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サッカーおもろいやん

 ここ暫くの過去の発言を見て頂いてもわかるように、私はそれほどサッカーに興味がありません。
 ワールドカップ前になって予選での日本チームの成績がマスコミで取り上げられるようになってやっとテレビで見ると言う、最も普通的レベルと言っていいかと思います。
 
 改めて書くまでもなく、日本代表チームは一次リーグで敗退し、これでもうワールドカップを見ることも無いなぁ、日本のサッカーブームもJリーグファンを除いて暫く静かになるなぁ、と思っていたら...
 
 決勝リーグが面白い。
 
 そもそも理屈好きな私は、今ひとつ基本用語や戦略がわからないのでサッカーに熱くなれない、という側面がありました。 ツー・トップとかオフサイドとかは大体わかって来たものの、今でもボランチの意味と役割がよくわかりません。
 一次リーグ敗退メンバーから選んだベストイレブンの中に中田英寿選手が入ったと言われても、今ひとつなんでかよくわからんと言うか、キーパー部門二位だった川口選手との評価の差がよくわかりません。
 
 とかなんとか、要するに、あ〜、終わったなぁ、と思いつつふと決勝リーグを見たらこれがサッカー素人でも面白い。 スピーディー。 迫力。 華麗。
 これを見ていると日本代表が本戦に上がれなかったのは当たり前としか言いようがありません。
 応援はしていたけど、日本戦は退屈だったのです。
 
 四年前の日韓大会の時はどうだったかと言うと、日本も本戦に進んだし、韓国人が日本を応援し、お返しに日本人も韓国を応援するという、何とも言えない協調ブームもあって、今考えるとヨーロッパやブラジルの戦いぶりを今ひとつ見ていなかったんでしょう。
 あれで急速に日韓の若者が歩み寄ったのに、そう言えば小泉がぶちこわしたんだなぁ、と変なことも思い出しつつ、今年は日韓も含めてアジア全滅。
 
 ということで、しつこく書きますが、私にとってのワールドカップは終わっていた筈なのですが。
 
 今終わったブラジル—ガーナ戦など、外国でも判官贔屓があるのか、全体としては王者に一矢報いようとするアフリカからの唯一のチームを応援ムード。
 私としてはロナウドやロナウジーニョなど、素人でも結構知っている選手の活躍も見られた上に、なによりそんなガーナの惜しいシュートに思わず腰を上げて「惜っし〜〜」と拳を挙げる始末。 日本戦でもこんな挙動は見せませんでしたって。
 
 これからドイツ、イングランド、そしてブラジルという私のレベルでも知っている強豪チームが直接対決するし、これに起死回生を目指すフランスなどが絡んでくるわけで、何と言うか予定外の寝不足の予感です。
 
 いやぁ、しかしなぁ、この性格だもんなぁ>自分自身
 暫く経ったら「日本も四年後を目指すならドイツの○○、ブラジルの△△は見習うべきやね」とか言ってるかもしれないのが怖い。
 
 そうだ、頑張れ阪神。 もっと打て。 ひっこめ片岡。

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夜行性恐竜の観察

 最寄りの駅の構内に最近、恐竜がいます。
 もちろん単なる例えで、その正体は大型クレーン。
 
 昨年末から駅にバリアフリー対策でエレベーターを新設するということで、ホームへ降りる階段の一部が閉鎖されました。 半年くらいで終わるだろうと思っていたら、何と今年の10月までかかるということで、利用者としては不便きわまりない状態が続いています。
 
 東海道本線ですから深夜、一般の電車は止まるものの夜行列車や貨物列車が行き来するわけで、その合間を見てミニショベルカーをホーム上に入れたりと結構大変そうだったのですが、ある日、それまで工事関係者の駐車場だった所に高層ビル建設に使うような移動式クレーン車が据え付けられていました。
 
 いわゆる中折れの本格的なもので、昼間は首を縮め、さらに折ってクレーンの先を地面に固定。
 その様が何となく惰眠を貪る恐竜っぽくて良い歳こいて結構気になっていました。
 
 終電が終わるとそれがいつのまにか首を延ばし、ざっと20階建て以上のビルの高さまでアームを延ばしているのですが、微妙に動いてはいるものの作業広場の中で鉄骨をちょいちょいと移動させる程度。
 
 ところが先ほどちょっとマンションから外を見たら、鉄骨を高く吊り上げ150度くらい首をひねってホーム上の建設現場に降ろす作業を見る機会に恵まれました。
 いや、ただそれだけなんですけど、いくつになってもああいう大きい機械が動くのを見ると恐怖と期待の相半ばする興奮を覚えますね。
 あの手の大型クレーン自体は珍しくないのですが、それが実際に派手に動いているを見るのは珍しく、というか、動くまでじっと待っているのもまたバカバカしいことですから、普通の人は案外どうでも良いのかもしれません。
 
 とは言え、感心するのはその操縦で、鉄骨を降ろす場所はどう考えても操縦席からは見えない場所にあり、当然無線でコミュニケーションを取っているとはいえ、あれだけ高いと相当気を遣うのではないでしょうか。
 鉄骨を落としたり、最悪クレーンごと転倒したら日本の大動脈をぶち切ることになるわけで、そりゃたった二基のエレベーター設置とは言え、一年近くかかるわなぁ、と妙に同情的になってしまいました。
 
 子供の頃、ショベルカーやブルドーザーを見て、興味を持ちつつもそのカゴの爪がロボットや怪獣の爪みたいに見えて、反面妙に怖かったのを覚えています。(何度か追いかけられる夢を見たこともあり)
 このクレーンが何となく恐竜っぽく見えるのも、そういう人間が作ったものでありながら人間では到底なし得ない仕事を目的とした専門機に共通する香りなのかも知れません。
 終電から始発までの間の4時間弱だけ目覚める恐竜、何となく親しみを覚えてしまったと言う暇人の夜話でした。
 
 しかし、恐竜は夜行性だったんでしょうかね? 鳥ルーツ説を採るなら鳥目で昼行性か...

