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無駄なこと

 先日の毎日新聞の小さい囲み記事で「無駄なことの重要性」について書かれているのを目にしました。
 幼児のお絵描きについて識者が「情操教育への好影響」というメリットを見いだした為に今では欠かせない物になっているが、「そんな能書きどうでもいいじゃないか」という発想が必要ではないか、というような意味でした。

 例えば大阪で橋下知事が博物館や交響楽団への予算削減が行われるということについて、「経済効果が見えない」という大義名分があります。
 
 別途、先日のNHKの"ニッポンの教養"では莫大な費用をかけて建設したすばる望遠鏡を扱っていて、こちらは「宇宙の研究は地球の研究でもある」という大義名分に支えられています。
 でも、「頑張ってもせいぜい100年生きられない人類になんで130億光年の研究がいるの?」という人もいるでしょうし、自分で覗けもしない望遠鏡よりは自分の目で見られる意味不明の抽象画の方がわかりやすいかもしれません。
 
 つまり、科学も芸術も文化も、あれこれ理由を付けて「効果」をこじつけて肯定するのではなく、「所詮そんなものは無駄なもんかも知れません、将来ご利益があるかどうかわかりませんよ」という開き直りが必要なのだと思います。
 
 とは言え、私自身も生徒が自分のグラフィックデザインの理由や目的を説明(プレゼン)できる教育をしているので耳が痛くない訳はありませんが、本音としては「たまたま赤にしてみたら格好よかったので」「苦し紛れにど〜んとストライブを入れてみたら奇麗に見えたので」というセンスの方が重要だと思ってはいます。
 
 大阪府の場合は、それが税金でありますから、「いいじゃん、無駄でも」とは言えない部分があるのは承知しています。 ただ、その理論で行くと大阪府に限らず税金は一切の文化事業に資金提供できなくもなります。
 
 思えば高度経済成長期以来、フラワームーブメントとか様々な名称の「理屈が無くても良いじゃないか」的な運動が起こっては消えの繰り返しを見てきました。 今でも「いいんだよ、そこで君が笑っていたから」というような色紙に書かれたメッセージで癒されている人も多数いるというのは、誰しもが「明白な利益がない=否定」という流れに疲れている証拠だと思います。
 
 とはいえ、夜が開けて学校や職場に行くと「存在理由」を求めて汲々とうごめかなくては生きて行けないもの事実。 もちろん私も例外ではありません。
 
 「すいませ〜ん、私無駄なことずっと一生懸命やってま〜す」
 「ほんと、無駄だねぇ、きみのやってること」
 「ダメでしょうか〜?」
 「全然問題ないですよ〜」
 
 って話ではないと思いながら、何でもかんでも能書きつけるのはもしかして浅ましい、卑しい行為なのかなぁ、とも思いました。

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