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2017 2学期の放送大学「認知心理学」

 ここ二年ほど、学校の行き帰りに放送大学を聴いています。
 これまで二十本近くのコンテンツを勉強させていただいた中、先に終わった2017年2学期の「認知心理学」と「認知神経科学」が異常なほど面白かったので報告しておきます。
 
 認知、とつくとすぐに認知症を思いつく人が多いと思います。 が、今時は我々の時代の心理学というのが認知心理学という名前になっている、と認識して良いようです。
 非常勤ながら講師として専門学校で長年生徒を教えていると、はて、そもそも「教える」ということはどういうことなんだろう、と考えることがあります。
 もちろんそれは他人の脳に働きかけ続け、私のようにグラフィックデザインをパソコン操作を通じて教えていると、手を動かした作業も伝えることになります。 さて、それらは他人の脳の中でどう根付き、どう生かされるのか、あるいは残念ながら忘れ去られるのか。
 
 そういうともすれば禅問答的な泥沼に陥りそうな疑問を、最新の科学で解き明かしてくれるのがこの二つの講義でした。
 前者はより概念的に、後者はより生物学的なアプローチで、共に別の講座ながらたまたま同時期に放送されたことにより、ほぼ同じ項目を別の視点から補強し合うという非常に密度の高い時間となりました。
 
 全15回、二つ合わせて30回の内容をまとめるのはとても無理ながら、私なりに新たに得た結論というか仮説は、やはり日本語教育は非常に重要だということ。

 曰く、人の記憶というのはコーヒーの中に溶け込んだミルクのように、最終的にはどろどろに溶けた概念となってしまい、一つ一つはもう形としては存在してないそうです。 ただ、そうなればこそ我々は様々な形と時間から記憶を呼び戻し、それを複数組み立てて思考として完成させるようです。
 
 そのためには宣言記憶という主に言葉主体で、そして手続記憶という主に行動で脳に体験させ、それらが合わさって、長期記憶となることを知りました。
 これを私の授業に当てはめると、専門学校ゆえの実習(手を動かしてアプリケーションを駆使)は当たり前として、それを「体で覚えろ」という昔ながらの徒弟制度の掟で終わるのではなく、正しい言葉で説明することも同時に行わねばならないと見出せます。

 例えば、アプリケーションの操作をするとき、非常によく覚えている機能を利用する場合を除けば、「確かこうしたはず...」と手を動かし、アプリケーション内をさまよいます。 これは行動が主な手続記憶。
 そして「確か色調補正というメニューがあって、その中のレベル補正...」と探すのは言葉であり、宣言記憶を頼りにしているわけです。
 そのとき、言葉が曖昧で、「この辺のこれを適当にこうすれば...」と教えていると、生徒は手探りである手続記憶を忘れてしまうと、もう二度と目当ての機能にたどり着けなくなってしまいます。
 これは教育の、というと大げさなら、一つのレクチャーの失敗となります。

 ということで、日本人であれば母語である日本語でちゃんと教師は教えなくてはならないし、教えられる側も正しい日本語を理解しなければ記憶、ひいては知識や知恵は発達しない、ということを論理的・科学的に教えてもらった気がします。
 
 え?ということは最近はやりの「英語で物が考えられる」「小学校からの英語教育」ってどうよ?って話? という興味を持たれた方、奇しくも認知心理学の最終回では、外国語での学習、つまり留学について非常に興味深い内容に触れられていました。

 触りだけ言うと、30年前に米コーネル大学に留学して学位を取った東大名誉教授ですら、「外国語で授業に参加すると頭が悪くなった気がする」という感想を持った、という非常に興味深い内容だったのですが、あ、長くなった。
 続きはまた今度...

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