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げしげし

 21日は夏至でした。
 この辺りが誕生日の私としては「あぁ、また来たなぁ、今年も」という印象です。
 
 本来は日が長くなるので嬉しい筈なんですが、昨年ここに書いたように私は泳ぎが苦手で、子供の頃この季節になると本格的にプールの授業が本格化するのと重なり、今でも嬉しい筈なのになんとなく憂鬱という屈折した感情を抱いてしまいます。
 
 確かに昨日辺りから何となく憂鬱です。
 日があまりにも長くなると人は憂鬱になるとか書いてあったのを思い出すと確かに納得する部分があります。
 
 パリやロンドンではこの季節、夜11頃にならないと日が暮れません。そして3時頃にはうっすらと空が白んできます。 まぁ、旅行者にはそれだけ長い間楽しむことができて良いのですが、これだけ夜が短いと人は落ち着かないそうです。
 夜と言うと暗いイメージが先行します。
 でも、その暗さ故に人をゆっくりと包んで落ち着かせるという有り難い部分もあるわけで、それが短いと人は癒されないままほんの数時間で「さぁ、朝だ、今日も元気に頑張ろう!」と能天気に太陽が追いかけて来るのです。
 元気一杯の時はそれで良いけれど、ちょっと凹んだ時だとか、静かに過ごしたい時にはある種こういう能天気さは迷惑に感じる時があります。 つまり今は季節がそんなメーワクな奴そのものだとも言えます。
 ヨーロッパの「暗さ」について話すとき、一般的にはあの長くて厳しい冬のイメージが中心になるのですが、さらに北のスウェーデンやデンマーク辺りになるとさらに白夜というのがあり、それでノイローゼになる人も多いというのも意外でありつつ何となく夏至の日本でもわかるような気がします。
 
 今日の大阪は大雨になるそうで、お陰でこの時間になってもまだ外は薄暗いとは言え、微妙に鬱モードの時はこれくらいの暗さと雨音がこの季節には有り難くも感じます。
 もっとも調子のいい時には朝5時頃にぶらっと外を歩いてみても何もかも新鮮で気持ちが良いのも事実ですから、人は本当にわがままですね。
 
 とは言え、こうしてまだ軽い鬱を楽しめる間は幸せだと感謝しなくてはならないんでしょう。
 既に定期的に何度も酷い鬱に入っていた学生が最近また壷にはまってしまったようで、そんな可愛そうな状況を考えると、私はこれだけ屈折しているのにどうして深刻な鬱にならないんだろうと、むしろ不思議でたまりません。
 鬱病やなんとか症候群とかの認識も無く「そんなもん気持ちの問題や、根性や」と理不尽にケツを叩かれて来た世代だからでしょうか。
 
 理系に憧れながらの文系、AB型に憧れながらのA型、病弱に憧れながらの健康体というような私ですから、恐らく繊細に憧れつつ図太いのかもしれませんねぇ。
 いや、私としてはそんなに強いとは思っていないのですが。

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てぽど〜ん

 またまた北の将軍様がわがままこいているようで...
 
 新聞によると、あの手のロケット燃料って注入したら普通は三日、ロシアの最新技術を導入しても三ヶ月程しか持たないというのを読んで、本当に燃料を注入したとしたら間違いなく発射するということが改めてわかりました。
 加えて燃料の一部は強烈な酸化剤ですから燃料自らがロケット本体を腐食させて行くそうで、常に発射体制にしておいて、ある日「やっぱ、やーめた」というのも難しいそうですね。
 そう言う事情からか、別の報道では燃料を注入したふりだけをしているのかもしれない、という推測も報じられています。
 
 液体燃料は先進国でも非常に取り扱いに気を遣う危険な物質で、注入時はもちろん、仮に抜くとしてもその時に爆発することも珍しくなく、加えてもたもたしていたらロケットそのものが腐食してこれまた爆発を起こす可能性もあります。
 言わば、火のついたダイナマイトを手に持って他人を脅迫しているようなもので、北朝鮮お得意の水際外交とは言え、彼ら自身も危ない橋を渡っているということです。
 
 仮に発射したとしても、どこの国を狙うというのではなく、同時に衛星打ち上げ声明と軌道発表を行うでしょうが、怖いのは彼らのロケットコントロール技術がどこまでのものかということです。
 ロシアが全面的にバックアップしていれば(それはそれで外交問題だけど)まだしも、彼ら独自の技術では本当に衛星目的であっても制御不能になってどこかの国に落ちるという可能性は充分あると思うのです。
 
 数年前にもテポドンを日本を超えて太平洋に落としたことがありましたが、その時にも「いや、あれは本当は日本を狙ったのにコントロールに失敗したんだ」的な風刺マンガが多数日本で掲載されました。
 まぁ、衛星打ち上げ目的であれば弾頭は積んでいないとは言え、都市部に落ちれば無事では済みません。
 
 それはともかくとしても、じゃ、実際に打ち上げたらどうなるの?と思っていたら例の貨客船の入港禁止だとか経済制裁発動だとか、正直、なんだその程度かい、と感じたのは私だけでしょうか?
 米軍の爆撃機が日本海上を常時待機して打ち上げ基地を即爆撃?とか想像していた私は子供向けマンガや小説の読み過ぎなのかも知れません。
 
 国連の安保理事会は古くはイスラエル、インドやパキスタンの核武装を止められず、最近でもイランの核開発も制御できていませんから、恐らくは北朝鮮の長距離ミサイルの発射、さらにそれに搭載予定の核弾頭開発も止めることはできないでしょう。
 何より怖いのは北朝鮮は今回のような物騒な恫喝をごく普通の外交カードとして簡単に切る国ですから、他の核武装新興国とは別格の恐ろしさがあり、そんなヤバイ国がすぐまぶたの上に存在する日本としては、船の一隻せき止めてばんさい、なんて言ってて良いのかな、そして国際社会なんて本当に信用できるのかな、と不安を隠せません。
 
 だからと言って、軍備増強や過激な武力攻撃に即繋がることが本望もはなく、何にせよ、胸先に刃物を突きつけられて、さぁ、日本はどうなる?というのを真剣に考えざるを得ない時代になったことだけは間違い無さそうです。

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中国遠征、遠い四国+『鉄』

 中国と言っても中国地方。
 新入生獲得の為の説明会に鳥取と米子に行ってまいりました。
 
 元々父方の故郷は鳥取の山奥、母方は米子と松江なので親しみのある地域です。
 昔は我が家に自家用車は無く、父方へは姫新線から因美線経由で、母方へは福知山線から山陰線でちんたら行ったものが、今じゃ三ノ宮の学校から車で三時間で鳥取駅前へ。

 途中、智頭というところでトイレ休憩したんだけど、まだ小学校に行くか行かないかの頃に初めてここに来た時のことを殊勝にも思い出してしまいました。 正確にはここから一つ駅むこうで、街頭も無い山道をてくてく歩いて父の生まれた実家に行ったことや、そのときの星空、夜中に貨物列車を引く蒸気機関車の汽笛等々。
 あれから40年くらい経ったんだなぁ、と思うと何とも言えない気持ちになります。
 父を含めて知り合いは殆ど死んじゃったけどね。
 
 そんな感傷はさておき、鳥取市内は金曜の夜だというのに人はまばら。
 たまたま先週、不調のMacを手当てしていた学生の一人が鳥取市内の出身で、ほんと、人いないですよ〜、と言っていたのを実感。
 むしろ次の会場の米子の方が人が多く、県庁所在地なのに鳥取頑張らんかい、と思わずにはいられませんでした。
 
