戦艦三笠
昨日に続いて母家にあった祖父の絵はがきネタ。 あ、同時に蒼き鋼ネタでもあります。
今でも横須賀に展示されている戦艦三笠。 そう、蒼鋼ではナノマテリアルを塗布されて、ハルナとキリシマ撃破に利用された日露戦争時代の戦艦です。 残念ですが私は現物は見ておりません。
八枚組絵はがきの袋に押されているスタンプには1929年、昭和四年です。 その内の二枚の写真が面白くて、一枚は展示後の写真。 1925年(大正14年)頃の三笠です。 そしてもう一枚は下部のキャプション通り1906年(明治39)の姿で、「再生」とあるので、恐らくロシア・バルチック艦隊との海戦での損傷を修理した後の写真ではないかと思われます。
展示されている姿と比べると煙突のカラーリングや船体の色等、文字通り色っぽい姿をしています。
私は歴史については非常に浅い知識しかなく、この辺りの事情は数年前にNHKで放映されていた司馬遼太郎の坂の上の雲で印象深く記憶しています。 それによると、軍事的な勝利だった日清戦争と比較して、ロシア軍人の貴族的厭戦観による戦略ミスの色合いが濃いようでした。 が、勝ちは勝ち。 逆に負けていたら、下手すると日本は今頃ロシアの一部、あるいはクロアチアのようになっていたかもしれません。
なお、この三笠展示に関する経緯、公式ホームページを見ると興味深すぎます。 軍港であった横須賀にありながら空襲を免れたことは幸運ながら、むしろ戦後の日本人の私利私欲で滅亡寸前まで追い込まれたことが、いかにも物語。 おかげで当時のソ連が要求していた完全解体をすり抜けたことができたのは皮肉ですけどね。
一方、祖父に思いを馳せると、この絵はがきを買った時には大凡二十代前半。 米子鉄道管理局のしがない鉄道員でしたから、昨日の境港でのUボート見学はともかく、横須賀に赴いたとは考えにくい。 他にも木箱の中には栗林公園や松島、伊勢志摩、など、当時の若造にとってはそうそう訪れることができない場所が多々含まれています。
考えるに、当時はこういう絵はがきを売る店があって、そこで様々な種類の絵はがきを買っていたのだと想像します。 本屋で併売されていたのかもしれません。
インターネットはもちろん、テレビ、ビジュアルに溢れた旅行雑誌も無い時代、こういう絵はがきも立派なメディアだったというわけです。
この祖父、私が物心ついた時には仲が良かったのに、晩年は自分でも恥ずかしい程反目していました。 蒸気機関車の機関士だったことや、この手の船舶への興味等、今の私のメカ好きに少なからず影響を与えていることは明らかで、もう少し仲良くしてよけば良かった、と改めて後悔しています。
あ、いや、母が死んだんであって、祖父の遺品の話をしている場合じゃないんだよなぁ、うん。
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