二回目の学生作品集出版

Illustbook
 二年前に初制作した学生の自費作品集の二巻目が完成しました。
 プロデュースした身としては、初号から毎年継続して行きたかったんだけど、残念ながらあまり盛り上がらず、昨年は未発行に終わりました。 個人的に今年改めてプッシュすることもなく、ほとんど忘れていました。
 
 そしたら夏前に二年生の絵の上手い連中が教室に置いてあるそれを見つけ(彼らは初号発行の時には学校にいなかった)、今年は発行しないのか、と訊いてきました。 いやぁ、盛り上がらなくてと答えたら、少なくとも私たちは参加します、と三名が参加表明。
 確かに三名いれば表1,表4あわせて8ページ完成するなぁ、と再び腰をあげることに。

 ところがこの話を一年生にしたら、思ったより絵を描くのが好きな生徒が多く、幸いなことに結局合計14名が参加することになって、もちろんこれは二年前の初号より多い数です。
 これは頑張らなくちゃね、と忘れ去られていたwebページに手を入れて、トップの絵も改めて学生に頼んで描いてもらって、PHPとかデータベースの点検も開始。 依頼するオンデマンド印刷の料金もデータベースに入力した時のままで、思ったより手がかからなかったのも幸いでした。

 表紙の絵を依頼した学生は実は留学生で、いろいろあったのか、この絵を描き上げると同時に突然帰国。 今までうちの学生に無かったタッチだったので惜しい。
 その表紙絵を邪魔しないように私が文字を入れて、全員のデータチェックを終えて、はたと気づいたのがページ数。 参加者14名は偶数で何となくキリが良いと思い込んでいたのか、これに表1,表4加えたら30ページ、物理的には32ページになるので2ページが白紙となってしまいます。

 これはえらいことですがな、今更誰かに頼むわけにもいかないし、と仕方ないので、あっちのblogで二年前まで作ってたフライトシミュレータ画像をコラージュすることに。 使い回しなので新鮮感はないし、学生はこれらがいかに作られているかピンときてない様子で、「なんで飛行機の写真が並べられてるの?先生の勝手な趣味?状態。 いや、一応3Dアートとして見てくださいね。 このためにペンタブ買ったくらいなんだから。

 それはさておいても、集まった絵はデジタル/アナログあり、画風も幅があってとても良いものになりました。
 いや、中途半端なイラストレーションコースのある学校より上手いんじゃないか、とか。(こういうことはあまり大きな声で言ってはいけないらしい)

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村上隆のトホホ

Animationkobe 遅きに逸した感がありますが、やっぱり黙っていられないので書いておきます。
 
 コトは芸術家の村上隆が神戸アニメストリートというイベントに使用されているマークに対し、盗作の疑いがあると文句をつけたとてもガッカリトホホな事件です。
 
 私の非常勤務先は神戸ですから、このイベントポスターは最初から見ています。 が、別に村上隆デザインに似ているとは感じませんでしたし、強いて言えば、世界を意識したクールジャパン系かな、という程度でした。
 いえ、話はこの二者が似ているかどうかではありません。
 
 音楽や絵画は言うに及ばず、我々の知的活動は言語含めて全ては模倣から始まります。
 ましてや村上隆が世界的に認められた、いわゆるオタク/ポップカルチャー路線は、それはもう99%過去からの模倣とそれを基にした1%の進化で成り立っているわけで、ゆえにTPPでも取り上げられた著作権の親告罪問題も日本のマンガ文化に大きく影響すると報道されてもいます。
 
 あ、いやいや、そんな立派な話じゃない。
 たまたま東京芸大に入れるくらいの画力を持ったオタクが、たまたま巨乳のメイドフィギュアなどを見たことがなかった欧米人に取り上げられたことが単なるラッキーであって、それが「著作権侵害に当たる。村上作品を知らないで今回のロゴが出来上がるのはあり得ない」と巨匠気取りで言い出したことが人としてあまりに下賤でムカついた、というだけです。
 
 私に言わせば、「1960年代の漫画家を知らないで今の村上オタク作品が出来上がるのはあり得ない。当時の漫画家の著作権侵害に当たる」なわけです。 手塚治虫、石ノ森章太郎、松本零士に謝れや。
 こいつ、どこの芸術系大学でもある「著作権と模倣、そして創造」的な授業受けなかったんでしょうかね。 恥ずかしい。
 
 一方で神戸側も、どのみち今年春までの使用予定だったというような気持ちの悪い妥協ではなく、「なんやと?われ。長田の人間なめとんかぁ?」と堂々と喧嘩して欲しかったですね。 それこそ神戸アニメストリートの最大の収穫物になったかもしれないのに。
 なぜ日本人はネットで売られた喧嘩を真正面から受け止めない?