 国の進める改革の中でどんどん地方が廃れる中、それでもそこに住む大人は日々の生活を送り、さらに都会の学校に子供を送り出しているわけで、どういう産業があるのかは知りませんが、世の親の努力には頭が下がります。
 それを思うと学生は学校サボるなんてできない筈なんだけど、ま、これが子を持って初めて知る親の気持ち、ってやつなんでしょうね。
 
 肝心の仕事の方は、ぼちぼちと学生も来てくれました。
 というのは二週間前も実は同じ催しで四国コースがあったのですが、グラフィックコースの事前希望者ゼロということで流れたのです。
 やっぱり四国って縁が無いですね〜。 これで私の四国初上陸作戦はまた頓挫したのでした。
 
 こういうイベントに来る学生の最近の傾向はキャラクターデザイナー希望が多いこと。 恐らくアニメとゲームの影響かと思います。 我々の世代のイラストレーターってところでしょうか。
 でもこれって就職って言う概念で就けるものじゃないし、デビューってのは本当に難しいわけで、いつも私なりに正直に返答しています。
 生徒獲得で甘いこと言うのは簡単だけど、子供って大人の嘘を見抜きますからねぇ。 いわゆる一期一会じゃないけど、見知らぬおっさんから見知らぬどこかの子供たちへのせめてもの誠意です。
 
 もともと数年前まで日本中を飛び歩いていましたから、こういう地方巡業はむしろ楽しく、もっともっと地方に出かけて行って「何か作りたい」という希望に少しでも応えて行ければ良いなぁ、と思いつつ他のメンバーと別れて米子駅から車中の人に。

【以下『鉄』メモ】
 381系「やくも」に乗るのは実は初めてだけど、紀勢線で「げろしお号」と言われる程酷い揺れではありませんでした。
 でももう相当ガタが来ていて、そろそろオーシャンアローの283系やJR東海の383系の様な置き換えが必要ですね。 たまたま夜だったせいもあって、ちょっと侘しい米子—岡山間でした。
 しかし381系の車両内にエアコンダクトが這ってて、その部分だけシングルシートになっているのは今の今まで知らなかった。 低重心化の為にエアコンが床下にあるのは知ってたけど。
 さらにいつのまにか581系譲りのインナーブラインドが廃止されて普通のカーテンになっていたのも侘しさ倍増。
 加えて思い出の布原はうかつにも寝過ごし... ま、夜だったから何も見えなかっただろうけど。

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カツノリの哀れ

 いやぁ、阪神弱いですねぇ。
 楽天にこそ6勝しないといけないのに、結局五分では優勝は難しいでしょう。
 
 ま、そんな愚痴はいつかこぼすとして、中継を通してはっきりとカツノリ批判が解説者によって行われていたのはちょっと驚きでした。
 彼はヤクルト、阪神時代を通じて(あれ?巨人にもいたっけ?)記憶に残る選手ではありませんし、本来なら長島Jr.と同じくとっくに現役引退をしていても良い選手なのに、親の力で楽天とは言え現役を続けているわけです。
 しかしそういうのはいわゆる外野のヤジであって、解説はこっちが「もっとはっきり言えよ」とか思っても、そこは公の放送でもあるし、なかなかそこまでは言わないのが普通です。
 
 ところが江夏が解説の時に、「しかし、なんでカツノリがマスクを被るんでしょうねぇ、親子の愛情ですかねぇ」と言い出し、さらに「打撃で1割あるかないかの選手は一軍はおろか二軍でも出られないレベルな訳で...」とはっきり言ったのは驚きました。
 それは阪神の片岡にも言ってくれ、と片岡嫌いの私は思っておりましたが、さらに次の日。
 
 昨年まで監督だった田尾が「どうして藤井を出さないんでしょうねぇ。カツノリは肩が弱くて盗塁阻止率1割前後でしょ」と言い出した。
 確かに赤星や赤松は走り放題で、「ほらね、肩が弱いから投球が全部山なりなんですよ。」「盗塁を阻止するには投手が牽制で刺すしかないですから」とこれまた言いたい放題。
 
 田尾だけなら契約期間が残っていながら追い出された恨みとも取れますが、江夏まで言ってるんだからはっきり言って野村監督の親ばか起用以外なんでもないということなんでしょう。
 いくら江夏とは言え、野村監督は先輩な訳で、その辺りのしきたりに厳しいスポーツ界でそこまで言わせるというのは実際にはもっと苛ついている関係者は多いに違いありません。
 
 同じく大した成績も残さなかった長島Jr.が偉そうに巨人軍のあり方を語ったり、果てはワールドカップまで解説するのはへそが茶を沸かすけど、それでもカツノリと野村監督のぶざまさをみていると現役をあっさり引退した長島Jr.の方がずっと潔かったとも言えます。(でも嫌いだけど。あれが主役のミスター・ルーキーを見に行った阪神ファンってどれくらいいたんだろう)
 
 スポーツ界よりも芸能界の方が七光り組二世は多く、それでも親が子供を優遇するというのは少なくとも表には見せ無いもんだけど、(二世タレントについても言いたいことはあるんだけど、話がまとまらないので今回は自重。でも○たか子はただのブスだと思う)それも考えると野村親子のそれはもう関係者と言えども見てられないというレベルになっているのかもしれません。
 もっとも、TV中継終了後に切り替えたABCラジオの解説の有田は逆にカツノリの配球リードを褒めていましたから、様々な見方があるとは思いますけどね。 確かに昨年より強くなった楽天の原因を田尾が指導した選手が育ったというより、カツノリのリードと評価する人もいるとおもいます。
 
 現役時代の短いスポーツ選手がどんな形であれ現役を続けることができるのは有り難いことなんだろうとは思いつつ、恐らくそう遠くはない引退後、カツノリはまだ親の力で解説者の道を選ぶのでしょうかね。
 どこかの球団職員とかならまだ納得は行くけど。
 
 でも何よりそんなチームだからこそ勝ち越せよ>阪神

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新品のリヤカーの買い方

 と、別に真剣に買いたいという話ではありません。
 
 先日の例のノイロ・カフェで「新品のリヤカーってどこで売ってるんだろう」という話が出たのです。
 まぁ、いつもながらどこまで真面目でどこから冗談かわからない話で終わったのですが、なんとその後もノイロ・カフェの経営者の自宅では祖父母まで巻き込んだ激論に発展したとか。
 
 そもそも話の発端は、心斎橋筋を板前さんが「ジリリリリリ...」とベル鳴らしっぱなしで走り抜けるあの頑丈な業務用自転車はどこで売ってるんだろう、というネタでした。 あのベル自体が前輪のスポークに棒のようなものをこすりつけて鳴らすと言う、とてもプロ仕様なものであるとか、しかしわざわざ歩行者で込み合う心斎橋を通らずに一本西か東の道を通れば良いのに、とかの話でした。
 
