入浴介護の夫病死し妻溺死か

 @niftyのニュース速報の見出しなんだけど、字面だけを見ると何とも凄惨な事故に見えますね。 でも実は幸せな最後だったんじゃないかと思えます。 82歳のバァさんを風呂に入れるなんぞ、愛でしかありませんよ。
 二人一緒に逝けて良かったね。
 
 以下共同通信から。
 
 Tさん(83)は心臓に持病があり、S子さん(82)はパーキンソン病で歩行が困難だった。TさんがS子さんの入浴介護中に病死し、S子さんが溺れた可能性があるとみて、死因を詳しく調べている。
 2人は浴槽につかったS子さんの上に、Tさんが覆いかぶさった状態で見つかった。
 2人はともに介護サービスを受け、午後3時半ごろに帰宅した。

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捨てた、捨てた、捨てた

 本日は資源ゴミの日。
 娘の部屋作りに端を発した家中の大掃除
 
 ゴミをまとめたのは良いものの、引っ越しゴミではないので決められた日以外には捨てられないものがあり、それらはベランダに堆く積まれていました。
 この風景、客観的に見るとたまにテレビのワイドショーで報道されているゴミをため込んでいる非常識住民と同じ。
 
 刺激されたのか、ゴミ部屋に生息していた息子が、「お前も部屋掃除してみたら?」とダメ元で言った私の一言で、まさかの大掃除開始。 おお、息子の部屋に床はあったんだ!
 
 てなことで本日は資源ゴミの日。 昨夕から出した衣服は透明ゴミ袋六袋。クッション入れた紙袋一つ。
 段ボール三括り。 書籍新聞大小十括り、その殆どは息子の高校時代の教科書や参考書。 いや、捨てるの一年遅いだろうが。
 我が家では毎日の生活ゴミ以外は私の担当で、その日のためにプロ用台車も常備してあります。 結果、階下のゴミ置き場まで七往復。 何かにとりつかれたかのように黙々と作業していました。
 
 これで改めて分かったのは男女による未練の度合い、

 今回の大掃除のキーワードは「お子ちゃまモードの終了」。
 中二の娘は、この言葉の意味を気持ちよすぎるくらい理解して、どんどん捨てる捨てる捨てる。
 ところが大二の息子は、結構捨てたものの、なぜか中学時代の絵やいつの時代か分からないプリントなどを敢えて保存。
 これだけでも、昔の恋人の思い出を引きずる男と、新しい恋人ができたら過去を一切忘れる女の図式が濃密に圧縮されていました。
 
 さて、あと残るは、大型複雑ゴミと小型複雑ゴミの日でございます。

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めでたきかな

Wedding2
 事務所のネット環境整備も一段落つき、土曜日はかねてから楽しみにしていた結婚式へ。
 
 この日は朝から久々の真夏日。
 外ににいると相当暑いんでしょうが、午前中にホテルに入ってしまったので、むしろその夏らしい青い空と白い雲の風景を叙情的に楽しむことができました。
 夜は夜で淀川の花火大会が二時会場から見えて、人間よりも夏の自然の方に祝福されるとはさすがグラフィックデザイナーと陶芸家の式、と一人納得。
 
 別に笑いを取る必要はないです、と言われながらも、そこを狙ってしまうのが悲しい性。 なんとか乾杯+スピーチ+二次会の乾杯とこなすことができてほっとしました。
 
 終わってみて思うのは、なんともほのぼのした式であったと言うこと。
 アーティスト系らしいオリジナリティが溢れていたわりには嫌みがなく、また初めて見る両方のご両親を見て、あぁ、やっぱり良い人間性には良い家庭が必要なんだな、とも。
 
 明けた日曜日は朝から嵐のような天候。 MIATAで来なくて良かった、と思いつつ、酔いつぶれ対策で取っていたホテルを出ました。
 そこでふと思ったのは、幼稚園とか小さい頃、○○君と○○ちゃんは結婚するだ、とかいう他愛もない、でも非常に素朴な感情でした。 もちろんそれは成長と共にはかなく消え去り、消え去ったことすら忘れてしまうような希薄なものなんですが、結婚式の彼らを見ているとそういう忘れたはずの風景がよみがえってきました。
 別に彼らが幼いという意味ではなく、あくまでイメージなんですけどね。
 