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予断がないということ

 相変わらずLINEのスタンプは、今現在126日の間未承認のままですが、それとは別に、先ほどAmazonのKDP(Kindle Direct Publishing)の入稿を終えました。
 これはAmazonがやっている個人出版で、イメージとしては自費出版のネット版と書きたいところだけど、一切費用がかからないので、そうは表現できません。
 「あ、興味あるけど、私Kindle持ってないし」と言うなかれ、Kindleはもちろん、iPhone、iPad、Mac、Windowsと無償のリーダーがあります。(もちろん、本自体はネット経由で購入して頂くことになります)

 で、LINEのスタンプにしても、このKDPにしても、何が素晴らしいかというと、編集者や審査員、下読みと呼ばれる人々による予断、審査がないことです。
 もちろん、暴力や性的表現、著作権違反などのガイドラインを守っているかのチェックはあって、それにLINEは数ヶ月から半年かかっているだけで、それでも決して内容に対して「素晴らしいから○」「へたくそだから×」という診断はしていません。 それが証拠に、どうみてもこれ、落書き以下のゴミだろう、と僭越ながら言わしてもらいたいスタンプがゾロゾロとマーケットには並んでいます。

 恥を忍んで打ち明けますと、この度KDPから販売する文章も、これまで十あまりの出版社に企画書の形で提案し、二〜三はそれでも例の「お祈り手紙」をくれたものの、あとは完全無視に終りました。 まぁ、それだけ内容に魅力がなかったのだろう、と自覚せねばならないのかもしれません。
 「ダメ元で出版してくれよ〜」とすがりつきたいところでもありますが、昨今の出版不況が、と言われればそんな甘い願いが聞き入れられるはずもありません。
 
 ところがKDPは本屋にこそ並ばないものの、消費者に直接その内容を問うことはできます。 有り難いことに、徐々にではあるけれど、Kindle初め、電子書籍の売り上げは増えているそうで、うん、これでダメなら出版を断った編集者の眼鏡がいかに澄み切っていたか改めて認めるよ、という気持ちです。
 
 いえいえ、オレ様の書いた本が売れないわけがないだろう、なんて自惚れはこれっぽっちも持っていません。 むしろ自分の子供のような自分の文章を、せめて下読みの餌食にしないで下さい、ゴミ箱に捨てないで下さい、という涙目の気持ちですね。 はい。

 ということで、LINEとは違って、Amazonは販売承認が48時間(48日ではないですよ:このあたりが会社の規模と質の違いかなぁ)で済むということらしいので、間もなく改めて報告させて頂きます。

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ペンタブレットでお絵描き

 今タブレットと書くとiPadとかになっちゃうので、わざわざ本来の「グラフィック」あるいは「ペン」を頭につけないとややこしいことになりそうです。
 
 一ヶ月ほど前、教室に学生向けのポスターデザイン募集のポスター(?)が貼ってあるのが目に入りました。 内容的に面白そうだな、と感じた、というより実はこのときに大まかなアイデアがポコンと浮かんだので学生とは別途、個人として応募することにしました。
 あらかたのデザイン作業を終え、最後にどうしても手書き風イラストを描かねばなりません。 と言っても、きっちりとしたデザインをまずスケッチブックにやってから、ってのではなくて、いわゆる落書き風なのでIllustratorのブラシ機能+ペンタブでなんとかする予定でした。
 
 ところが私が持っているペンタブは、はていつのものでしょうか。 ケーブルはADBで、接続されているマシンはOS9が走るPowerMac 7600、インストールされているIllustratorはVer.10。 一応昔のデータを読むために置いてあるのですが、さすがにこれではまずかろう。
 創作活動に金をケチってはいけない、と学校の帰りにヨドバシにでも寄って最新のWACOMのタブレットを買うぞ、と決心しました。 が、学校で訊くと、備品があるということ。 先ほどまでの潔い決心はどこへやら、それを鞄に入れて借りて帰ってきました。
 
 幸い、PowerPCでもまだ動くドライバがあって、自宅のPowerBook G4でも事務所のPowerMac G5でも全く問題なく稼働。 で、全体から描いたイラストのみ抽出したのが下記。

Illust

 ペンタブ初心者ゆえに、いまひとつスマートに描けていませんが、個人的にこういう気の抜けたようなイラストは好きで、結構サラサラ描けたりします。
 中央のインチキなN.Y.のイメージはIllustrator CSのいつだったかのバージョンで実装された「透明」というマスクの一種をかけております。 CS嫌いな私ですが、嫌でも新しい機能について行かねば飯の食い上げにつながりますからねぇ。 でも、端から見たら遊んでるようにしか見えないんだろうなぁ... 
 