 でも四輪駆動車で言うとハマーの様なあの自転車はどこかで新品を売っているような気がする。
 が、リヤカーとなると、新品を並べている店を、今はもちろん小さい頃の記憶を遡ってみても見た覚えが無い。
 唯一例外として、小さい頃住んでいた家の近所の自転車屋に「注文があったから取り寄せた」とかで新品のリヤカーが立てかけてあったのを覚えているくらいで、これも在庫として並べてあったわけじゃない。
 
 結局、あれは大量生産で並べて売るようなもんじゃなくて、受注生産なんじゃないかという話になったんだけど、その頃上記、某親族間では「そもそもリヤカーに新品なんて無い」なんて強気な意見が飛び交っていたことは私は知る由もなかったのであった。
 
 結局、責任を感じて、というわけでもないけどちょっとインターネットで調べてみると。
 私の予想では親の経営する鉄工所を継いだ若者がネットでちょこっとお洒落に宣伝しているかも、と思っていたのですが、あっさり外れ、「伝統的なリヤカー」という謳い文句で流通ルートに乗っているのが目立つ程度でした。
 しかし、これ、送料いくらかかるんだろう?
 
 いやまてよ、この御時世、アルミとステンレスで、ベアリングはフローティングでっていうサイバーなリヤカーってのがあってもおかしくない筈だ、とさらに探したらこんなのがあった程度で、しかもここからクリックしたら楽天でページが表示されないと言う青息吐息状態。
 そもそも「リヤカー屋」ってのはないのでしょうか?
 
 家内の実家の田んぼ辺りには夕方になっても家に連れて帰ってもらえない「のら」リヤカーもたくさんあるけど、そもそもあれは今流行の建設重機泥棒のように盗られたりはしないのだろうか?
 というか、義父の家にあるリヤカーはどこで買ったんだろうか? と疑問に感じた瞬間、なんだ、義父に聞けば良いんだ、と思ったさらにその瞬間、あほらしくなってそれ以上調べるのを止めた中途半端な私の好奇心でした。
 
 「上手なワニの捕まえ方」という、知っていても何の役に立たない知識ばかり集めた本がありますが、「新品のリヤカーの買い方」も間違いなくその中の1ページを飾れそうです。
 
 義父は多分農協で買ったんだろうなぁ...

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ガキオヤジ

 最近、「子供心を持った大人」という言葉は比較的ポジティブに使われる事が多いですね。
 でもこれは「大人であるべき所はきっちり大人」であることが条件で、その上で「大人になって忘れてしまいがちな純粋な心を忘れていない事」を指すのだと思います。
 
 自分自身がちゃんと大人であるべき所が確立されているのかは甚だ疑問ではありますが、最近ただのガキっぽいオヤジ、それも同様のケースによく出会うのでちょいと書いておきたいと思います。
 
 この歳になると基本的にフリーとは言え、会社であるとかの組織と直面する事が増えてきます。 逆に言うとこの歳にならないとなかなか組織単位ではフリーを信用しないと言う事かもしれません。
 ビジネスにせよ何にせよ、何かを良い方向に改善する場合、理想と現状の差を正確に押さえる所から始める事は基本中の基本です。 そこがいかに正確に把握できているかどうかがポイントであり、当然そう言う会議であるとかミーティングではしっかりとやらなくてはなりません。
 
 ところが、この場で明らかに気分を害されたとか、怒り出すとか、感情的になる大人が多いんですね。 年齢的には私と同じか上の人で、そういう場面に出くわすと思わず面食らってしまいます。
 考えるに、こういうタイプの人はその人が管理している仕事が批判されたとは取らず、自分自身を批判されたと取っているのかもしれません。
 別にこっちは他人様の人格を仕事の場で批判するつもりは毛頭ないわけで、一応口ではそれは誤解であると説明して謝るものの、「なんじゃ、このおっさん」と呆れるしかありません。
 逆切れってのは最近の言葉ですが、どの世代にもいるということです。
 
 「我々だって精一杯やっている」
 (当たり前だ、そんなの大前提だ)
 
 「そんなことは言われなくてもやっている」
 (それができてないから指摘してるんだ)
 
 大人向けの書物や、果ては子供向けの絵本やアニメにまで「欠点を指摘してくれている人を恨むな。その人はあなたの為を思って敢えて口を開いたのだ」とか書いてあるのを普通読みませんかねぇ?
 私はそういうのが大人の常識だと思っているし、時に「言いたいこと言うなぁ、こいつ」とは思いつつも、「それでも言ってくれるだけましか」と、むしろ何も言わずに陰でずっとクスクス笑い者にされているほうが屈辱だと思うようにしています。
 
 こういう人に限ってそれなりの立場に座っている人が多いんだけど、そういう反応を見てしまうと、あぁたまたまこの人は年功序列でここに来ただけだろう、とか他に使い道が無いのでここにただ置かれただけなんだろうなぁ、と判断せざるを得ません。
 
 通信や車関係で、一部上場やその子会社の取締役、何億のプロジェクトを動かす責任者等と多数会って来た中、そう言う人程「実る程頭を垂れる稲穂かな」のごとく礼儀正しく、他人の言うことに一応は耳を貸し、その一瞬の出会いをできるだけ有効なものにしようとする態度に敬服してました。
 
 こちらもそういう経験を下敷きにして敬意を持って同じように接しているのに、上記のような態度を取られると、中途半端な会社の中途半端な役職というのはこういうものか、そしてあぁおれはこういうオヤジが昔から嫌いだったんだ、と改めて痛感します。
 しかし、私は収入を捨てるつもりだったらそう言う人と簡単に喧嘩できるし、それっきり会うことも無いですが、こういうタイプのオヤジを上司に持つ部下はそうは行かないでしょうから、悲劇はさらに深いですね。
 移動シーズンの度にがっかりし、そして上司の定年退職を逆算する日々というのは考えてもぞっとします。
 
 もちろん、これを他山の石とせず、私も気をつけなくっちゃね。

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Mac関連雑誌の憂鬱(3)

※この文章は2006年1月に書いたものです。

(前日からつづき)
 かつて、あるMacintosh月刊誌が、OS Xに移行する前に巻末特集記事を数ヶ月綴じ込んだ事があった。 NeXTを熟知していたと言う筆者の切り口は非常に辛口のもので、OS Xのありがたみを知ってしまった今ではどうしてあれだけネガティブに書いてあったのか不思議でもあるが、OSが根こそぎ変わってしまうという不安を抱えていた当時としては非常に興味深く読んでいたのを覚えている。
 その中に「アップルに対して批判的な記事を書くと最新機の貸し出しや取材に不利な扱いを受ける」というような下りがあった。 私はそのライターの被害妄想と捉えていたが、その記事だけのせいではないのだがその月刊誌はまもなく廃刊の道を辿ってしまった。
 
