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旧優生保護法-生命の選別は誤りなのか?

 強制不妊手術の実態と共に、旧優生保護法というのがさも悪魔の法律であるかのような扱いで、国連機関からもそれを後押しするような指摘がでたことで、世論の方向はどうやら確定的です。
 また、これに絡めて、出産前の染色体検査を命の選別である、と声を大きくしている動きも感じます。
 しかし私は、あえて違う主張をしておきます。
 
 上記の論者は、人権を根拠にされています。 では精神障害を抱えた子供を育てること、さらにその子供が成人し、成長し、死んでゆくまでの面倒を誰がどうやって見るかまで考えているのでしょうか。
 たまに触れているとおり、私が今住んでいる市は、大阪府内でも比較的福祉制度が充実しているせいか複数の施設があり、日常でも彼らが単独で、あるいは付添人と共に歩いているのをよく見かけます。
 障害者と共生している、とも言えますが、そんな美談ばかりではありません。
 
 私自身、電車で奇声をあげる障害者を避けるべく、目も合わせずに静かに隣の車両に移ったところ、どういうわけかついてきて、私が降りるまでずっと奇声を浴びせ続けられたこともあります。 障害者が駅のホームから他人を突き落とし、裁判では無罪という例を思い出すと、彼らの奇異な行動に正直、恐怖を感じることもあります。

 他には、父親が精神障害を持っていたために、兄も生まれながらに精神障害を発症、本人も軽い学習障害を抱えた若い娘さんも知っています。 二人の障害者の世話に疲れた母親は、その娘に就職をさせずに彼らの世話をさせるようにしむけている、という重い実話もあります。
 判断能力が低いことをいいことに、地域のゴミのような男性たちに性のはけ口にされ、何度も妊娠ー中絶を繰り返している女性も知っています。

 また、これまでなんとか本人を支えてきた両親(主に母親)の高齢化が深刻です。
 実は私は幼い頃に骨髄性小児麻痺(ポリオ)に侵され、両親は医者から、脳性であった可能性もあったのでまだ幸運だったかも、と言われた、と後に何度も語っていました。(いえ、今でも上肢に軽い障害は残っていますから、幸運とは思えないですけどね)
 これは今とは福祉レベルが全然ちがう昭和真っ只中の話ですので、感染を告げられた両親は将来を悲観して心中すら頭をよぎった、とも言ってました。

 冒頭、命の選別が、と主張している方々は、恐らくそういう問題は社会全体でフォローしてゆくべきだ、とおっしゃるのだと思います。 が、そこそこ福祉が充実していると言われている我が市でも、みなさんなかなか大変であると聞きます。 そしてその財源の幾ばくかは我々市民の税金で賄われています。 日本全体で考えても、少子高齢者の中、どれだけ財源を振り分けられるでしょうか。

 強制不妊についてのニュースを検索してみても、元になった優生保護法が何を根拠に、つまり精神障害がどれくらいの確率で遺伝するのかが共に書かれているものがありません。 中には、戦前のナチスドイツの制度を元にしている、といういかにもそもそもが悪法であったという方向に導こうという話法もあります。
 一方で、統合失調症の遺伝というアプローチで検索をかけると、冷静な数字が上がっているサイトがあり、それによるとやはり遺伝の可能性は否定できないようです。
 先にあげた、親族の世話のために自分の夢を摘み取られそうになっている娘さんの家族の遺伝も例外では無いということです。

 以上の日々の体験から、私には旧優生保護法が間違っていたとは言い切れません。 これは現在では母性保護と改変され、本人の承諾を得て、と修正されています。
 しかしそこでさらに私が懸念するのは、妊娠し( or させて)親になることと、人権という抽象的な概念を承諾を求められる本人が理解できるかどうかです。 健常者であっても自らの人権をしっかりと理解し、その上で判断するというのは実は難しいことであるにもかかわらず、です。