 さて、月末までに応募しなくては。

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クリエイターグッズ衝動買い

 自分仕様携帯ストラップのクリップがかなり痛んできたので、新しいのを求めて学校帰りに三ノ宮の東急ハンズに寄りました。
 
Starpigs 店に入るとき、入り口で何かやっているのに気付き、帰りに改めてそちらの方を見ると、写真にあるスタバのパロディイラストが大きくプリントされているのが目に入り、思わずふらふらと立ち寄りました。
 家に帰って調べたりしたら、SHU matsukuraというイラストレーターの作品で、ワゴンで販売していたのも彼本人と思われます。
 
 残念ながら彼本人のページはあまりコンテンツが多くなく、代わりに彼のファンのブログを紹介させて頂きます。
 
 娘用にもう一つヘッドホンをつけて音楽を聴いているrockなブタと合わせて合計二つ購入。
 600円くらいかな〜と思ったら、二つで1050円。 まぁ、仕方ないよね、この手の創作物で食っていくのは大変だもんね。 卒業生にもこういう絵を描いて何とか飯を食えないか試行錯誤しているのもいますから、そこは納得です。

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五障の罪

 結構前に買ったのに、思った程おもしろくなかった白州正子の「両性具有の美」という本をやっと読み終わりました。

 もとはと言えば、待ち合わせの時間つぶしに寄った紀伊国屋で、その頃NHKでやっていた白州二郎のドラマの影響をうけて夫妻関連の本棚で見つけた一冊でした。

 この本の帯の「男は男になるまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽遠な一時期がある」という抜粋がアンテナにひっかかったのです。
 その時すぐ私の頭に浮かんだのが、高校時代に読んだイラストレーター・大橋歩のエッセイの一言で「スリムジーンズを履く16歳の少年の腰回りのなんと美しいことか。これが15歳でも17歳でもだめなのだ」(意訳:原文ではありません)という下り。

 白州正子も能や様々な行動を通じて美を追い求めた人であり、どうしてそういう女性達は少年期の男性に美しさを見るのだろうか、という疑問を解き明かしてくれそうな気がしたのです。
 女子中高校生がコミック上の男性同性愛表現に「はしか」的に興味を持つのも同じかも知れません。

 残念ながら本の内容は途中から彼女のライフワークとも言える能の話に移ってしまい、さらに古文が苦手だった私は多数引用されているそれが意味不明で、非常に散漫なものに映りました。

 ただ、その中で非常に印象に残った言葉がタイトルの言葉で、「女人は生まれながらにして五障の罪を背負っている」というものでした。 五障とは、欺・怠・瞋・恨・怨で、馴染みの薄い真ん中の"瞋(しん)"は"怒り"を示します。

 これについて短絡的なコメントをつけるのは遠慮願いますが、白州正子自身もそれを懸念してか「女の私がそんなことをいうと叱られるかもしれないが、ほんとにそうなんだから仕方が無い。文句があるならいつでも受けて立ちましょう」と付け加えているのには思わず苦笑してしまいました。
 早くに死んだ私の父がよく「褒めればつけあがる、けなせば恨む、殺せば化けて出る」というようなことを呟いていたのが身にしみてわかる歳になった今、この言葉は男性が女性を考える時に非常にわかりやすい言葉でもあります。

 また女性も、同性の持つ五障の煩わしさに辟易し、しかし自分の胸や腰は明らかにごまかしようの無い女性であるジレンマも含めて、そんな時に見かける子供と大人の間にある「少年」のユニセックスな美しさに惹かれてしまうのかな、とかうすぼんやり考えてしまいました。