 結論としてここまで述べた私の不満は今になってこのライターの被害妄想を思い起こさせている。
 新しいマシンとOS、アプリケーションのバージョンが常に最善であり、それに対する批判的な記事を書く事が許されない雰囲気があるのではないだろうかというものだ。
 今はマスメディアのみならず、インターネットでユーザーそれぞれの意見が自由に書けるし、読む事ができる。 しかしそれらをまとめ、理論的に正しく整理した上で、各メーカーの広報部や技術者と対等な立場で意見交換をして記事としてまとめる力はやはりマスメディアならではの魅力だと私は思っている。
 そういう抑圧的な力は無い、私の杞憂に過ぎないというのであれば安心ではあるが、だとするとMacintoshを勉強や仕事の中心としてバリバリ使っている立場のものとしてはもの足らないという事になってしまう。
 
 今更ここでMacintoshの長所を述べるまでも無く、私や私の教えているコースではこれからもMacintoshを使い続けて行くだろう。 それゆえにユーザーが安心してMacintoshを使い続けて行く為の努力や気配りをアップルはもちろん、各ベンダーにお願いしたい。 そしてMacintosh専門誌には、改めてユーザーの立場に立った編集方針を守り、進められる事をお願いする。

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Mac関連雑誌の憂鬱(2)

※この文章は2006年1月に書いたものです。

(前日より続き)
 同様の疑問はアプリケーションの紹介記事にも感じる。
 今日のDTPに欠かす事のできないAdobeのIllustratorとPhotoShopは、CS、CS2とバージョンが上がるに従って非常に重くなっているのは誰しもが知っているところだろう。 私の知り合いのクリエイターや印刷屋に聞いてもCS以降をメインに使っているところは殆どない。
 もちろん、これにはフォントの問題でOSがOS X未満に踏みとどまっているせいもあるが、OS X自体は対応フォントであればフォントダウンロード機能などは重宝することや、グラフィック機能のベースがPostScriptベースである為にむしろ安定性はクラシック時代よりも向上していることなどが理解されてきて、徐々にではあるが確実にDTPの現場もOS X化している。 しかしその上で動いているのはOS Xネイティブで最も古いバージョンであるIllustrator 10.0とPhotoShop 7.0なのだ。
 OS X化に際するフォントの問題はこれまで非常に丁寧にかつ大きく取り扱われて来たが、これらのOSやアプリケーションのバージョンの問題はあまりはっきりとは扱われないと感じるのは私だけだろうか。
 実際、クリエーションの現場では新人が入ったりOS X化したときに新たにIllustratorやPhotoShopを増やしたくとも欲しいバージョンが販売されている訳も無く、古いバージョンの業者間の違法コピーが仕方無く横行している(正確にはシリアルナンバーのコピーだが)。 新しいバージョン欲しさの違法コピーならともかく、これは異常な現象だ。
 この点はOSも含めて、1〜2バージョン前の新規パッケージも合法的に購入できるようにして欲しい。
 誤解して欲しくないのは私は決して新しいものに懐疑的であるわけではないということで、新しい良さを取り入れた為にそれまでの良さを失ったのかどうか、もしそうであればそれをはっきりと指摘し、各ベンダーに改善を促すはっきりとした指針を書いて欲しい、ということをご理解願いたい。
 
 次にiBookの品質管理の問題も加えておこう。
 冒頭に書いたように、私の受け持っているクラスの学生は入学時に全員がiBookを購入する。 そして例のリペアプログラムに全員に近い生徒がお世話になった。
 さすがに2005年4月に購入した生徒のiBookは問題が少ないようだが、リペアプログラム対象の液晶画面が表示されないだけでなく、突然立ち上がらなくなると言った有償修理も加え、2004年春に購入した学生は最悪三度も修理に出している不幸な生徒もいる。(そしてついに2005年4月購入のiBookも次々と突然立ち上がらないと言うトラブルが発生している:2006年6月加筆)
 幸い、学生達は購入時に同時に入る保険のお陰でほぼ一律一万円の修理代で済んでいるし、アップル社もさすがに見かねたのか2004年度より代替機としてiBook、2005年度よりPowerBookを三台学校に置いてくれているとは言え、無線LAN未対応機で実装メモリは少なく、修理の度にバックアップしたデータを入れ替える、アプリケーションを代替機にインストールする、という手間が増える。 そしてかつて何度もこれら三台の代替機では間に合わない程の故障がでており、代替機があてがわれなかった生徒は実習時間になす術も無く座っているだけとなる。
 加えてその修理期間が長く、はじめのうちはそんなものかと思っていたのだが、2004年度末に、年度をまたいだ修理は困るのでできるだけ速くしてほしい、と学校サイドから連絡を入れたら修理機が全て年度内に直って来たと言う不思議な事例もあった。
 ちなみに本校の他のコースではWindowsノートを学生に買わせており、マシンや業者選定の目も厳しい。
 ハードの故障率に、修理時の対応などが加味されて年度ごとに吟味されているのだが、OSとハードを一括して独占生産販売しているMacintoshにはそういう競争の場は無い。
 Mac雑誌に「アップルは教育現場での強みを取り戻すべきだ」と主張する記事があった。 十年以上Macintoshを教育の中心に据えている現場ではこういう状態が続いている事も認識した上でさらに深みのある記事にして欲しいところだ。
(つづく)

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Mac関連雑誌の憂鬱(1)

 別にネタ切れと言うわけでもありませんが、今日から三回に分けて以前Macの関連雑誌に投稿した記事を掲載します。
 既にMacを使い出して20年程立ち、私のデジタルライフはMacを中心にしていると言っても過言ではありません。 また、もともと反権力的な考えが強かったせいもあり、いわゆるS.ジョブズを中心とした伝説的な部分に影響を受けていると思います。
 ただ、だからと言って盲目的にアップル社やMac、それを取り巻く提灯記事の全てを受け入れて消費するのもこれまた違和感があり、たまにはこういう疑問も感じている、という風にお読み下さい。
 
 Macやらパソコンに興味の無い人には全くごめんなさい、の三日間なのですが...
 
