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抹殺が当然とする抗議にどう対処すべきか

 いや、日テレのドラマへの抗議、波紋が広がっていますね。 そしてその陰に隠れていますが、ANAの金髪+鷲鼻広告も。
 
 ドラマに関して、何せ野島、私としては彼のドラマはシアワセにどっぷりつかっている人が温かいリビングでハラハラドキドキしながら見るもの、つまり私みたいなタイトロープな人生を送っている人間にとっては全く興味がありません。 だから突然放映中止になっても別に困らない。
 
 しかし、それで良いわけではありません。 最後は謝罪するとか土下座してもいいから、とりあえず日テレには予定通り最後まで放送して欲しいと思っています。 でないと、このままでは「抗議という一瞥正義」にすべてが押し流されてゆく今の風潮が、ますます固定化されてゆくという危惧を持っているからです。
 
 もちろん今回も含めて、マスに対して個が声を挙げ、それが届き、再考を促すことが可能になったことは、本当に素晴らしいことだと思っています。 しかし、抗議する側は必ずや相手が聞き入れ、中止や訂正、謝罪をすることが当たり前だと思い込んでいる風潮には賛成できません。
 もともとこの手のマスに対する批判は、主に左やリベラルが主張してきたものです。 しかしそれはこれまたリベラルが重要視する表現の自由を奪うことでもある矛盾をはらんでいることに気付いているのでしょうか。
 理想は、問題提議をありがとう、では一緒に考えてみましょう、という席を持つことです。
 
 日本人は議論が苦手だとよく言われ、実際、仕事の場を通してそれは自分も感じています。
 例えば会議で、議題となっている懸案を批判すると、その担当者はついつい自分が否定されていると捉えがちで、不要な感情論に流れることを多々経験しています。 いや、違うんだよ、あんたの仕事を批判しているだけで、あんたを批判してはないんだよ、なんですが、これが取引先や年上、上司だとなかなか言えない。
 それでも日々の仕事だと、まぁまぁ、ってな話になって、一応穏便にすむのですが、今回のように公の場で突きつけられると、途端に日本人の議論力不足が露呈し、生か死か、みたいな極端な結末となってしまうのだと私は考えています。
(もちろん、この生か死か、についても実際に関係者が切腹するわけじゃないから、まぁまぁ、ここは頭を「下げたるから」早いこと終わりにしましょう、っていうトコトンのなぁなぁ主義とも言えるのですが)

 そして別途思うのは、大企業があまりに無思考過ぎること。
 ドラマで言えば、野島であることと、脚本上のあだ名が何であるかなど、事前にチェック、印刷物であれば校閲にあたる作業ができたはずです。 そしてANAの広告に関しても、代理店から広告内容についての細かな資料が上がってきていて、共に知らなかった、なんてことは絶対にあり得ません。 つまりはみんな下請けと代理店に丸投げ。
 実際、今ごろはドラマのスポンサー、広告内容の差し替え(前倒し)など、広告代理店は走り回っているはずです。(まぁ、それも彼らは大して悲劇とは捉えてはおらず、またいつものことか、とシニカルに納得しているはず。それと引き換えに多額の一般管理費をせしめているわけですから)

 皮肉抜きで、テレビ局にもスポンサーにも企業にも広告代理店にも、優秀な人材が多数いるわけで、抗議が来ました、はい関係者謝罪の上すぐに引っ込めます、みたいな無能な対応に終始するのではなく、それはそれ、これを機会に深く考えてみましょうよ、的な本当の大人の議論のスタートにするくらいの時代にそろそろ入ってもらいたいものです。
 本来抗議、反論というのは、そういう思考開始への突破口として存在するはずだと私は思うんですけどね。

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