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54歳の時計物語(3:天賞堂)

Tenshodo_angel そうなんです、天賞堂です。 NHKのブラタモリを見ている方なら、番組途中の「ブラタモ写真館」のタイトルバックに出てくる、あのお尻をこちらに向けて横の道路を覗き込んでいる天使が敷地角にいる銀座のお店、と言えばおわかりかもしれません。
 
 小学生の頃、TMS(鉄道模型趣味)という雑誌を通して、当時主流だったHOゲージの現実というか、価格を知り絶望を知りました。 一ヶ月の小遣いが300円とか500円の時代に数万円の模型は、誇張抜きではるか天空の彼方の孤高の趣味としか見えませんでした。
 だからこそ子供たちは、その後に出た走行系以外はオールプラスチックで、比較的廉価なNゲージに走った訳ですが、それはともかく、そんなHOゲージのモデルメーカーの中にあってトップブランドだったのが天賞堂だったのです。  その当時から機関車一台十数万円という価格があたりまえで、子供心にこの先恐らく一度も自分の手にすることは無いだろうと思っていました。
 
 それを変な形で実現してくれたのが中学から高校時代にバイトしていた大阪の交通科学館(現交通科学博物館)。 今でも訪れる人たちの大人気である、例の大レイアウトで使用する模型のメンテナンスで多数の天賞堂製品を手に取ることができました。 ただし、この作業は私があまりに仕事の能率が悪かったために取り上げられました。 まぁ勝手に編成組み替えたり交流区間を想定して片パンタにしたり、ヘッドマーク取り替えたりしてたから当然と言えば当然ですが...
 んで、主に清掃や切れた蛍光灯の取替、故障した展示物の修理の仕事に回されました。 しかしここはマニアにとっては面白いものが山盛りのバイト先。
 
 まずは、同じ鉄道でも縮尺が1/20位の大きな車両模型。 全てではありませんが天賞堂製が多く、さらにワンオフですからその清掃には非常に気を遣ったのを覚えています。 さらに感動したのがライト兄弟以降から当時最新鋭機だったB747までのオールラインナップの航空機模型の殆どが天賞堂製で、その全てに小さいけれど明確な製造プレートがついていたのは感動しました。
 
 その頃になって天賞堂が単なる鉄道模型メーカーではなく、明治時代から続く高級貴金属店であることを知りましたが、私としては鉄道模型だけではなくこういう木製のディスプレイモデルまで手がけていたことの方が驚きでした。
 今でも悔やまれるのが、当時博物館建物の一番奥の作業部屋に置いてあった天賞堂製コンコルド。 それも当時実際にオプション注文まで入れていた日本航空のカラーリングで、尾翼にはブルーストライプに斜めにした日章旗、そしてサイドにもブルー&ホワイトの時代。 ああ、時代が少し違っていればこの機体が日本と世界の大都市を結んでいたかも、です。
 表の展示から外されてこの裏方の部屋に放置されていたので、捨てるのならくれ、とかなり粘りましたが、立派な資産だし、当時でも一機十数万円程したとかで、そう簡単にはいかん、と断られました。
 
 なぜ大阪の博物館に銀座の天賞堂の模型があったのか、今になって考えてみると、東京神田にあった交通博物館に倣ったのかもしれませんし、或は当時、展示に耐えうる模型は(たとえ高価であっても)天賞堂しかなかったのかもしれません。
 
 おっと、つい変な方向に話が流れてしまいました。
 そんな天賞堂の時計だから、さぞかしお高いんでしょう?と思ってそのpenの記事の末尾の価格を見たら、へ?11万円? 一桁違うんじゃない? とサイトを見てみたら、オリジナルウオッチは全て適切というか、納得がゆく価格ばかりで驚きました。
 う〜ん、良いかも...

 さらにさらに後半へ続く♪

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