マスクにまつわるこの危機感を伴うモヤモヤへの解答
こないだ、私一人しかおらず、ビニールで仕切られているバイト先の事務所に関係者がやってきて、後にマスクをしていなかったと指摘が入りました。
それに対する私の感想。
「あぁ、ここにもアホが」
相も変わらずマスク同調圧力責めの日本。
幸い私は出会ってはいないものの、最近はマスク警察と呼ばれる人たちがいて、マスクをしていない人を怒鳴ったり、これでも着けとけ、とポケットからくしゃくしゃのマスクを投げつけられたりするんだとか。
さすがにこんな私でも電車の中では嫌々マスクをしているものの、なんだろなこの気持ちの悪さ、とずっと疑問に思っていました。
そこで出会ったのが『コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度』というダイアモンドオンラインの文章。
我々は教科書だったり家族から戦前戦中の検閲や相互監視社会の闇を教えられ、その主体は軍や憲兵でした。 がしかし、それを導くかのような国民レベルの監視社会を「投書階級」が先に築いていたという内容は非常に新鮮な驚きです。
そしてこの投書階級は言うまでもなく今のネットの告げ口誹謗中傷層と見事に重なります。
今回のコロナウイルスの被害の大きさは個人主義の信奉度に比例する、という意見を目にしたことがあり、確かに今のところ震源地であるにもかかわらず大感染から免れている中国を思うと納得できます。
しかしこれは言い換えると「管理されたい」「管理されることを疑問に思わない」「自由なんかいらない」と同意で、とても危険な香りがします。
そんなもやもやを解決してくれたのが上記リンク記事で、ぜひご一読をお勧めします。
かすかな期待は、夏を迎えてマスク装着が原因の熱中症で子供から老人まで満遍なく人が死んでくれることですね。 その事実を前にして科学しない社会とマスコミがどう反応するのかが楽しみです。
私のマスク不要論の科学的根拠はここ。
日々感じるマスク圧力への恐怖はここ。
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