かにこれならウイルスを食い止められると言えますが、これは手術時の医師が数時間の使用を前提に作られたもので、一般人が日中ずっとつけていられるものではありません。 また仮につけていられたとしても、喉の渇きを癒すためにふとずらしてお茶を飲んだらそれで顔についたウイルスなどがマスク内に移ってパー。

 

 だぁかぁらぁ。
 マスクは風邪やインフル、最悪新型コロナにかかっている人、そして花粉症の人、つまり咳やくしゃみが止まらずに様々な飛散物を止めるためには必須なのであって、ウイルス予防には役に立たない、というのをなぜ理解しようとしない?
 
 なのに私の関係しているガソリンスタンドの経営元は、毎日全従業員に一枚づつマスクが行き渡るようにし、ご丁寧にも毎朝残数を報告させて全員がちゃんと着用しているかを確認しています。 そのための枚数を会社あげて確保しているとの一文も。
 は? ガソリンスタンド?。 職場は広々とした屋外で吹きっさらし。 消防法により建屋内の部屋は常時換気が義務付け。 ましてや夜の監視なんて客と接する機会はゼロ。
 通勤途中や生活圏はともかく、職場で感染する可能性は限りなく低い。 が、使わないと責められるので、マスク否定派の私は毎日未使用のマスクを持ち帰っているだけという不可思議さ。 これ、他に本当に必要としている人いるんだろうに。
 
 もっと科学しようよ。>日本の社会
 
 一方で花粉は逆にすごく大きくて、30〜40μ。 つまり普通のマスクでも十分防げます。
 マスコミは新型コロナのことばかり報じているますが、例年この時期、ニュースがないときに必ず扱われている花粉症の人こそむしろ良い迷惑でしょう。 役にも立たない新型コロナ予防より、むしろ確実に効果のある花粉症患者にもっと優先的に回すべきです。

 

 なぜそれを言わない?>科学しない政府

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感染弱者の高齢者は食品スーパーに集う

 連日、無神経で非常識な若者が集うライブハウスがいかにもクラスターの発生源みたいな報道が続いていますが、私の生活圏ではスーパーの食品売り場が最も危険なんじゃないかと感じています。
 
 我が家のそばには中高年、特に一度にある程度買い置きしてそれを工夫して使い切る、いわゆる昔ながらの炊事をする高齢者が好む地域独立系スーパーがあります。
 二日ほど前、そこに寄ってみたところ、いるわいるわ高齢者の婆さんたちや、中年後半の主婦達が多数、狭い通路でカートを押し押しあれこれ品定めをしていました。
 
 別に(レジ担当者を除いて)対面しているわけでもないし、話をしているわけでもないので濃厚じゃないでしょ?と思われがちですが、ちょっと待ってください。 中高年の買い物の仕方の特徴を知っていますか?
 商品パックをいちいち手にとってそれを(多数の人は棚に半ば放り投げ戻す)戻してはまた別のパックを手に取る品定めの習慣。
 中には原材料やアレルギー物質などのチェックが必須の人もいるとはいえ、半日や一日賞味期限が古くても死にやしないのに、棚の奥の最も新しいと信じているパックを取るまで次々とその前のパックを移動させています。
 それはつまり手から手への濃厚接触に他なりません。

 とはいえこの巣篭もり要請の昨今、さらに子供や孫が休校で家にいる、預けられているとなおさら食料を切らすわけにはいきません。 となるとこの食料品買いは生きるために欠かせないわけで、学校やらイベントを粛清しても、結局肝心の感染すると最も危険な状態になる人々は野放しというわけで、そりゃ大規模感染はもう止められない、と感じた次第です。
 
 さらに案ずるのは、彼女らが家に帰ると同年齢の配偶者がいて、セット重篤化することです。 そうなると重症・死亡率が上がり、またヒステリックな報道やデマが喚き出すであろうことです。

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