 ここで思い出すのは、つい先日の精神障害のある息子を長い間檻に閉じ込めていた事件。
 この事件を「虐待」と一括りにするのは簡単です。 しかし、実はこの親は夜中に大声で奇声をあげる息子が近所に迷惑をかけていることを気にかけ、何度も市役所にこの息子の世話について相談に行ったそうです。 市はそれについて「十分な対応をしたと思っている」というコメントを出しています。 また、親族も社協に相談に行ったという報道も見ましたが、これも「対応に問題はなかった」と結ばれています。
 結果として親は自宅の檻で生かさず殺さずで「飼う」ことを選ばざるを得なかったわけです。 

 不衛生な環境中で息子はほぼ視力を失い、気の毒には思いつつ、では両親は悪魔だったのか? 本能のまま子供を作り続け、懐かないからと虐待を繰り返すヤン親と同じに扱うべき事件では無いでしょう。
 これが人権者が謳う「障害者は社会全体で受け止める」の「社会」の実情です。 その「社会」の窓口となる役所は法に則り、体良く補助を断る機関でしかなかったのです。
 
 障害児を育てる覚悟のあるものだけ声をあげよ、と偏狭なことを言うつもりはありません。 しかし、実際の社会環境を見ずに、あるいはいつ実現するかもわからない理想環境を前提に命の称賛のみを訴えるのは、むしろ無責任だと私は考えます。

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USB-CのみのMacノートはポンコツ?

 うちの学校(コース)はすべての学生にMacBook Proを購入してもらうことになっており、現在は例のUSB-Cしかないモデル。 毎年G/W辺りまでは、初期設定やら基本操作でドタバタする中、先日もワイヤレスネットワーク接続のトラブルで一悶着。

 そんな中、同僚から聞いた話が、現MacBook Pro搭載のUSB-Cが、2.4GHzのWi-Fiと干渉する、という構造的問題。 教えてもらったリンクを読んで唖然。 というか、あぁ、それで... という感じ。
 それでなくても、このCしかない今のMacノート群、単体で動かすぶんには格好良いけど、充電器やら有線Ether、USBマウス、タブレット、外付けドライブにカードリーダーなんぞを使おうとすると、不細工なアダプターが多数必要で、結果美しく無い様態、机の上やカバンの中もアダプターだらけになってしまいます。

 上記リンクのような事情を知らない間は、かつてUSB(いわゆるType-A)が初代iMacに搭載され、それまでのレガシィインターフェースが一掃されたように、やがてはすべての外部接続はCになるかなと思っていたけど、いやはや、こんな代物だったとは。
 
 私が今こうして文章を入力しているMacBook Pro.は、BTOで3GHzのi7にしたのと、ここしばらくintelのCPUの進歩が停滞しているので今でも特に遅いとは感じません。 それどころかポートはUSB-AとThunderBoltを各2基、HDMI、SDカードリーダーのタイプと豊富で、結構これは今でも悪く無いMacノートではないかと密かに安堵した、というわけです。

Usb

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2018年冬アニメの秀作「よりもい」

 ここしばらく、日曜の夜から朝が一番リラックスできるスケジュールになってしまいました。 夜景見ながら酒飲んでほっ。
 で、2018年冬アニメについて書こうと思っているうちに2018春も三話ほど進んでしまいました。 しかも今季は豊作なので、ああ時間が足りない。

 2018年春作品について、以前いくつかのお気に入りを紹介した中、この時点で見続けるかどうか迷っていたのが、「宇宙より遠い場所(略称:よりもい)」。
 だって最初は、あぁこれから女子高生達の日常系自分探しがだらだらっと続くんだろうな、と勝手に想像していたからです。

South

 が、ここがやはり物語は脚本なり監督なんだろうよ、でした。
 いわゆる思春期の女の子ばかりで、恋愛ネタなど一切無く、それぞれが重い思いを引きずっているという設定。 ある者は母を突然南極で失い、いつかは南極に行きたいと思う。 しかし、それを夢で終わらせないためにバイトにバイトを継いでリアルに百万円貯めてしまう。
 その金を元に南極に行きたいという気持ちをクラスメイトにあざ笑われ、ある者は些細な裏切りで高校を辞めてフリーターになってしまい、ある者は南極出発直前に幼馴染に裏切られ、ある者はアイドルの地位にありながら自分の存在を見出せない、などなど。

 そして彼らを安易に南極に行かせて「南極、なんてスケールでかーい」とお悩み解決でもない。 ちゃんと所轄官庁や団体に取材してリアリティを補完し、そして死んだほうがマシと思える程の外海の船酔いも描写する。
 いや、何これ? いつのまにディスカバリーチャンネル?
 