 なんにせよ、男と女はおもしろいです。 恐らく死ぬまで飽きないでしょう。

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ごちゃごちゃごちゃ

 ちょっと訳あって自分の作品をまとめています。
 もともと二年くらい前に生徒が「先生の作品も見せて」とか言われて作ったのですが、そこからさらに厳選+最近の仕事を入れたニュー&ライトバージョンです。
 
 その中で一番古い作品が1992年、もう14年前だ〜。
 で、グラフィック的にメチャクチャ充実しているのが'93年から二年間程。
 今これらを描け、って言われても絶対描けないだろう執念みたいなものを感じます。 中には「これホントに俺がやったの? どうやって描いたっけ?」ってのもあったり。
 
 その後はMacroMedia DirectorのLingoに走ったり、DTPの仕事とかが増えた時期なんだけど、今はぷっつりと「絵」を描いていないのか自分でも不思議です。 A2/150dpiでPhotoShop上で絵を描くってのは当時は遅いマシンで少ないメモリでウンウン人もマシンも唸りながらやってて、今ならさくさくっと出来てしまうのにねぇ。
 
 やっぱり人には(少なくとも私は)何かをやるのに一番脂が乗り切った時ってのがある、って事かも知れません。 え?飽きっぽいだけ? いえいえ、実は執念深いんだけど。
 
 最近の例で言うと、例のosCommerceも夏休みが終わって学校が始まると時間が割けなくなり、カスタマイズの公開作業を進めようにもコードを見て「あれ?...」とこれまた自分でもよくこんな複雑な事理解できたなぁ、と思う有様で、う〜ん、これも脂切れか、と。
 
 別に元気が無いとか落ち込んでいるとかではなく(いや、落ち込んでも不思議じゃない凹むようなこともあったにもかかわらず)、な〜んとなく打ち込むものが手近に無い状態です。 でもこうしてポートフォリオを見直してみると昔からそういう波があった事がはっきり見て取れます。
 
 で、人にそれを見せたら「幅広いですねぇ」と言われ、そりゃそんなこんなで好きな事何十年もやってたらこれくらいの幅にはなります、と答えたものの、もしかするとこうしてダ〜っとのめり込む時期があって、ふとそれが途切れて、また気がつけば次にのめり込むものを見つけて、という繰り返しがあったから良くも悪くもこれだけ幅のある仕事をしてこれたのかも、と気がつきました。
 
Jigen_1
 新聞によるとインコのメスは愛していたオスと引き離すと、しばらくは声だけをテープで流しても反応するのに、一定時期が過ぎると忘れてしまうそうです。
 これを「鳥は三歩歩けば恩を忘れてしまう」に繋げるのかな、と思って読み進んだら、何かの理由で伴侶を失った後、いつまでもそれを忘れないと次の繁殖にかかれないからではないか、と結論づけられていました。
 「なるほど」
 
 と、思うと私のようなパターンも次々と新しい事を始める為に丁度いいのかも。
 「ほんまかいな」
 
 写真はこないだの学園祭の時の「次元変身セット」を纏った私です。 隣の男子学生は顔丸出しですが、この写真から普段の顔を推定するのはまず無理なのでそのまま掲載!っと。(変なコスプレオヤジと呼ぶのだけはやめてくれ。でも「のだめ」のホルスタイン教授に似てるか)

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ゲージツはやめられねぇ

 どうもまた最近早寝の傾向が始まり、どうにもここの更新が滞りがちです。
 osCommerce関連の別サイトの更新も同じくで、反省しております。
 
 実はこれから書く内容とは別のテキストを書いていたのですが、その後「のだめカンタービレ」というドラマを見て久々に「おもろい!!!!」っと言う事でそれはボツに。
 
 既に何度も書いているように、私は音楽は結構好きでして、恥ずかしながら幼少の折にはバイオリンというのを習っておりました。 姉はピアノで、手が小さいながらもよく頑張り、演奏系は諦めたもののそのまま音楽系の大学に進んで音楽教師になっております。
 私はと言えばその頃からヘタレで、さらにもともと姉と同じ楽器が嫌だ、というだけでバイオリンを選んだ為、結局後からピアノを習えば良かったと後悔する等、その頃から浮き草人生が始まっていたと言えます。
 