 おめでとうござました。 月並みながら、お幸せにね。
Wedding1

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ちょっとだけ好きになった

 とりとめもない話。

 半月ほど前、光熱費などを落としている信用金庫の女性職員から電話あり。
 その信金は、北摂の二つの中堅が合併したのですが、たまたまその両方に口座を持っていた私は、定期といっしょになった総合口座に加えてローン枠が二重化してしまいました。
 これはお上から指導が入る要因だそうで、私に落ち度はないが、これらの整理に一度店頭にきてほしいということ。

 基本的に金融関係の人間は好きではないし、巧妙な貸しはがしの可能性が無いともいえないので、こちらは疑心暗鬼モード。
 が、話をしているとこの女性、マニュアル首っ引きのど素人でもなければ、妙に顧客対応慣れしたいやらしさも伝わってきませんでした。 へぇ、これが電話で伝わる誠意「感」てなものかな、とふと感じました。

 貸しはがしではないことを確認した上で、じゃ暇ができたら行きますということに。
 その後、時間が無くてそのままになっていたら、留守中にも何度も電話があって、どうも処理を急いでいる様子。

 仕方ないので、時間を合わせて一昨日、印鑑や本人証明書類などを持って行ってきました。

 その女性は、期待してたよりちょっと綺麗じゃなくて、しかし周囲の女性に比べたらずっと綺麗という微妙な印象。対応はあくまで当行の都合で申し訳ありません、が基本で、書類や電卓の扱いも的確。

 へ〜、有能そうやん、この人。社員かなぁ派遣かなぁ... なんて考えながら仮手続きらしいその日は終了。

 そしたらその日の夕刻に、本手続きの準備が整ったので申し訳ないがまた店頭にという連絡が入り、こちらとしても悪態をつく理由もないので、結局二日連続でその女性に会いに(こう書くと艶っぽいな)。
 とは言っても歩いて10分もあれば時間通りに着くところなんですけどね。

 カウンター席に座ると、その女性の髪型が涼しげにアップになっており、思わず「髪型変えられたんですか」と口にしてしまいました。

 人間って不思議ですね。本質は昨日と何も変わっていないのに、髪型を変えただけで「ちょっと綺麗じゃない」どころか確実に綺麗になってました。
 別にデレデレしてたわけじゃないけど、後ろ髪の留め方がおしゃれ。
 髪の色も単色ではなく、横方向に微妙にグラデーションがかかっている栗色で、頭に立体感があります。
 そう思うと横顔や睫毛とかもかわいく見えるから不思議なもの。

 用紙に記入したり捺印しながら、これって染め代高くつくらしいよなぁ、でも頭小さく見えるよなぁ、とか思ってるうちに手続き全て終了。
 お互いが礼を述べた後、「いや、髪型いいですよ。昨日よりずっと素敵です。髪の色も気を遣ってらっしゃるし」と素直に褒めてさしあげました。

 いや、それだけです。はい。

 あ〜、ちょっとふくらはぎに職業病っぽいむくみがあったり、肌が荒れぎみだったので、もし一緒に飲むようなことがあれば代謝改善とかアドバイスできるんですけどね。 ま、余計なお世話でしょ。

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スヌーピーは女心を知る

 どういうわけか私の本棚には「ピーナツジュビリー 漫画スヌーピー25年」という分厚い本があります。
 これはスヌーピーで有名な漫画ピーナツの連載25年を記念して後に出た本で、S57刊ですから26年前に買ったものです。 え〜と、だから24歳のときに買ったんですね、はい。
 当時3,200円。 下らないものに金を惜しまない癖はこの時既に健在だったようです。
 作者のC.M.シュルツさんは既にお亡くなりになられましたが、1950年に連載が始まったんですねぇ。
 
 多分小学生の時に医者の息子(すなわち金持ち)がスヌーピーのTシャツやらキャラクターグッズを最初に買い、それからどういわけか私も含めた仲の良い男連中の間で流行りました。
 ちょっと奇妙に映るかもしれませんが、それはディズニー的な可愛い的存在ではなく、今で言うゴールデンエッグス的なクールな存在として捉えていたと自分では分析しています。(と言ってもゴールデンエッグスは日本産なんだけど)
 
