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「たまのの市」訪問マニアック編

 午後に強烈なめまいと睡魔に襲われつつも、なんとか学生の発表会を乗り切りました。 ふ〜。
 んで、昨日の続き。
 最初、道に迷ったお陰で、ちょっと珍しい建物に二つほど出会いました。
 
Tamano_bauhaus まずは玉野文化会館。看板にはサブタイトルしてBAUHAUSと加えてあります。 ん〜、BAUHAUSと呼ぶには方向性は違うものの、最上部の紋章といい、血筋のしっかりした建物であることには恐らく間違いありません。 掲示板には無線LAN無料開放とかありますから、そもそもこのいしいひさいち関連の動きの中心となっているNPOにしても、みんながんばっている、というのは良く分かります。
 昨日の一枚目の写真にしても、コピーにははっきりと「がんばろう、たまの」とありますから、冷静には別に漫画ファンのためでもなんでもなく、なにかヒントを見つけて街を活性化させようというれっきとした町おこし活動だということががひしひし伝わってきます。
 
Uno_port 宇野が四国へのメインコネクションだった時代は、駅は今とは比べ物にならないほど大規模で、その頃の模型がフェリー乗り場近くのフェリー切符売り場を兼ねた産業ビルの1Fに展示してあります。(ところがこの模型の電車が脱線したまま放置してあるところが、いかにも衰退する地方都市の悲哀を象徴しているようで悲しい)
 その頃にはこの展覧会場に面するこの界隈も「銀座」という名前に負けないほど賑わっていたそうです。 三連休の最終日のしかも昼前後ということで、現状は皮肉にもシャッター銀座に近い状態。 でもそんな中でも化粧品店の入り口に手書きの高校生バンドライブのチラシが張ってあったのには、なぜか救われます。
Uno_town

 とはいえ、昨日の曲者看板といい、駅の案内状にチラシが無いとかの件も含めて、考えてみればこの展覧会の動きが始まってやっと半年ということを考えると、まだまだこの先の方が期待できると考えたいところです。
 スタッフの方と少し立ち話をしたところでは、やはり視野にはみずきしげる氏&境港市が入っているそうで、玉野市もアクセルを徐々に踏み込んで、それがまず広報誌の表紙と先に紹介した原付のナンバープレートで、今後はコミュニティバスのラッピング、登場人物のオブジェ(一体おおよそ百万円ほどかかるんだとか)の配置も検討されているのだとか。
 そういえば、ここに来るとき、茶屋町の駅でJR四国のアンパンマン列車を見かけました。 ここまで大掛かりでなくても、たまたま私が宇野に来たときの三両編成の115系普通電車(昭和57年製だったけど、室内は転換クロスシート改装済みでした)は黄色ベタ一色でしたから、とりあえずはこれをののちゃん列車にすれば良いのではないでしょうか。 この編成は昼前に宇野に到着した後は夕方頃までそのまま係留されているようですから、観光看板としても有効かと思います。
Uno_115

 そうそう、冒頭の珍しい建物の二つ目について忘れていました。
 先の文化会館を超えてさらに西へ歩くと道が少し曲がっている部分に、クラシックな洋館が。 おおっ、と小走りに駆け寄ると、どうもそこはかつて小規模な病院だったようで、まだ病院名の切り文字がはっきり読み取れます。 んで、これが良く見るとちょっと微笑ましいというか、洋館なのは表だけで、裏はむしろ昔懐かしい日本の(しかし街病院として立派な)木造建築で、これはこれで味があります。
 偶然ですが、最初はここに展覧会場を持ってくる話だったのをあとで会場の方から聞いて驚きました。 確かに現在のテナントビル2Fという無味乾燥な環境より、原作通り木造の山田家を再現するにはこちらのほうがはるかに雰囲気があります。
 ただし、夢とは裏腹に、古い故に改装費が馬鹿にならず泣く泣く計画をあきらめたそうです。 う〜ん、まぁ仕方ないかぁ。 世田谷の某国民的漫画博物館のようになるにはまだしばらく時間がかるのかな。
Uno_hospital 
 帰り際,駅の観光案内所のおじさんと話していたら,いしいひさいちの生家は実はここをもう少し先に行ったところだったんだとかで,おばあさんの家はその手前で、実は私が既に通り過ぎていたとか。 余談ついでに加えると,彼のお父さんは今でも稼働している三井造船の社員だったそうで,漫画に出てくるひろしさんそっくりだったとか。 そしてののちゃんはひさいち氏の妹がモデルと言われているそうです。
  