 この時、見続けるかどうか悩んでいた別の作品が「刻刻」。 タイムリープものは結構好きだし、キャラクター原案を勤めた梅津泰臣の絵も好きなんですが、話のテンポが悪すぎた。
 よりもいとの表裏を分けたのは、共に録り貯めた半分の六話あたりをつまみ見した時。 前者はもう南極に向かっていて、刻刻はまだだらだらと情けないオヤジの心理描写とかやってて、ほとんど話が動いていないように見えた。
 この差を見て、あ、やっぱり話のテンポって大事なんだ、と痛感。
 ということで刻刻は切り、よりもいは毎週再生する地位に成り上がり。

 私個人の性格として、話作りをするときにどうしてもリアルにこだわりすぎ、いわゆるファンタジー要素というか、夢が無い傾向になってしまうのが気になっています。 が、よりもいを見て、いや、そこじゃないのかな、リアルにこだわっても夢はいくらでも表せるのだと改めて思わせてくれた作品でもありました。

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叱責を知らない子供たち

 滋賀で19歳の警察官が指導役の上司を自分が管理する拳銃で撃ち殺した事件、まだ詳細は明らかになっていないものの、とりあえずは叱責というか罵倒されたことでかっとなったんだとか。
 今時の警察官ってなかなかなれるもんじゃなくて、採用後の訓練も厳しく、そんじょそこらのアホヤンキーでないことはわかります。
 
 が、叱責されて? でピンと来たのがうちの学生。
 授業が終わり、階段を降りていると、下の教室の扉が急に大きく開いて危うく私の顔に当たりそうになりました。 思わず「おっ」って声をあげたら、他コースの学生がすぐに「すいません」と言ったし、まぁ事故には至らなかったので、ふと「気ぃつけやぁ、危ないでぇ」と私は普通のおっちゃんの口調でコメント。 もちろん、これは同じような事故が学生間で起きないようにという意味も含んでいました。
 ところがその彼、即座に「そんなん、仕方ないですやん」と逆切れ風返事。 年齢的にも今回の警察官と全く同じ。
 
 私、一瞬、何を言われたのかわからず絶句したら、一緒に降りて来た他の教師が小さい声で「叱られ慣れてないんですよ」とアドバイス。
 あぁ、担任持ってるとこういうのは日常茶飯事なんでしょう。
 
 つまりは「褒められて育つタイプです」で大きくなったのかな、と。 裏を返すと、注意も叱責も受けてこなかった。
 だから、アドバイスというか、伸ばすための注意が、口調や態度を取り違えると叱責を超えて罵倒と取り、いや、そもそも注意と叱責と罵倒は同等なのかもしれません。 そして慣れてないもんだからそれにより湧き上がる感情を抑えることができない、と。
 まぁ、学校の先生も下手に強く注意して、親からPTSDだのなんだの抗議が来ると面倒だしね。 所詮他人の子供だしね。 いや、実の親すら叱り方知らないしね。
 
 あとは、会話のすれ違いかもしれません。 以前私がJR車内で目撃した壮年と青年のトラブル(にもならなかったんだけど)、互いの会話が全く交差してないのに少々驚きました。 今思い出すと、若者の方が批判に対して向き合おうとしてませんでした。 まさにギャップ。
 今回射殺された警察官は四十代ながら、二十歳のコミュニケーションギャップがあったんでしょうか。 
 
 しかし。
 警察官とトラブルになっても、絶対に攻撃はしてこないから安心だ、みたいなことを若い頃に軽口叩いてましたが、今後はちょっと考えないとなぁ。 いや、逆に繁華街のトラブルで、イキって暴言吐いたチンピラの頭を若い警察官がぶち抜いてくれれば世の中は少し静かになるとか?