 中学になって英語のお勉強も兼ねて当時月刊で販売されていたSNOOPYという雑誌も買って原文で読んだりもしましたが、基本的に難解であったと思います。
 そもそも漫画というのは翻訳が難しいんですね。 特に言葉のしゃれ、例えば「そもそも犬ってのは独善的なもんなんだ」っていうのは"dogmatic"という単語にかけているわけで、日本語にしたら意味不明。
 詩人であり、ずっと翻訳をされて来た谷川俊太郎さんもそうだけど、日本の漫画が最近海外に多数輸出されている今、翻訳関連の方の苦労に頭が下がります。
 
 あと、言語の問題とは別に宗教観というのもたかが漫画とは言え日本人には原語では難しかったとも今読み返してみると気がつきます。
 
 てな話は切りがないので置いといて。
 
 まぁ、そんな中で今でも好きなのは多分多くの日本人と同様でスヌーピーとウッドストックです。
 しかし単に可愛いだけではなく、スヌーピーはなかなかの男前なんです。
 
 この本に掲載されている中で、ペパーミント・パティがミスコン中継のTVを見ながら「私はこんな番組に一生出られないわ」とコンプレックスをチャーリー・ブラウンに打ち明けています。
 一応彼女は彼に気があるのですが、「何か私を元気づけるようなことを言って」と言われたチャーリー・ブラウンは「そうだな、ぼく...」と相変わらず煮え切らない。
 そこにスヌーピーがスタスタとやって来てバチンとTVのスイッチを切り、彼女の頬にキスをします。
 彼女は「彼は変な顔をした子だけど、女の子を幸せにするすべを知ってるわ」と二人(一人と一匹)で外へ出かけて行きます。
 残されたチャーリー・ブラウンは"SIGH(タメイキ)"。
 
 う〜ん、26年前に買ったのにな〜んにも学ばなかったなぁ...
 
 ただ、さすがのスヌーピーも「誰も私のことなんか愛してくれないわ」とこぼすルーシーには同じ手は通用してませんから、難しいもんだとも。
 
 そこだけは学んだか...

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Thanks my friends

 昨夜は高校時代の友達のお呼びで飲みに。(なんか最近毎土曜日飲んでいる)
 お誘いのメールを見て驚いたのが参加メンバー。
 
 高校時代の彼女!!!!
 
 まぁ、彼女ったって、思い出してもコッ恥ずかしい、いや大恥ずかしい子供のような時代ですけど、とにかく30年ぶりの再会です。
 
 最初のうちは結構浮かれていたんですが、そのうち「え?でも相手も同い年だし... 体型も変わってて当たり前だし...」と考えだすと徐々にビビり出したのも事実です。
 その子はとてもボーイッシュでスキニーで、でも水泳部だったのでシャキっとしててみたいな印象があったからです。
 
 別に今更会ってなにがどうっていう意識はないとは言うものの、授業で二十歳前後の生徒を教えたり高校で教えているとふとその頃の自分を思い出すときに彼女のことが思い出として出てくるものです。
 そんなときに「あぁ、もう一生会えないんだろうなぁ」という諦観めいたものがあって、「まぁね、それで当たり前やし...」と思ったりもしていた訳です。
 
 んで、結果はどうだったかというと、本人は太ったとは言うもののこちらのイメージとはほとんど変わらず、何よりもそこでとても安堵しました。 いや、その体の線がどうのこうのの話じゃありませんでして、ただ、30数年前に一緒に歩いててドキドキした彼女のイメージが崩れていなかったことに、です。
 あっけらかんとして、でも時々(悪気無く)グサっとくることを言う当たりも変わってませんでした。 ははは。
 
 ここを読んでいる人には「あぁ、歳取った人はみんなそう言いますね」と思われるかもしれませんが、自分自身は30年の、いや生まれてこのかたの50年の実感はとてもそれほどなくて、ただただ毎日それなりに生きてきたらこの年数だった、というのが偽らざる実感です。
 だから他の友人も含めて喋りだすとほとんど変わってなくて、ただ時だけが流れたんだなぁ、という気がします。
 
