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つまらん本だった

 「おテレビ様と日本人」(林秀彦)という本を先ほど読み終わりました。
 
 久々に新聞一面下の書籍広告で惹かれ、ハードカバー1,600円という価格も気にせず手に入れたんですが、途中で一週間程挫折。
 何より疲れるのがその文体。著者は哲学専攻で、恐らく若い頃からその分野の本を数えきれないくらい読まれていたのでしょう。 で、この手の文章は一言で言って冗長。
 例えば「私が何よりも、そして誰よりも軽蔑する対象・人間は、テレビを見る人たちである」から始まる三行(P132)は、非常に興味を掻き立てられるのに、そこから60行、足掛け四ページに渡って、軽蔑の言葉の意味がどうとか、といかにも哲学的に書き連ねられているので、実に疲れます。
 その間に浮気して読んだ「環境問題はなぜウソがまかり通るのか3」は三日、「押井守」は一日で読破できたのとはえらい違いです。
 
 もともとこの本を買った理由は、いつもテレビを付けっぱなしにしていることが当たり前のようになっている、我が家の家族への警告という意味があったのですが、これではうちの同居人と息子、娘は理解できないでしょう。 まぁ、私が理解してそれを家族に口頭で伝えれば良いのですが、まず本の内容を咀嚼できないことと、そんな言葉に耳を貸すくらいなら既に我が家のテレビはスイッチをOFFにされてるよなぁ、と諦めました。
 
 私としては元人気脚本家の著書だけに、もっとテレビに対する深い考察がなされていると思っていました。 しかし、あるのは品の良い言葉を借りただけのテレビ(正確には日本のテレビ業界)に対する酔っぱらいの罵倒・恨み節のようです。
 
 私にとってみればこのようなテレビ完全否定論は既に'70年代から読み飽きた内容で、それでも自らの力だけでは到底知り得ない情報を取ることができるテレビとどうつきあうか、ということをそこから40年近く考えてきたわけで、それは今ならパソコンやインターネットとどうつきあうかと同じことなのです。
 著者は馬脚が現れるのを恐れてか、ネット社会についてはテレビ程自信たっぷりに完全否定はされていませんが、「デジタル・ネイティブ」という言葉が生まれている今日、そこ(混沌としたメディアからなにを吸収するか)との付き合いを提案しない否定論は私には新刊であるにもかかわらず、非常に古くさく感じました。
 
 物を考えるには本を読め、とありますが、これにしても既にテレビと同じく企画・編集というフィルターを通った愚作もであり、それに対する危惧は触れられていません。
 
 ところがこの方、非常に多数の著書があるんです。私は彼の本を読んだのはこれが最初ながら、ということはそれなりの支持と評価があるということなんですねぇ。 題名は面白いのが多いので、また他の本も読んでみるかもしれません。
 でも次回は、じっくり立ち読みしてからか、図書館で読むと思います。 少なくともAmazonでは中古で買うでしょう。
 
 ただ、意地で最後まで読んでふと思ったのは、「私は彼が言わんとすることを理解できないまでに『考えなくなった』のかな?」という不安を与えてはくれました。
 私が考えている、と思っているのは「感性」であって「知性」「思考」ではないのかもしれない、と思うと確かに貴重な啓蒙ではあったと思います。
 
 あ、最後に一言。
 私の家族は少なくとも現時点では、連日おテレビ様に白痴化改造されています。 それを止められなかったのは私の責任です。

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