Uno_station にしてもものの哀れを誘うのは宇野駅の見事な(?)衰退ぶり。 瀬戸大橋開通まで事実上四国への玄関口として東京からブルートレイン瀬戸が乗り入れ、山陽新幹線開通までは大阪から頻繁に長大な特急うずしおや急行鷲羽が乗り入れていた貫禄は全くありません。 上記展示模型を発見するまで、どこにフェリー桟橋があったのかも想像できないほどの変貌ぶりです。 でもこれもひとつの廃線跡として観光資源にできるんじゃないでしょうかね。 事実、一般人にはただのがれきにしか見えないであろう桟橋の跡も残してあります。
Uno_pier 
 駅には多くの軽装した外国人が散見され、全く衰退しきっているという訳でもありません。
 皆さんどうもフェリーで渡った直島に行かれるようです。 調べてみたら、お〜、なかなか力が入っているじゃないですか。 彼らは車が無いから日中は一時間に一本しか無い宇野線を利用するしか岡山に帰る方法がありません。 であればその間にひょいと展覧会場に寄ってもらう、ってな計画もありでしょう。
 いしいひさいちの漫画は三省堂の英語教材にもなっているそうですから,この辺りもネタとして使えそうです。
 
Uno_213 さて帰りの電車は往路と違って213系2両のワンマン運用。 213系ってJR東海のもんだと思ってたら,西日本発注のもあったんですねぇ(というか国鉄の名残?)。 微妙に初乗りで嬉しい。
 この車中にも直島帰りの恐らくアメリカ人と思われる四人の女性客が。 話の切れ端によると、どうも日本に英語教師として派遣されているようです。 面白かったのは車中の暇つぶしで全米50州の名前クイズをやってたこと。 いや、ネイティブでも案外50全ては覚えてないようです。 まぁ、日本人でも全都道府県が言えない人が結構いますから。
 そして一人、黙々と「これめっちゃおいしいねん、私にとっての日本名物ね、"MAKUNOUCHI-BENTO"」と黙々と食べておられました。 四名中二人はアストロ級,一人はハンビー級,しかして一名だけキュートなスタイルの方がおられて、やっぱり白人てすごいなぁ、と。 日米の車のデザイン差は、人のスタイルでも全く同じことが言えることに改めて気がつきました。
 
 お後が宜しいようで...

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コメント

 寂れた宇野(築港)ですが1・3・5枚目の画像が含まれる界隈が歴史的にも玉野市の中心であると思われます。元市長の井上澄雄氏の実家もこの界隈で彼が市長の頃に玉野競輪ができました。

 いしいひさいち氏の知っている宇野(築港)は私が知っている頃より華やいでいたのかもしれません。

 

投稿: OMSFC | 2011年10月18日 (火) 21時38分

 コメントありがとうございます>OMSFCさん

 そうです、(表だけの)洋館には確かに「三宅病院」の切り文字をはがした後がありました。 「たまのの市」マップではあのあたりに広岡医院がありますね。
 バイト君に出てくる唯一のガールフレンドの名前が三宅さんなのもなにか関係があるのかもしれません。
 
 あの立派な建物は中国銀行のものだったのですか。 でも地元資本の雄である中国銀行すら撤退してしまったんですねぇ...

投稿: あやおば | 2011年10月15日 (土) 04時01分

1枚目の画像の建物は昔は岡山市に本店のある中国銀行宇野支店でした、5枚目の画像の建物は三宅医院だったと思います。いしいひさいち氏の実家は三宅医院を左(南)に行った辺りです。建物自体はもうないかもしれません!

投稿: OMSFC | 2011年10月15日 (土) 03時00分

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