 もちろん不幸だったらそういう場所には来ない訳で、みんなそれなりに幸せで、月並みで申し訳ないけど「良かったね」と思いました。

 たまたま集まった中で最も早く50歳の誕生日を飲んでいる最中に迎えたので結構イジられましたが、なんだか楽しくて嬉しい飲み会でした。
 その彼女とは今度こそもう会えないだろうけど、何と言ったら良いのか、それも納得できた夜でした。
 声をかけてくれた友達に感謝です。
 
 あ、2000円札と10000円札を間違って出してしまったのは唯一のトホホかなぁ...
 酔ってたんでしょうねぇ... ま、良いか...

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リリーとフランソワーズ

 先日NHK BSのサイボーグ009の特集を見ていたんですが...
 やっぱり003(フランソワーズ)って好きだったなぁ、と素朴に思い出しました。
 コミックでずっと読んでいて、初期の頃はなんか暗いイメージがあっだんだけど、一旦戦闘が終結してパリでバレリーナをやっていたときの絵がすごく奇麗で、まぁ、恐らくあの頃から美人好きだったんでしょう。
 
 それからしばらくしてフランソワーズ以前に何か頭の隅に引っかかってる記憶があって、ずっと考えていました。
 それがリリー。
 
 リリーというのはレインボー戦隊ロビンというアニメ(コミックは後追いだったそうです)に出てきた看護ロボットで、今思うに彼女のほうがフランソワーズよりも先に心を奪われた女性でした。
 でも、この二人、どこか似ていたなぁ、と思ってなぜか事務所にあるレインボー戦隊ロビンのムック本を開いてみたら、この作品にも石ノ森章太郎がスタジオ・ゼロとしてかかわっていて、キャラクターの清書も彼だったそうです。 あぁ、だから似ていたのか、と。
 ウルフというキャラクターもサイボーグ004だもんなぁ。
 
 この、レインボー戦隊ロビン、昭和41年放映開始で、私小二でした。 このムック本を買ったときでさえ「懐かしいなぁ」と感じたのですが、出版が昭和53年。 二十歳のとき。 要するに42年前の作品なんですねぇ...
 サイボーグ009やウルトラシリーズもこれくらいの古さなんですが、レインボー戦隊ロビンがほとんど知られていないのは白黒作品のために再放送の機会を失ったというのが大きな理由だそうです。
 
 別にオネェちゃんキャラだけを見ていたのではなくて、この作品は会話が非常に軽快で、ベルというロボット猫と教授の掛け合い漫才的会話、めっちゃ強いのに浪花節のベンケイ、一番機械っぽいのにひょうきんなペガサス。
 このベルが非常におしゃまさんで、今でもちょっと生意気な女性が好きなのもこのベルのせいかもしれません。
 そういうのを全部ひっくるめて恐らくあれは私が生まれて初めて知った「軽妙洒脱な会話」だったと今思います。 まぁ、それを小学校ですぐに実践したもんだから、思えば小二にあって既に周りから浮き出していましたが...
 
 だからリリーが私の初恋でした、と書けば奇麗に終われるんですが、実は幼稚園で出会った双子の姉妹が初恋だったと、これは間違いなく明確に覚えていますから、クレヨンしんちゃんのことは非難できません。
 
 でもコミックやアニメより早くリアルなものに心奪われてますからまぁ、健全っちゃぁ健全かも。
 この姉妹、今思い出しても非常に奇麗な娘でしたから、先天性かもしれませんね、私のは。

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気になる人との距離

 昨日は遅れていた駐車違反の反則金を支払いに警察署に行ったら時間切れで無駄足に終わりました。
 今までなら気分を害するところながら、陽気が良いと言うのは凄いですね。 まぁ、仕方ないか、とノイロ・カフェへ。
 