※この文章は2006年1月に書いたものです。

 最近のMac雑誌を読んでいていくつか気になっていることがある。
 例えばOS X Tigerのパフォーマンスについてだ。
 私は専門学校でエディトリアルデザインを教えている関係で、年度毎に学生用には最新のiBook、教師用には最新のiMac、たまに運が良ければ最新のPowerMacやPowerBookを触る事になる。 
 今年度もTigerがプリインストールされたiMac G5が導入され、授業で使っているのだが、それほど速いと感じない。 以前導入したPowerMac G5やXserver G5(共にPantherプリインストール)の時はさすがに新しいCPUは凄いと実感できたにもかかわらず、である。
 そんなある日、授業で学生にJeditのマルチファイル検索の機能を教えている時、少々驚くべきことが起こった。 学生のマシンは2004年4月に販売されていたiBook G4(640MB RAM + 800MHz + Panther)、こちらは2005年4月に販売されていたiMac G5(1GB RAM + 2GHz + Tiger)だった。
 25個程のhtmlファイルの一部を一斉に置換検索する実演でたまたま生徒と同時にせーの、で実行したらなんと生徒たちの方が処理が早く終わってしまった。
 雑誌風に書けばJeditがG5に最適化されていなかったのかも知れない。 しかし上位CPUで、搭載メモリーもほぼ倍、そしてなによりクロック数が倍のマシンの方が遅いというのはどういうことだろうか。
 恐らくSpotlight等の新機能の為にファイルの読み書き時にもたついていることは間違いない。 この事例では恐らく25個ものファイルを開け閉めする為に最もTigerにとって不利な状況になったのだろう。
 しかし私が知る限り、Tigerのそう言った欠点をはっきり書いた出版物記事は無かったように思う
 
 Tiger発売後、私はPantherとの速度比較記事をずっと待っていた。 しかしそれも無かったように記憶している。 新しいMacintoshが発売されたときにはコンマ二桁までハードの速度比較をするにもかかわらず新旧OSという非常に解りやすい速度比較記事が無かったのはなぜなのだろうか。
 確かに「Spotlightを導入する事で若干もたついたような素振りはあるが、引き換えに得る素晴らしい結果に比べると問題にならないだろう」という記述は見たことがある。 しかしSpotlightは確かに画期的ではあるが、かつてPantherを触った時にそれまでのJaguarに我慢できなくなった程の飢餓感を与える程のものではなかった。
 PantherはJaguarに比べ、非力なマシンでも明らかにきびきび感が増していたし、メディアもはっきりそう評価していた。 そう、要するにTigerになってPantherでせっかく取り戻したきびきび感を失ってしまったのだ。
 
 実はTiger自体は決して遅いOSではない。
 試しに自分のPowerBook G4 1.5GHzで10.4.5と10.3.9とでCINEBENCHの比較をとってみたところ、TigerはPantherに比べて113〜143%も高速だった。 にもかかわらず、私の学校の上司はあてがわれたPowerBook G4 (Tiger)を「遅くてイライラする」と言っているし、卒業生は会社で仕事のスピードアップの為にiMac G5を新しくしたらTigerがプリインストールされていて「何の為に新しくしたのか解らない」とこぼしている。

 そういう事実を踏まえた上で、回避方法があるのか、現在発売されている最新のMacintoshはPantherへのダウングレードができるのか、またその場合どういう不具合が出るのか等の詳しいレポート記事を読みたいし、かつてはMacintosh関連雑誌全体でそういう記事をよく読んだような気がする。
(つづく)

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It's been a hard day's night

 恐らく今頃はみなさんドイツ vs コスタリカ戦を見ているんでしょうねぇ。
 私はと言えば、爆笑オンエアバトル→samurai7→サラリーマンNEOという変わり者。
 いや、samurai7って金曜日だったんですね。 初回を見た時に独特の設定、絵柄と原作「七人の侍」という組み合わせで気になっていたのに、どうやら八回も見落としていたようです。
 
 NHKってつくづく屈折した会社だと思います。
 サラリーマンNEOって誰か面白いと思って見ているんでしょうか?(あ、わたしか)
 民放に比べるとどうも尺の切れ味が悪くってお尻がかゆくなるんだけど、なんなんだろう。 アニメにしてもsamurai7だとか冬の女王とか妙に力入りまくりの作品作るし。(おじゃる丸が一番凄いけど)
 ああいう一種無駄みたいな番組を文化だと誰かが思っているんでしょうか?(あ、わたしか)
 ああいうのを見てNHKはもっとチャンネルを減らせ、と答申が出たんだったら悲しいですね。
 
 話変わって、金曜の朝。 前日の早寝のお陰で朝6時起床。
 メールチェックも済んで余裕で駅に着いたら、♪財布を忘れて全然愉快じゃないサザエさん。
 夕方には久々に某大企業絡みの打ち合わせがあるのに何とも縁起悪〜と思いつつ、何とか学校には遅刻直前で滑り込みました。
 
 その打ち合わせは何と言うか久々の真剣勝負。
 別に普段の仕事がいい加減というわけではなく、面子の気心が知れないというのは間合いを測るのに苦労し、ちょいとしかけた言葉を返されてピッと頬を切られると言う具合です。
 幸いに話は一歩前に進んだのは何よりとは言え、久々に戦法を反芻しながら家に帰りました。
 
 さすがにこの歳になるとそういう場所で妙に緊張したり頭が真っ白になると言う事はありません。 しかしこれが逆に将棋みたいに一手一手を覚えている事になり、さて、これからどう進めるべ、と思うと久々に思い悩むと言うのが正直な所で、そんなとこも真剣勝負と表現した所以です。(samurai7見た影響も確実にあるなぁ。影響されやすいなぁ)
 
 そこで逆に今日はもうその仕事について考えるのはやめよう、と上記のNHKハシゴになったわけですが、う〜ん、眠たいんだけどピアノも弾きたい。
 
 先日、教えている学生達がグラフィック部門であるにもかかわらずサウンド分野のイベントでライブを敢行しました。 以前、学校の関係者がライブに出た時にも書いたように、やっぱりああいうのを見ると単純にええなぁ、かっこええなぁ、と思ってしまいます。
 特にコードでもソロでもそれなりに絵になるギターは自分が今ひとつコツを掴めなかっただけに羨ましく、その点、キーボードはああいうノリが難しいもんなぁ...と思っていたら、ふとNUTROCKERという、もう35年も前に出たELPの曲が頭に浮かびました。
 
 そうそう、自分の下手を棚に上げて決めつけてはいけない。 あんなすげぇプログレをキーボードでやってたんだと、試しにiTMSで探したら「あった」。
 高校のときコピーしようとして全くお話しにならなかったのに、試しに今弾いてみたらなんちゃって程度ならある程度弾ける!
 