 当然途中でケツ割って、その後始めたギターも自己流のピアノも特に才能があるわけも無く今に至ってはいるものの、上記の経緯で家の中ではクラシックが流れていたりピアノがガンガン(それも同じフレーズばかり)鳴っていたり、高校時代は音楽室から流れる管楽器やコーラスの声の中で違和感無く過ごしてきました。
 だからエヴァの一シーン(アスカが神経波攻撃を受けるシーン)で「ハレルヤ〜メサイヤ」なんかが流れた瞬間はイーグルスのTake it easyやビートルズのA hard day's nightの一発目の和音と同じくらいの鳥肌感動を覚えてしまったりしたんだと思います。
 身分もわきまえずにバイオリニストの千住真理子さんに話しかけるなんて事もこんな?な過去があるからでしょう。
 
 てな訳ですから、「のだめカンタービレ」は久々にはまる予感100%です。
 同じく音楽ネタとしては実は密かにNHKの朝ドラ「純情きらり」も時々見ていたのですが、そこは民放、元ネタがコミックだけあって「のだめ〜」の方が単純に面白い。
 キャンパス内の練習室の風景とか、初見からレッスンが始まるとかもそれらしくて楽しめます。 原作の方もその辺りのリアリティが専門家にも評価を受けているそうなので、引き継いでいるんでしょう。
 ヒーロー(?)の恩師がドイツと言いつつ英語を喋っていたり(確かに欧州訛なんだけど)、竹中の外人ぶりがあまりに薄っぺらだとか、「勝手に転調するなぁ!」というあたり(実際に転調されて演奏されていた)が視聴者に理解されるのかとかありますが、まぁ、テレビコミックそのものという展開なんで良いとしましょう。
 
 まぁ、よくある「はなから素晴らしい才能に恵まれている」という登場人物ってのはありきたりといえばそうだけど、かと言って音楽根性ものもうんざりなので、単純に楽しませて頂くとします。
 
 その後、NHKに切り替えたら筋ジストロフィに侵された兄弟の今度は絵描きのドキュメントをやっていて、この絵がまた凄かった。 55枚の笑顔のスケッチは一千万画素のデジカメなんかよりもむしろリアリティが強烈で正直な話、なぜか涙がこぼれそうになってしまいました。
 
 学生にもよく話すし、自分自身もそう思っているんだけど、芸術ってのは本来それで飯を食うってのは考えてはいけないもんなんです。 だけどそれでは好きな創造が続けて行く事が行けず、姉は教職に、私は商業デザインに道を見いだした訳ですし(いや、私はもっとパチもん臭いなぁ)、事務職なんかでコツコツやってれば今頃はそこそこ安定しているだろうなぁ、とも思いつつ、「のだて〜」や筋ジス兄弟の絵を見ると「いや、やっぱりええもんやぁ」と思ってしまうのでした。
 
 ま、アーティストなんて所詮国の統計上は潜在的失業者です。(え? 俺だけ? 嘘ぉ...)

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She was not there

 先日の東京研修で実は密かに企んでいた事が。
 
 私の家には息子が友達の母親から貰ってきたレッサーパンダのぬいぐるみがあり、動物を飼えないマンション暮らしでは子供たちも私も結構こういうのが好きだったりします。
 これを洗ったとかの記事もここで書いていたりします。
 
 娘がまだ今よりもっと小さかった頃、この「たぬ」と名付けたぬいぐるみを主人公に、寝る前にアドリブで色々な話をするのが一時期決まり事となっており、その時に「恋人はいないのかな」という事になった事があります。
 
 「恋人ならやっぱり白かなぁ」とか、なぜか名前が「リリちゃん」とかになって適当に盛り上がっていたのですが、何と二年前の東京研修で、宿泊施設に向かう道沿いにあったカメラ店のウインドウに全く同じぬいぐるみの白が飾ってあったのです。
 その時は引率は私一人で、自分の子供の為に勝手な事もできず、取り敢えず家に帰ってその事を娘に報告しただけに終わりました。
 
 本当は翌年もこの研修は行う筈だったので、その時にもし廃棄するような事があれば下さい、とそのカメラ店に話せば良い、と思っていたのですが、様々な事情でそれは流れて結局二年の月日が経ってしまいました。
 そこで、今年こそは、と小田急の駅から宿舎に向かって歩いて行くと。
  
 カメラ屋さん等跡形も無く、マンションになっていました...
 
