コントロールできるかも知れないポックリ死
先日、義理弟の母上が急死されたとの連絡が入り、何はともあれお通夜に行ってきました。
急死と聞いて、もしやまた?と思ったら全くそうではなく、ご主人と大阪の繁昌亭に行って大笑いしたあと自宅に帰り、ほな風呂に入らせて貰いまっさ、と入った風呂で沈んでおられたそうです。
義理弟曰く、死に顔も非常に穏やかで、落語や漫談を聞いて大笑いし、外食して帰ってのポックリ、奇しくも誕生日前日まできっちり最後の一年を生き、そして彼岸の祭日に葬式を出すという、願ってもなかなかできない幸せな往生ではないかと、むしろさばさばしていました(もちろんショックがないわけではないでしょうけど)。
それに賛同しつつ、思い出したのが私の祖母の死に方。
法事の前日で親戚が集まり大騒ぎ。 涙が出るほど大笑いして、腹の皮が痛い、やれやれ、と休んだ翌日に心臓発作を起こして死にました。 おかげでそのまま親戚連中は家に帰ることなく法事改め通夜に突入。
さらにその時のメンバーであった義理の妹(といっても立派なおばあちゃん)も数年前、住んでいる奈良から故郷である松江の娘の嫁ぎ先に一時帰郷。 そこで地元の友達連中と飯食ってカラオケ行って大熱唱+大笑い。 そしてその晩そのまま布団の中で死亡。
これって今、老人が盛んに願って止まない「まめまめコロリ」じゃないんでしょうか。
共通ポイントは「大喜び・大笑い」。 もちろん作り物じゃ意味が無くて真の抱腹絶倒。
これまでいささかネガティブな香りのする合法的自殺しか考えなかった私にも、これは何かのヒントになるのでは無かろうかと思ってしまいます。
そこでふと思い出したのは落ち葉の話。
我々は落葉植物の葉が落ちるのは、それぞれの葉が寿命を終えて茎から折れて落ちると思っていましたが、実は茎は自然に落ちるためにはもっと枯れ切る必要があるそうです。 ではなぜ一斉に落葉するかというと、木のどこかから(リーダー格の葉であるという説やら幹であるという説やら)落葉信号のようなものが発信され、それを受信した途端、葉は堰を切ったように自ら落ちてゆくという研究を聞いたことがあります。
これを乱暴に人間に当てはめてみるなら、ある程度の年を経た後に大笑いするなり大喜びするなり、一定の満足度を急激に得たとき、人間のどこかから満足死信号が発信されて自らの命を終えるというシステムの存在が考えられます。
まぁ、ずいぶんでたらめで不謹慎な仮説だと怒られそうですが、少なくともうじうじとネガティブに恨み言を言い続ける人生よりは、豪放磊落に笑い飛ばした方が「ほなっ、さいなら〜」と逝けそうな気がしますね。
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