 ということで、こういうのを死ぬまでにコツコツコピーするってのも悪くないなぁ、と思いつつ、夜中に酒飲んでヘッドホン付けてクラビノーバをゴソゴソ叩いてます。
 そして寝たい or 弾きたい、の狭間にこうしてblogを書いているという不条理さ。
 
 ま、それだけ疲れたんでしょう。

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追憶

 良い言葉です。
 
 本日も、さて晩ご飯の冷やし中華に何をトッピングしようかと考えながら例のノイロ・カフェへ。
 そこで突然昔の吹田周辺の話になりました。
 
 まぁ、50を前にしたおじさん、話が止まりません。
 「昔な...」で始まって出るは出るは、初代市役所や警察署の場所、駅のガードは昔は人も通っていて横っ腹に穴があいていてそこから改札に行けたとか。
 ローカルな話なので詳細は書きませんが、こういう話って結構盛り上がるんですね。(もちろん世代層にもよるけど)
 
 元々私は「鉄」な人なので,電車に乗っていて非常にスムーズに離合する道路や空き地があると「ん?廃線跡?」とすぐ思ってしまいます。
 また、国土地理院のwebサイトでは終戦直後に米軍が撮影した航空写真がひっそりと公開されており、現在の新御堂筋が淀川を渡る橋りょうは既にこの時代に橋脚だけは完成していたとか、伊丹空港には今は無い横風用の滑走路があっただとか、はたまた東京は焼け野原の面影が強いとか、二年前の夏にこのサイトの存在を知った時、実に数日間このサイトに耽溺しておりました。
 
 軍艦島にも行ってみたいとは思いつつ、漁船で渡ってあちこち壊しまくっている人もいるとかを聞いて諦めた覚えもあります。
 
 こうした名所遺跡だとか旧跡に限らず「跡」にどうして人間は惹かれるのでしょうね。
 私はそこに人がいたからだと思っています。
 
 たった数十年前からはるか数千年前まで、「跡」には人がいて、どんな言語であろうと挨拶、笑い、怒り、悲しみ等が確かにそこにあった、という事実が同じ人である現代人を呼び込むのだと。
 少し前にブームになった廃線跡にしても、通勤通学、行楽、親戚の葬式に向かう人、あるいは戦争に返らぬ車上の人になった人がいて、同じ風景を見ていた人が確かにそこにいた、という一種の疑似共通体験が人を引き寄せたのだとも言えます。
 上記の軍艦島にしても、あの狭い土地に朝は父ちゃんが炭田に行き、母ちゃんは大声で笑いながら家事を、夕方には子供の声が住宅の間に響き渡る。 そういったものが密集し、そしてある日こつ然と入れ物だけ残して人が消えたからこそ今でも多くの人を惹き付けるのでしょう。
 
 発掘されたものの年代を推定するのによく残留放射能が使われます。 人の話し声は基本的に「波」ですから、あれと同じようにその周りにある物体全てが聞いた事や声を全て記録していたら面白いのに、と以前妄想に耽った事があります。
 もしそうなら、廃止された駅のホームに立つと、都会に出る子供を見送る親兄弟の声が聞けるかもしれない。 逆に都会から返って来た恋人を出迎える「おかえり」の一言を引き出せるかもしれない。
 京都や奈良の建造物を分析すれば「あぁ、この冬も租を納めたら食う米が無ぇ」とか「あの娘っ子、えとちゃうか?」も聞き出せるかもしれない。
 
 もちろんそれは不可能とはわかっているものの、「かつて確かにここに人がいて喜怒哀楽があった」という得も言えぬ感覚は何なんだろう、と今ビールの缶を開けて一息つきました。
 
 もしかするとそれは人生の時間軸の確認なのかもしれません。
 46億年と言われる地球の歴史、その尺では「たったの」500万年に始まったヒトの歴史の中の、さらに「たったの」100年程の今生きている人の時間軸の確認への渇望が「跡」へ導くのかもしれません。
 

 え? 冷やし中華のトッピング?
 錦糸玉子、ハム、キュウリの定番に加えて、モヤシのナムルとメンマを加えました。
 完食。

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村上氏降参

 事の起こりは先週木曜日、ふと大阪駅で反対側の電車を待つ人の夕刊タブロイド紙に「村上氏逮捕...」という大見出しの一部が見えた事が始まりでした。
 確かに阪神株で渦中の人とは言え、なんで逮捕?とその時はまた夕刊紙得意の客寄せ見出しか、と私は大して気にしていませんでした。
 
 そこから事態はあれよあれよと言う間に進展したのはご存知の通りですが、まさかこれだけあっさりと自分で疑いを認めるとは正直意外でした。
 それからテレビのニュースはその話で持ちきりで、加えて秋田県の小学生殺人の容疑者逮捕もあって、NHKの19:00のニュースは30分延長と言うまさに「ニュースな」一日だったわけです。
 
 ただ、全体を通して気になったのが元ライブドア社長の堀江氏と同じような構成で伝えられている事でした。
 まぁ、確かに犯罪は犯罪とは言え、片や虚偽の会計報告で自社の株を吊り上げ、多くの株主に多大な損害を与えた嫌疑であって、それと一緒にして「汗して働かない奴のざま見ろ的結末」とまとめあげようとするのはさて?と思います。 第一、投資ファンドは村上ファンドだけでないし、他の投資会社の社員は汗を流して働いていないと言う事?
 
 インサイダー取引違反と言うと社内やその周辺の人が情報を事前に知って関連株を買い or 売り逃げして得ることだと私も捉えており、外部の投資家が「俺、○○の株を買おうと思っているんだ」というのを聞いて、第三者がその株を買っただけでもダメだと言うのは知りませんでした。
 というのは本来株の売買は情報戦であり、あの人が買うなら私も、というのは極当たり前の動機であり、それならいわゆる仕手筋の株は全て違反じゃないの、という疑問が残ります。
 たまに喫茶店や電車の中で「あそこは○○が買っているそうだから」という話が漏れ伝わってくる事もあり、それでもし自分も買ったらそれもインサイダー違反?
 
 てなこともあって村上氏は最初は「やってない」と言い張ったんでしょう。
 ただし、どうやら違反は違反である事を理解した後は、冷静にこれで自分から逃げる一部の投資家や、阪神その他の持ち株の処分を計算し、仮に身を引いてもそれなりに生きるに苦労しない金が残る事を計算したのだろう、と私は思います。
 判決次第では残った資産を全て売却しても賠償金を払えないであろう堀江氏とは違い、今回の証券法違反の罰金は最大300万円で、もちろんその程度の金額が村上氏が痛いわけがありません。
 おそらく売買に関しての報告や納税は問題ないと思われるので、その辺りも堀江氏とは全く事情が異なるはずです。
 
 さらに検察との裏取引が無かったとも言えません。
 彼の預かっている資金は4000億円以上とも言われ、それらが今全て株式市場にあるとして、仮にそれを一日で売りあびせられたら現在の東証の一日の出来高の1/4の金額となり、それにつられた他の投資家の狼狽売りを含めると株式市場は大混乱、恐らくその影響は東京市場だけでは収まらないでしょう。(大体、どうして投資ファンドの社長の記者会見に東証の建物を貸したのかも不思議)
 もちろんこれは荒唐無稽な話ながら、他にも堀江氏立件の情報を引き出す等との引き換えで「なぁ、あんたたった300万円なら認めなさいよ。情状酌量付くよ。」という話が無かったとも限らない。
 