 まぁ、もとはぬいぐるみだし、娘もそろそろそう言うものにそれほど愛着を示さなくなってきているとは言え、何となく悲しかったですね。 いえ、ほんと何となく、ごめんな、と言う感じで。
 
 あんまりキャラクターデザイン等をする機会の無い私は、このぬいぐるみのキャラを結構使い回ししていて、ネームカードの紐に昨年の学園祭で作った缶バッチにして未だにぶら下げていたり、昨年は娘とかつて毎夜していたアドリブ話をヒントに60枚の小説を書いたり、私自らが結構愛着があったりします。
 
 昔息子が小さかった時に買った絵本セットの中に、白ウサギと黒ウサギが仲良くなって、ある日突然二匹が黙った後「結婚しよう」なんて言う話があったので、そういうのを無意識にこのぬいぐるみに当てはめていたのかも知れません。
 
 だから余計に「ごめんな」としか言いようが無くて。

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文部科学省の噴飯

 和田某という画家の盗作の話題が盛んに扱われています。
 
 問答無用でこれは絶対に盗用です。 それも贋作を目指したけど下手クソだったのでオリジナルだと言い張りだした無邪気な高校美術部員のギャグレベル。
 これをコラボレーションだとか、スギ氏も承認しているとか、一方でイタリアまで出かけて「訴えないで欲しい」という念書を渡したとか、ほんと、ここ暫く報道が沈静化してしまったヒューザー社長の小嶋氏並みのおバカ対応ぶりが本当に腹の底から嘲笑を誘い出してくれました。(報道映像に爆笑問題の二人が背後に映っていたのにも笑ったけど)
 
 ただ、もう少しまじめに考えると、こんな人物及び作品群に対して賞を与えてしまう文部科学省って一体なんなの?という疑問も忘れてはならないでしょう。
 
 一応クリエイション畑の末端ならぬ末梢に生きる身として、そしてアーティストとして生きたいと言う実現困難な夢に挑戦する若者を指導する身としても「盗作」は最も卑しいものと捉えています。
 もちろん「人の行動や思想は全て過去の経験からの引用である」、という言葉通り、考えに考えた末のオリジナルが結果として過去の何かに似てしまい、それが本当に悪意が無くても軽蔑の眼差しが向けられる事があります。
 一方で、ビジュアルに比べてさらに順列組み合わせの母数が少ないとされる音楽においては、理論上普通の人間が音楽として捉えられる新しいメロディの組み合わせはもう無い、ともされており、それをむしろ逆手に取ったのか、訴えられる事は無いとタカを括っているのか、明らかにパクりとしか言いようの無い曲で儲けまくっている音楽家も多数います。
 
 しかし、まぁ、こういうのは明の部分としての創作意欲の迸りであり、陰の部分として食う為という言わば人臭い行為であって、権威を求めようとするものではありません。 と、言うか、そんな行為で権威が与えられる筈が無く、もしそれが与えられるならそれは既にそれは権威ではないのです。
 
 が、それを文部科学省がやっちゃった。
 斜視的になるのをお許し頂くと、こういう賞は、まず一流芸術大学を出ている事、その後海外で活動している事、帰国後華やかに活動するか、教鞭をとっている事が大前提であり、そしてさらに既に他の名の通った賞を受賞していれば文句無し、とされています。
 その点で和田氏は東京芸大卒はもちろん、全てをクリアしていたようです。
 要するに、文部科学省は芸術選奨文部科学大臣賞を選考する際に彼の作品そのものは評価せず、既に旧安田火災東郷青児美術館大賞等が与えられていた事で、いわば安易に権威の上塗りをしただけとも言えます。
 
 報道では今回の騒動は盗作を指摘するFaxがきっかけと言う事ですが、恐らく現場の人間やより深く絵画を学んでいる画学生にとっては周知の事実であった筈。
 また、所属していた国画会は退会を勧告したと言いつつ、ここにも以前盗作の指摘が来ていたのに、本人が否定した事で事なきを得たと言うだらしなさ。 ここを見るとご大層な会のようですが、そんな自浄活動もできないのかと首をひねらざるを得ません。
 
 何よりもこの程度のうすらトンカチ共が作り上げた権威でも、それをきっかけに画壇デビューを目指したり、何とか芸術活動で身を立てたいと思っている若者が多数日々純粋な努力を続けているわけで、本当に虚しくなるやらあほらしいやら。
 
 まぁ、人が他人を評価すると言うのがいかに難しい事であるかを改めて示したわけでもあり、学生達には一度や二度コンペや就職活動に失敗したところでな〜んにも気にする事は無い、と自信を持って言えるようになったのは皮肉な収穫...

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