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小学校からプログラム教育

 小学校から英語教育、高校では全部英語で英語教育、とろくに日本語も教えられない日本の教育を司る文科省が、今度は小学生からプログラム教育をすると言いだしました。
 
 こいつらほんまに一流大学出てるんかね? と思わず低次元の文句を垂れたくなるこの話。 と非常勤仲間に切り出したら、いや、それは文科省じゃなく、何か実績を残さないと、と省庁にあれこれ気ままに口出しする政治家が悪いんじゃない?と言われて、それはそれで考え直してみたりもしますが、なるほど、これが成長戦略ですか。

 発表されてすでに時間が経過していますので、賛否両論ある程度出た中、とりあえず原本とも言えるの文科省のドキュメントを見た上で私なりの考えを書いてみたいと思います。

 ここで文科省自体が最初に書いているように、そもそも小学生に「プログラミングを学ばせたい」のではなく「プログラミング『的思考』を学ばせたい」のであって、そこのところの理解をよろしく、ということです。
 プログラミング的思考って?という疑問に対しては、この書類自ら「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」とはっきりと定義づけられており、それはそれで明確です。
 
 だが、それを学ばせるのに果たしてプログラミングが最適なのかというと、私はそうではないと思います。 というか何より問題なのは、この一筋縄では行かない単元に対して一定時間他の教科時間が削られるわけで、それでなくても小学生の頃の教育不足と思われる二十歳前の学生を毎年見せつけられている立場として、これ以上何を割くんだ、と訊きたいところです。

 何より最近言われるとことの言語力、つまりは日本語によるコミュニケーションがどんどん怪しくなってゆく中、まずはそこをちゃんとしないと、プログラミング教育も含めたすべての教育が子供に伝わらない、という当たり前の問題をはっきりと見直して欲しいのです。
 
 んでまぁ、恐らくはmit(マサチューセッツ工科大学)が開発したscratchか、あれを参考としたパチモンを使ったりするんでしょうか、あれも日本語版があるとはいえ、所詮思考は英語。 早期英語教育や、英語づけ授業どころか、義務教育の英語すら教えられない今の学校と生徒の状態で何がプログラミングなんだか、とも白けています。
 
 では何もしなくて良いのか、というと、全くそんな無責任なことは考えていません。
 上記貼り付けた「プログラミング的思考」ってのは今更独立して教えるものではなく、例えば算数、理科、工作、家庭科の主に理系科目の基礎をちゃんと教えることができていれば身につく問題だし、事実プログラミングがない時代に教育を受けた世代はそうしてこれまで遭遇した問題解決をこなしてきたわけです。
 おそらくこれまでも工作や家庭科などは真っ先に朝令暮改の教育改悪に侵されてきているはずですから、もうあとはどこから削るのかと首を傾げます。
 つまりはそういう基礎的な本来抑えるところが抑えられていないにもかかわらず、場当たり的な対症療法で解決しようとし、あわよくば日本社会の成長に結びつけようというところが低次元で安っぽい発想です。
 
 まぁ、でも冒頭に述べたように、これが文科省独自案ではなく、政治家のマーキング立ちションベン的ゴリ押し発想が発端だとしたら、ホント大迷惑な話です。 そんなのを最低二千数百万円も国民は金出し合って飼育しているわけで、ああ、なんてことなんでしょう。
 
 かつて、ゆとりを言い出した議員は今の白痴化社会を生み出した責任を何か取ったのでしょうか。

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