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少女コミックはもはや哲学

 最近ずっと気になっていることがあり、一昨日辺りから急にそれが膨張しているのですが、そんな掻痒感から逃げるように学生から借りたコミックを読み出しました。

 それは釣巻和(つりまき のどか)というまだ二十歳そこそこの著者で、もともとは学生が教室に置いていた「くおんの森」(森は本来は本が三つになっている)という単行本がきっかけで、これが非常に難解というか、哲学的なのです。 ただ、絵が非常にうまいので投げ出すことなく読めるのが救いです。

 てなことを話していたら、その女子学生が同じ作者の別の作品です、と「童話迷宮」という上下巻を貸してくれたのでした。 いやぁ、凄いです。 大半が小川未明という明治時代の童話作家の原作を下敷きにしているのですが、どう見ても平成の作品に仕上がっていて、むしろ原作はなんじゃらほい?と先ほど小川未明の童話集をamazonで二冊ポチッとな、してしまいました。

 おっと、話は釣巻和でしたね。とにかく絵が圧倒的にうまいし、「くおんの森」を書けるくらいだから、恐らく結構な読書家と感じました。 そういう女性漫画家の描く作品は、少なからず本物の哲学の香りがしてきますから、少女コミックと言ってバカにしていると恥をかきます。

 というか、私の中の少年コミックは例えば北斗の拳のように、あまりにベタと効果線が多すぎて、少年漫画週刊誌の紙質では裏写りするようになった時代で終わってしまいました。 唯一の例外はアラレちゃんぐらいで、鳥山明の単純に見せてはいるものの、しっかりしたデッサン能力と簡潔かつ迷いのない線が救いでした。(他にも好きな漫画家である高橋留美子ですら、うる星やつらの初期は結構酷い絵だった)
 以後、平成の銀魂まで、少年コミックは私の興味外になってしまったわけですが(新谷かおるは青年コミックと捉えています)、こうして釣巻和の作品を今読むと、ある時期の少女漫画家というのは病的に思考の沼に落ちる時期があるのか、恐ろしいほど引き込まれる作品があることに気付かされます。

 あぁ、そうなんだ、そうだったんだ、と心臓が一瞬バクっとするような話の展開は、恐らく同年代の男性漫画家には描けないというか、描こうとしても具象的になってしまってどうも野暮になってしまうような気がします。
 自分の古い記憶を辿っても、高校時代、こちらがどれだけ勉強してきても、全く違う次元の答えではぐらかされてしまった頭の良い女性との会話が思い起こされます。 いわゆる初潮を迎えてからの急速な女性の大脳脳の発達に対して、スカートめくり(死語かい?)で喜んでいた我々の置いて行かれ感と同じです。

 あれ、また釣巻和から話が逸れた。
 で、私が思わず読み返してしまったいくつかの短編のうち、最後まで良い意味での後引きを残したのが、彼女のオリジナルである「月のナイフ」という作品でした。 言葉にはできない難解さ。
 こういうのはコミック以外にも文章、映像でも少なからずあって、大方は作者の自己満足や、孤高で装った破綻が垣間見えるものですが、なぜかこの作品は妙にとらえどころのない具体感が漂っているのが妙に気になるのです。 もちろんそれは手を伸ばせば逃げてしまうほどの脆さなのですが、う〜ん、これについては話が分かる人と酒を飲みながら朝までグダグダ話し合ってみたいところです。

 全く別の観点では、コミックの世界って怖いなとも思いました。
 これ、たまたま彼女の絵がうまくて、しかも私の好みの範囲内だから良かったものの、仮にそうでなかったら、いかに内容が素晴らしくても多分一生私の目には触れなかったでしょうし、素直に感性の中に入ってこなかったでしょう。 この点では文章のみの世界は読み手にかなり広範な自由を許しますから、漫画って凄い創作活動なのだと改めてビビりました。

 恐らく自分が一人でコミック書店をうろうろしてても絶対に出会えなかった作品に、こうして二十歳前後の学生を通して出会えたことに、私はある意味恵まれた環境にいるんだと改めて感謝します。
 やっぱ若い学生相手の非常勤講師生活はいいよ、うん。

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