 ここ暫くはずっとホットだったのに、いつのまにかアイスコーヒーが当たり前になっているのもなんて事は無い話題の一つで、春が遅かっただけにホント、今の気候は最高です。
 
 で、話は気になる(好きな)人との距離の事に。
 気になる人がいた時、玉砕覚悟で非常に深い仲になりたい人もいれば、波風を嫌って一定の距離を置いて眺めている人もいる、という事です。
 単純にありがちな結論を書けば、「見ているだけでどうなると言うんだ、結果がどうあれ攻めろ!」となるのでしょうが、この歳になるとそういうのが必ずしも正解とは思えません。

 いきなりリアルな話で申し訳ないとは思いつつ、私は人間って所詮動物の一つでしかないと思っているのです。
 犬や猫を室内で飼っている家に行けば獣臭さが鼻につきます。
 でも人間だって結構臭いわけで、これは加齢臭とかそういうのではなく、動物である以上仕方が無いわけです。 もしかすると鼻が敏感な犬にしてみると「おまえ、嫌いじゃないけど臭いんだよな〜」と人間の事を思っているかも。
 「好きな人はトイレに行かない」と偶像化するのは「可愛いねぇ〜」とも言えるし、危険でもあるのですが、その辺りに気がつく歳になると、むしろ人との距離はある程度あったほうが快適なんじゃないかと自然に思えるようになりました。
 
 好きな人と一つになる事は素晴らしいと概念的には思っても、実際その姿を鏡なんかでチラリと見てしまうと獣以外の何者でもないわけでして、だとするとある程度の歳になると着飾った姿、建前で塗り固められた姿だけを愛でるのも捨てたもんじゃないとも思えるのですね、これが。

 「人生は仮装行列」というのは私の好きな言葉でもあり、それをお互い認識していればそういう前提の人付き合いも嘘だとか欺瞞だとか言うよりも積極的に快適な人間関係として認めても良いのではないかとも思えます。
 エヴァネタで言うと互いのATフィールドを認めつつ付き合うって事でしょうか。
 
 だとすれば「花は野にあって美しいもの」と別に手折ったり持ち帰るわけも無くそれをただ眺めて満足するってのもいつのまにか「あり」として思えるようになったのはやはり歳と言うのがなせる技なのかも知れません。
 
 かつて「玉砕の○○」「高望みの○○」と呼ばれた私でもそう思えるようになったのは、う〜ん、加齢ってのはそう悪い事ばかりでは無いのかもしれませんねぇ。
 
 ま、これも季節が自分の一番好きな時期だから思える事かもしれません。
 女の人は薄着になるし、ああ、幸せ(?)
 死んで葬式出すのもこの季節に限るねぇ。

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どうしてダメンズにひっかかる?

 今日は兵庫県の某さんからのお便りにお答えします。(冗談です)
 
 夏休みに入る前、女生徒と話をしていて、どうして駄目な男にひっかかるのか?という内容になりました。
 「人それぞれ」では面白くないのでちょっと掘り下げると...
 
 「どうしてあんな男と?」と聞かれ、「見てられなくて」「何とかしてあげたくて」等という場合、それは異性への愛情ではなく母性愛だと思うのです、私は。
 実際に産むかどうかは別として、十六歳を超えれば社会的には立派に母親になれる歳ですから、既に母性は女性の中にしっかりと育っている訳です。
 
 一方でよく「男性は女性の外見に惑わされ、女性は男性の内面を見抜く」と言われたりします。
 これはちゃんと学術的に裏付けがあるようで、男性はより良い子孫を残す為、美しいものに惹かれ、女性は自分の生んだ子供をちゃんとしっかりと育ててくれる(食物を獲得してくれる)人に惹かれるのだそうで、つまりは生殖本能と密接に結びついているのだそうです。
 女性向けのエロ写真集が男性向けのそれに比べて殆ど成立しないのはそのせいだとか。

 ということは女性は本来はダメンズ、つまり、自分と子供にろくに食い物を持って帰らないような男性には惹かれないようにプログラミングされているはずで、ではどうして?という疑問が浮かび上がります。
 そこで出てくるのが母性愛なのですね。
 母親は原則として自分の子供は少々の難があってもしっかりと愛情を持って育てて行く事ができるように、これも同時に本能としてしっかりとプログラムされています。 でないとあんな大変な子育てができる訳が無い、というのも納得。
 
