人の顔に見えてしまうのは仕方ない
昨日の記事の写真、人の顔に見えます。 (朱を差したのはご愛嬌)
天井の木目に人の顔が!と同じく、一度そう見えてしまうとなかなかそのイメージを剥がすことができません。
なんてのは、人はもちろん、生き物の本能なのだそうで、生まれたての子ザルでも乳をもらう母親の区別ができるとか、敵味方、喜怒哀楽(特に敵としての威嚇)などの判断のために、一対の目を中心とした顔判断は、視界の中からもっとも優先されて脳で判断されるんだとか。
「なんか人の視線を感じる」というのも、普段は全く意識していない視界の端に、一対の目のようなものがあり、それをいち早く脳が気づくから、という説もあります。
また、デザインの授業で毎年する話で、人の怒っている顔に人は最も注目するという実験結果があり、車やバイクのヘッドライトに吊り目が多いのはそれを意識した結果です。
え? なんで?
怒っている顔の車には対向車のドライバーがいち速く気付く、つまり安全につながる、というわけです。 うちのクルマが歌舞伎役者みたいな顔になったのはそれが理由だったとBMWの技術者に聞いた時には思わず唸ってしまいました。
もちろん、その反動もあって、ミニだとか日本の一部の軽自動車みたいにクリクリした丸い目の車も愛されますけどね。 でも共通しているのは一対のヘッドライトは目として認識されている、ということ。
脳って面白い。
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