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さて日本の政治はどこへ行く

 政権交代後三ヶ月以上が経過し、既にマスコミに批判されまくっています。
 先日書いた普天間問題と同じく、結局日本のマスコミは批判しか能がないのかと思うようないい加減さを感じていたら、彼ら自身もその体質を憂いているのか、年明けの毎日新聞の社説に面白い記事がありました。
 
 要するに、マスコミは政治も含めた権力を常に監視し、その力を正しく民のために向けるためにあることを再認識すべし、というような内容でしたが、うん、まぁそういう目的に沿っていれば自民だろうが民主だろうが批判ばかりに見える内容も存在意義がないわけではありません。
 
 逆にマスコミの肩を持つとすれば小沢に対する力の集まり方への疑問でしょうか。
 事実上の民主党のリーダー、イコール日本の政治トップが小沢であることは既に誰の目にも明らかで、しかし小沢が選挙に徹すると言っている間は誰もこれまでは批判することができませんでした。 ところが来年度予算に対して党からの要望という形で異例の一声を挙げると、それがすんなりと通ってしまう辺りから、いや、やっぱり彼の首には誰かに鈴を付けておかないとまずいんじゃないの?という疑念が国民の間にもマスコミの間にも微かながらはっきりと湧いてきたように思います。
 
 一方で、小沢は見た目が悪相なのでそれで損をしているだけで、政治家としての彼の器は単なる田中角栄の後追いに終わるような小さなものではない、という評論家の肯定的な声も以前からあり、気持ち的に私はこちらに賭けたいのですが、どうもどこか焦げたような臭いがする気がします。
 
 小泉の笑顔に私は最初から警戒心を抱いていましたが、それに気付かなかったオバハン大衆パワーが彼の無脳な暴走を許してしまったと思います。
 では逆に悪相の小沢はいかがなものか?
 角栄の手法を倣いながら小沢なりの理想に向かっての修正路線を取ろうとしているのか、ただ単に悪相+悪人で終わるのか。 もともと彼とマスコミは仲が悪いのでこの辺りの姿が国民には伝わってこないことが歯がゆい限りです。
 
 何故ここに私がこだわるかというと、小沢の真の狙いによって、夏の参議院選で民主党に過半数を与えて盤石の体勢に持ち込ませるべきかどうかの見極めにかかわってくるのです。
 景気対策や普天間問題でたった1か2%の弱小連立政党に振り回されているのを見ていると、一旦は衆参両院で安定多数を与えた方が、世紀の政権交代という節目にとっては良いのではないかと思う反面、これが小沢の独裁に繋がり、結局は元々の彼の政治思想の苗床となった自民党的政治を繰り返すのであれば、暴走への微妙な足かせになっている現在の状態の方がまだ良いのかも知れないとも思うようになってきました。
 
 少なくとも2010年の日本は、小沢という人間が本当はどういう人間なのか、という個人への興味と結果に左右されるのではないでしょうか。

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