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小説家 広岡達三

 先日FSX絡みで国内空港及び経路図の本を買いにジュンク堂本店に行きました。 その前に1Fのコミック売り場でいしいひさいちのコーナーを探すのですが、ほとんど壊滅状態。 かつてはずらっとディスコグラフィー的に並べていたこのジュンク堂ですらこの有様。 なんだろうなぁ、天下の朝日新聞始め、現役で連載をいくつか持っている四コマ漫画家なのに。
 
 とかブツブツ言いながら少ない在庫を見ていると、「ヘン」という徳間書店から出ている本が見つかりました。 例によってビニールでロックされているので、店員さんに言って中身を見せてもらうと、なんといしいひさいちが架空で作り上げた小説家、広岡達三のエッセイ集。 およよ。
 奥付を見ると2010年初版。 ううう二年も知らなんだ、だから彼の新刊って探しにくいのよ。
 
 さてこの一冊、小説家である広岡達三のことを知らない人にはちょっとややこしい話です。 当然ながら彼はいしい氏の創作物(人)で、名前もキャラクターも元ヤクルト監督の広岡達朗氏です。 が、むしろリアルの彼とのつながりはそれまでで、小説家広岡達三は既に全く別のキャラクターとしていしいワールドの中で独立しています。
 
 おっと、話が長くなりそうですね。 短くしましょう。
 この「ヘン」という本のタイトル、同出版社のこれまでの「ホン!」「フン!」から続く一連のシリーズでとも言えます。 いしいひさいちは恐らく「むさぼるかのような読書家」で、これまでも他出版社から「ほんの一冊」という彼個人の書評が出ており、その結果、今でも私にとっては意味不明の難解本である「現代思想家の遭難者たち」という既に四コマ漫画家が表したとは思えない出版にも至っています。
 小説家広岡達三は「わたしはネコである」という作品がいわゆるソロデビュー作である筈で、このほんの御陰で私はいつか鎌倉に住みたいとか言い出すようになったわけです。
 あ、やっぱり話が長くなった。 「ヘン」に話を戻しましょう。
 
■「日々と本の私」:こっそり告白してしまうならば、本自体は、たしかに愛好しているけれども、読むほうは、つまりまあ、とても好きというわけでもないのである。
■「花を見る」:満開時のなまめかしい風情も良いが、どちらかというと盛んに散りゆく桜を眺めるのが好きである。
■「わが感傷旅行」:もうどこへも行かずに、部屋に閉じこもって、本でも読んでいたいという気持ちが、ふとこみ上げてくる。
■「眼鏡を壊す」:べつに告白というほどのことではないが、私は乱視である。
■「それにつけても……」:だがしかし、それにつけても、カネの欲しさよ。
■「冬の夜」:だが、もう眠れない。暗がりで、しばらく目をぱちぱちさせていたが、あきらめて、起き上がった。やれやれ。

 内容的には、夏について彼(広岡)が辟易していることを除いて、まるで70代になった私自身が未来に書いたんじゃないかと思える程うなづける内容で、惹き込まれるというより、むしろ奇妙さを覚える程でした。
 
 中でも、
 「春の惑い」の、『男が、女性を眺めるのは、避けられない。それは男の内臓的な生の喜びだと私は信じる。だが、そこにやがて一抹の不安と悲しみが交じるのも、どうも避けられないようである』
 そして、さらに中でも、
 「いかに歳をとるか」の、『取り立てて自分の年齢を意識にのぼらせていないとき、恐らく私は自分のことを、二十四、五の若者として、あるいは場合によっては、ハイティーンあたりにとどめているように思われる。(中略)ふとショーウィンドーを見る。そこにはよたよたと歩く老人が映っており、思いがけずにそれが自分であることを知るのである。』に至っては、笑えない自分の気持ちが記されています。
 期せずして、たまたま日曜朝にやっていた対談番組で年齢差婚をした芸能人が出ていましたが、彼らの言っていることは全てまさしく「気分はハイティーン」の錯覚でしかないことがこの本で既に証明されていたのに苦笑。
 
 この本、奥付にはシャレとして広岡達三のマルCが残されているとはいえ、実態はいしいひさいいちの著作。 彼は私より数年年上の筈で、七十代とおぼしき広岡達三の年齢ではないのは当たり前ですが、それでも痛いほど男の老いの様々をここまで創作できるのは、やはり彼の非凡さであると改めて感じ入ります。
 というか、クラシックな文体、癖のある句読点の打ち方、そして文中にいかにも広岡達三の観点として埋め込まれている数々の著者と著作の引用等、いしいひさいちがいかに本の虫であるかということも伝わって来て、もしかすると私が漠然として抱いている老後感は一見、広岡達三に似ているけれども長年のいしいひさいちファンが祟って、刷り込まれてしまった結果でないかと思うと、これまた奇妙なまでの印象を受けました。
 いや、私の知る限り、いしいひさいちは広岡達三ほどシャレた人物ではない筈で、そういう点では彼もまた自分の創作物でありながら広岡達三に憧れて、彼なりのダンディズムを転写し、かつ憧れにしているのかもしれません。(おお、表現が我ながら文学的じゃ)
 
 まぁアンチエイジングも良いし、死ぬまでロックも良いけれど、こういういわゆる仮死体験ならぬ、仮加齢体験的文章に触れてみるのも悪いことではないか、と大型連休最終日にあっという間に読んでしまった一冊のお話でした。

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コメント

 やはり「頑張れタブチくん」が大きな転機だったでしょうね。
 かなり後になって、あの作品で課せられた高額な税金を吹田市役所に(汚い格好で)収めに行ったときの窓口係員の対応を書いたりしていましたっけ。
 漫画の方も、タブチくんやヤスダはののちゃんの学校の教師だし、良いキャラクターとして残っています。(まぁ、モデルにされた本人達はどう思っているかわかりませんが)

 ただ、私が彼にはまったのはどちらかというと「Oh!バイト君」でした。

投稿: あやおば | 2012年5月 9日 (水) 00時21分

いしい氏と元ヤクルト監督 広岡氏と言えば…
「がんばれ!タブチくん」が真っ先に脳裏に浮かびましたわ。

当時中…ゲフンゲフン…学生だった私しが読みあさっていた漫画の一角でゲスな。
特に好きだったキャラが、当時全盛期の阪急「ゴキブリ フクモト」。
「タブラン」なんて流行語大賞が当時に有れば、きっと受賞候補のNo.1だったでしょうね。

投稿: 蝦夷男爵 | 2012年5月 7日 (月) 18時23分

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