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グラフィックワークとテキストエディター

 少々唐突ですが、たまたまテキストエディターの話をしたので付け加えておきます。
 
 紙であれwebであれ、グラフィックデザイナーは原則として文字入力はしないことになっています。 仕事にはプロのライターや、クライアントからテキストが来る、という原則に立っているからです。
 
Com_tab ですから作り手側は、仮にそれがwordの文書であったとしてもプレーンテキストに落とし込み、それをお気に入りのテキストエディターで読み込みます。 そしてMacならCommand+タブでグラフィックアプリケーションと交互に切り替えてコピー>ペーストを繰り返すことになります。
 
 ところがIllustratorの作業で、流し込むデータをIllustratorの余白というか、アートボードの外にべしゃっと全文貼り付け、そこからTEXTをコピーする使い方をする人をたまに見かけます。 以前働いていた社会人向けの専門学校でもそういう受講生が多々いて、なんと講師の一人がそう指示したそうで、これには驚き。
 曰く、その方がテキストの貼り込みミスが少ない、という理由だそうですが、デメリットの方が多いので、これはやめておいた方がいいです。

 列挙しますと...

・この方法はIllustratorしか使えない。
 余白の概念を持たないInDesignや、その他web系には応用できません。
 
・画面スクロール量が増える
 文字群を貼った場所から制作部分が離れるにつれ、そこと行き来する量が増える。 それを嫌ってズームアウト気味にすると、細かいずれなどに気付かなくなる。

・文字属性を引きずる
 Illustrator内でコピペすると、コピーされた文字の属性(フォントや大きさなど)も引っ張って来るので、いちいち指定しなおさなくてはならない。
 テキストエディターからなら、もとから文字属性がないので、その問題は起きない。

・Illustratorの不安定化
 世代を重ねても、Illustratorは2バイト文字は苦手。 ファイル内に日本語が増えれば増えるほど不安定となる。 ましてや、Illustrator上で文字を多数入力してゆくなど効率が悪すぎる。
 実際、講習中に飛ぶ受講生のほとんどは、Illustrator内に元テキストを張り込んでいました。
 
 という事例も含め、前にも書いた検索機能なども含めた、自分の趣味や仕事にあったテキストエディターを一本必ず見つけましょう、というお話でした。
 この巻、終わり。

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信頼のテキストエディター、Jedit

 パソコンで何かしら仕事をしていると、文字入力は避けられません。
 パソコン通信と共にグラフィックの世界に入ったので、いわゆるプレーンテキストしか必要ではなく、修飾された文字が必要な時はIllustratorを使う習慣が身についてしまいました。
 そして時代的にもまだパソコンの性能は低く、サクサクと入力するためにもワープロソフトよりもテキストエディターを常用するようになったのです。

 まだMacがマルチタスク非対応だった頃は、デスクトップアクセサリーという仕組みの中でminiWriter、System7の頃になると単体アプリのYooEditがお気に入りでした。
 それもコロコロ変わるMacのOSやCPUのせいで使えなくなり、やがてJeditというシェアウエアに出会い、以来ずっと愛用、今もこの文章をその最新版であるJeditΩで書いています。

 これもシェアウエアで、無償のエディターが数多ある中なぜ有償エディターかというと、もちろんその機能故。
 大昔、テキストエディターに行番号が表示されるのが、プログラミングのためだと知りました。 実際、今でも「何行目に文法ミスがある」みたいなエラーメッセージが出ると重宝します。

 が、プログラミング時に最も頼りにするのはマルチファイル検索という機能。
 これは指示したフォルダー中のTEXT書類全てから文字列を検索してくれるもので、このハンドラはどこに記載されているか?なんて時に非常に頼りになります。 最近のプログラムやコードはあちこちに分散して記述されていますから、これがないと解析できません。
 
 そしてコードの一斉書き換えにも便利なのが、正規表現による検索機能。
 ここで正規表現の説明はしませんが、一度ハマりだすと詰将棋みたいにのめり込んでしまいます。 プログラム以外にも動画編集時のタイムコード変換なんかにも愛用しています。 いや、こういう仕事こそコンピューターに任せなくちゃ。