 もちろんこれは自分の子供の為の愛情なのですが、それが間違って配偶者探しの時に出て来ると、ダメンズに愛情を感じてしまうのだと私は捉えています。 いわゆる出来の悪い子程可愛い、というやつです。
 
 これを昨今のおかしくなった親子関係、例えば子供を餓死させてしまう、パチンコ屋の駐車場で熱死させてしまう風潮に重ねてしまおうと思えば簡単です。 ところが、古い小説や社会風俗を表したものを読むと、明治や江戸の頃からダメンズ掴みの女性の悲話のようなものが結構ありますので、これはもっと奥が深いものかもしれません。
 
 基本的に生物には「良いものを残そう」という原則が存在し、原始的な生き物になればなるほどそれは徹底しています。 ところがここまで人間が生き物として進化すると、脳は本能を超えた様々な事を考える事ができるようになり、だからこそ地球を生物として制覇できたと同時に「哀れみ」とか「嗜好」など、本能では説明できないややこしい感情を生み出したのでしょうね。
 
 でもやっぱり男はダメンズではいけないし、それにひっかかる女性も良くない。 いくらそれが進化の結果とは言え。
 まぁ、一人のモテなかった男として、そんな堕落しても女性が放っておかない男というのが妬ましいというのは認めつつ...

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「ミルクと砂糖は?」「いえ、ブラックで」

 中学生の頃からコーヒーを飲み出して今に至ります。
 さらにもう30年近くブラックで飲んでいます。
 
 別にダイエットとかそんなのではなく、当時大好きだった女の子に「男の人がコーヒーに砂糖を入れるなんて信じられない」と言われたからです。 いえ、ほんと、それだけです。
 普通なら「やかましわい、ぼけぇ」で聞く耳もたない私ですが、好きな女の子の前ではそんなもんです。
 
 思うにこの女の子にはずいぶん振り回されたと同時に、色々な事を教えてもらいました。
 「女の気まぐれにいちいち目くじらを立てるな」
 「女の嘘を問いただすな」
 「甘えたい時には甘えさせろ、そうでない時にはべたべたするな」
 と、文字で書くと随分な言い分ですが、きれいな子は大概わがままできまぐれなものなので、以後、結構これが役に立ったと感謝しています。
 
 高校の入学式の時に目を付けて、ずっと狙ってたにもかかわらず、結局大人になってもものにできず、時々会ってはいたもののお互い別々の人と結婚しました。
 まぁ、長い長い片思いだったのでしょうね、結局は。
 オチは私の新婚旅行の時に機内で(彼女は某航空会社のSDになった)偶然合った事で、彼女と嫁を同一視野に見ながら、墨で心の中にでっかい「まる」を打たれた気分でした。
 
 とはいえ、あの子にであわなかったらもっと女性の気持ちがわからない唐変木になっていたと思います。(女性の気持ちがわかる=モテるではない:念のため) やはりそういう点では今でも心から感謝しています。
 もっとも、その長い間を他の女性に振り向けていればもっと多数の経験もつめたかも、とも言えますが、今となってはそれを確かめる事もできません。

 結局男は女に育てられるんじゃないかなぁ、というのが結論ですね。
 親から言われても守れないマナーや常識も好きな女の子に注意されたら素直に聞けますから。(私だけ?)
 
 その点、今はどうなのかな?
 以前、前を走る車の助手席の女の子が、食い終わったマクドの大きな紙袋を思いっきり窓から捨てるシーンを見た事があり、背筋が凍りました。 それは非常識だ、という以前に、おいおい、あんたがそんなことしたらだれが運転してる男を育てるんだよ、と。
 世の女性がしっかりしないと、男はもっと馬鹿になるばかり...
 
 もちろん、ケースバイケース。 男が女を育てる例もあるでしょう。
 見方を変えるとそれだけ良い女性に学生時代に巡り会ったのかもしれませんね、私は。
 これってちょっと素晴らしい事なのかもしれない。
 
 新幹線や飛行機でコーヒーを出されるとき、「いえ、ブラックで」という瞬間、いつもほんの少し彼女の事を思い出している様な気がします。
 
 どうも、おおきに。

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