 長年愛用してきたJedit Xは32bitアプリのため、MacOS 10.14になったら動かなくなります。 その後継として出たのがJeditΩ
 さすがにこれは無償アップグレードとはゆかず、1,200円払い、正直使いにくくなった面もありつつ(これはMacOSのカーネルに完全準拠した結果かも)、プログラム時に重宝するのが、二つの書類を比較、相違部分をグラフィカルに示してくれる機能です。
 この機能自体はXcodeのようなプログラミングフレームワークでは採用されているものの、swift以外の言語でも使えるのが助かります。 「え〜、そもそもバックアップとどこが違うんだろう?」なんて時に。
 
 下は、前回に続いて新旧のアイコン比較。
 こうして拡大してみると、旧版にはなにか文字がびっしりと。 文字列を検索してみると、なんと竹取物語でした。
 Jedit_icon

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Transmitというftpアプリに金を払った

 チートな仕掛けのおかげでEC-CUBE3の仕事も先が見え、とはいえ簡単だけど細かい調整もあり、昨日寝たのが朝の6時。 起きたのが11時。 まぁ、これでもよく寝れた方。
 
 ところが起きたら頭がフラフラする。 いや、確かに寝酒(朝酒だ)したけど、そんなに呑んでない。 あ、これは脳がオーバーヒートした、と気づきました。
 ここ三週間ほどずっと目と頭の中をコードやらタグが渦巻いてて、幸か不幸か家で仕事をしていると、のべつまくなし問題解決を考えています。 これ、ただの多忙ではこうならないのですよ。
 いくら作業が山積みでも、手順がはっきりとわかっているときは、嫌にはなるけどここまで頭は沸騰しません。 今回は手順も仕組みもわからず、いわゆる手探りの繰り返しだったので、やがて脳の神経、というか脳の神経を行き交う化学物質が音を上げたのでしょう。

 幸いにしてその後、最後の課題も思いがけないラッキーな手段で解決できそうな見通しが立って、久々に頭の中にコードやらタグのない夕風呂につかることができました。
 ああ、なんて甘露な愉悦。

 こんなポンコツでもなんとかかんとか他人の書いたコードをカスタマイズできるのかというと、やはりアプリケーションの存在が大きい。

 まず一つ目はftpアプリ。 
 安全のためには、リモート(サーバー側)のファイルは一旦ローカル(こちら)にダウンロードしてから編集、再度アップロードするのが定石ながら、内容を見ながら試行錯誤するのにはまどろっこしい。
 php、twig、ymlという錚錚たるややこしい拡張子もダブルクリックで開き、そのまま編集、上書きも可能というのは今時のftpアプリでは可能なんですが、その速度に違いがあるの気づきました。

 Macのftpアプリでは実質無償(ドネーション)のCyberDuckが有名ながら、これはツーテンポくらい遅れる。 一方で有償のTransimitというのは瞬時に開いて瞬時に更新してくれます。
 このTransmit、実はもう十年くらい前から使っているんだけど、ダウンロード後、購入しないと一週間で5分くらいで接続が切れてしまうようになります。 逆に5分なら使えるので、ローカルできっちり煮込んで、アップロードだけささっとすませるせこい使い方でごまかしてきました。
 あと、自分のマーケットサイトの自前サーバーがなぜかTransmit以外では接続できない、つまり、Transmitは有償なりのメリットがあるとも気づいていました。
 
 しかし、この価格が5,400円と微妙に高い。
 開発側はもはやシェアウエアじゃないぞ、って感じなんでしょうが、私的には1,200円とかせいぜい2,400円ってところかと。
 てなわけでずるずると五分縛りの下で十年近くごまかして来たわけです。

 が、今度は仕事。 他人の書いたコードを改変してゆくという苦行を前に、そんな悠長なことはやってられません。 ということで先月、ちょっと目に涙を浮かべながらお買い上げ。 うん、でも期待通りですよ。
 気分は外付けドライブって感じで、リネームやら複製やらが、Finder感覚でさくさく使えます。 金(かね)は阿弥陀ほど光る、と亡祖母がよく口にしていましたが、まさしく。

 もう一つ、こういう仕事に欠かせないのがテキストエディターなんですが、それはまたの機会に。
 
 下のアイコンはTransmitのもの。 左の古いバージョンでは室内やらヘッドライト内部まで作り込まれていたのに、新バージョンで退化しているのであった。
Transmit_icon

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php_file_get_contentsの誘惑

Symfony2_book とまぁ、motoGPネタで久々にここを更新できたのは、EC-CUBE3の仕事がやっと一段落したからですが、いや、はっきり言ってtwig/symfony2難しいです。
 あぁこれは暗礁だ、と半ば諦めつつ、ジュンク堂でたった一冊しか出ていないsymfony2の参考書を購入。 おかげで概論はそこそこ分かったものの、具体的に今抱えている問題の解決にまでは結びつきません。

 そんな中、ふと見つけたのが、twig中に直接phpを置くことができるphp_file_get_contentsというおまじない。 これでphpはもちろん、sqlクエリーもこれまで通り使える。
 ところが調子に乗っていると、phpではじき出した値がtwigに渡らないことに気づきました。 あれこれ変数を工夫してもダメ。
 どうやら、twigはphpの中身は完全無視でただ文字通り「得たファイルの内容」を中継するだけのようです。
 別途検索したページでの、twigはあくまでビューに徹しているので、その中でphpをごそごそしようとするのは発想が違う、という指摘が頭をかすめます。
 とはいえ、時間的に背に腹は変えられない。 ならばどんどんphpで作り込んでtwigに淡々と並べさせるだけ。 そりゃ慣れてるから早いわな。(とはいえここでもオブジェクト型ではなく手続き型を踏んでいるというポンコツぶり)
 
 ただ終わってみると、twigだけで書かれたものに比べると美しくないし、なにより進歩がない。 だが理想を追い続けて納期が間に合わないのも致命的。
 これを乗り越えないと明日がない予感もしつつ、今回はこれで許してくれ...

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M.マルケスへの不快感

 仕事も一服したので録画してあったアルゼンチンmotoGPを見たんだけど、とても後味の悪いものでした。
 
 何よりM.マルケスのマナーの悪さ。
 スタート直前のスターティンググリッドでエンストし、押しがけした後、オフシャルの指示を無視してスタート前とはいえコースを逆行。
 それでライドスルーペナルティを受けた後は炎の追い上げ、と本人は思ってたんだろうけど、周りから見たらただの暴走。 ロッシにぶつけた挙句にコースアウト、リタイヤさせたのはただの一例で、そこまで順位を上げてくるのに多くのライダーが危険にさらされていました。
 あれはファイティングではなくバイオレンス。 下手すると殺人行為。
 
 しかもレース直後に出たさらなるペナルティが甘々。 失格や次戦出場禁止くらいかと想像していたら、たったの60秒加算。 あろうことかリタイヤに追い込んだロッシの前の順位。 なんだ? オフィシャルはスペイン人が多いのか?  解説の辻本氏も言葉は控えめながら、始終非難していました。
 さすがにレース後にロッシのところに謝りに行きましたが、かつてさんざんラフプレーを繰り返した彼ににさえ断られる始末。
 
 クラッチローが結構好きなので、その点からは祝福をこめてもう一度見直したいところなんだけど、後味悪くてすぐに消去してしまいました。

 次戦、彼以外の全てのライダーがボイコット欠場したら良いのにね。 今回のミラーみたいに一人でグリッドに立って、そこからフィニッシュまで一人だけが走る。 そうまでしてポイントが欲しいのならくらいくれてやらぁ。 と。

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国技を名乗るのやめてほしい

 人命救助をしている女性に土俵から降りろと告げる
  → バカ
 
 その後、大量の清めの塩を土俵に撒く
  → バカ
  
 マフィアのドンのような服装で、焦点定まらない視線で妄言吐きまくり元横綱
  → バカ
  
 相撲協会
  → ここが一番バカ
  
 
 ろくに勉強もせず、思春期の頃からいじめとしごきの中で格闘技ばかりやっているとここまでバカになるのかな、と。
 もう国技とか装うのやめてほしい。 日本人として恥ずかしい。

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