 小学生の時に親から百万円貰って株式投資を始め、東大から通産と言うまるで絵に描いた様なエリートコースを投げ打って始めたビジネスが大繁盛。 そんな奴がお縄を頂戴する事は確かに庶民としては面白くないわけではありません。
 しかし、上場会社に隙がなければ彼につけ込まれる事はなかったし、そもそも「上場」という意味をしつこく主張した村上氏の発言を改めて考え直す機会にはなった筈です。 そして彼がまだ日本人で幸せだったのではないでしょうか。
 彼ができた事は外国人投資家にも可能であり、もし多国籍に渡る複雑な法規制の網の隙間からやられたら検察ももっと手を焼いたでしょうから、堀江氏と同じ感覚で捉えてはいけないと思います。
 「阪神タイガースさえ無事ならそれでええ」という話ではありません。
 
 ただし今後新たな余罪が出れば話は別だし、彼の株から身を引くってのも眉唾もんだとは思います。 仮に心底そう思っていても彼の頭脳と人脈、ノウハウは「世の中金儲けだけなのか」と今はもっともらしいことを言っている企業(と巨大投資家)が放っておかないでしょう。

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富士山麓にオウム鳴く

 今時こういう数字合わせを知っている人がいるのかどうか。
 って、私もフォークルの「受験生ブルース」で初めて聞いたくらいで、授業では一度も正式に習わなかった。 だって、教科書の末尾に平方根表が乗ってたんだもん。 あと級数表とか。 でも既に理解不明だったような>我が高校時代
 
 そんな事はどうでも良くて、土曜日深夜の「アニメシャワー」の翌日深夜はNHKの「Weekend Japanology」
 実はこれはもともとはNHKワールドという海外向け放送の地上波再放送で、全編英語。 私の英語観と言うか姿勢は昨年に書いたこれを読んで頂ければ大体解っていただけるでしょうが、別にこれは特に英語の勉強で聞いているのではありません。
 
 何より、昔から知的な洒落者として好きなピーター・バラカンが出ている番組で、しかも我々がアイデンティティとして失いつつある日本の伝統なんかをもともと外国人の為の番組故に、非常に解りやすく説明してくれているので結構楽しみにしているのです。

 ピーター・バラカンについてはググって頂くとして、意外と私と年齢が近いのに驚きました。 随分昔からFMで音楽番組をやっていたので小林勝也くらいの世代かと勝手に思い込んでいたのです。
 まぁ、昔はイギリス贔屓だった私にとって、いかにもロンドンっ子らしい彼の風貌(と言っても最初はフランス人かとも思ってましたけど)は今でも私のある種の憧れで、ああいう風に白髪になって毛が薄くなっても原宿を歩いてみたいと意味不明の事を考えたりします。
 
 で、たまたま今日は富士山のお話でした。
 関西人にとって富士山と言ってもあまりピンと来る少ないかもしれません。 私もそうでした。
 ただ、ここ十年くらい、車の試乗会で御殿場や河口湖辺りに行く事が多かったので、間近に見る機会も増え、羽田空港からも夕日をシルエットにして見えるし、さらに遠く茨城県からでも富士山が見えたり、新潟の辺りを飛行機で飛んでいても雲海の彼方にぴょこんと頭だけを見せているのが見えたりと、大人になってあちこち行くようになって、なぜ日本人が(単に日本一の高さというだけではなく)富士山に特別な思いを抱くのかが少し解ったような気がします。
 ビジネスライクな新幹線でも天気のよい時には「富士山が見えます」とわざわざアナウンスするくらいですからね。
 
 新幹線からの富士山と言えば、まだ20代の頃、たまたま隣り合わせた老人に「やっぱり富士山を見ると得したと思うのは日本人だからでしょうか」みたいな事を喋りかけた事があります(うざい奴だったのかも>私)。
 するとその老人は「そうだねぇ...」と一呼吸置いて、「もう見る事も無いだろうけど」とポツリと返答が返って来たのに驚きました。
 今なら失礼の無いように少し掘り下げて聞く事もできたでしょうが、その当時はそれ以上思いつく言葉も無く、それっきり会話が途絶えてしまいました。
 
 もう20年程前の事で、彼が今でも息災なのかを知る由もありませんが、そういう心象風景も思い出させてくれるアイコンではあります。
 
 さて、来週の「Weekend Japanology」は藤田嗣治の特集だそうで、アート関係の学生は必見!

Mtfuji

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「はぁっ」「うぅっ」「あぁっ」

 別にヒワイな事を書こうとしているのではありません。

 最近はドラマも見なくなったし、19:00のNHKのニュース以降は阪神の中継とニュース以外はいわゆるゴールデンタイムは殆どテレビをつけなくなりました。
 
 とはいえ、土曜日はちょっと特別で、「エンタの神様」から「恋のから騒ぎ」、「スマステ」と限定テレビっ子(オヤジ?)になります。
 「エンタの神様」は別の日にやっているNHKの「爆笑オンエアバトル」出身のがいたり、逆に「エンタ...」で見なくなったと思ったら「爆笑...」に戻ってまたチャレンジしてたりと、私らしくマニアックに多元的に楽しんでいます。(POISON GIRLの夢ちゃんネタは好きだったんだが)
 
 吉本系バラエティもあまり好きではない中、明石家さんまだけは例外で、ほぼ同年代ながらあの切れの良さ、特に噛まない喋りの才能を尊敬しています。 でも今期のから騒ぎのゲストはあんまり魅力的な女性がいないなぁ...
 
 さて、そんなこんなで時間が経過するとMBSで「アニメシャワー」が始まります。
 先日も一年生に「え?先生アニメなんか見るんですか」と言われて驚かれたけど、何言うてんねん、わしらが元祖アニメ世代やでぇ。
 さておき、この時間帯は「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(再)「ああっ女神さまっそれぞれの翼」「魔界戦記ディスガイア」「×××HOLiC」と二時間立て続けにアニメが流れ、全部見終わるとほぼAM4:00。

 ガンダムは以前に書いたように、伝説的初代の「絵」が好きになれなかった事と、巨大二足歩行型ロボットの物理的矛盾が我慢できずにずっと拒否。 とはいえ後にエヴァに「あれはロボットじゃなくて人造人間だから」と言い訳を付けてはまったから、いい加減なもんですけど。(人造人間故にあの大きさと重量はさらに無理)
 その後、数十年を経て何故かガンダムファンには評判が良くない「ターンA」の絵が悪くないと思った後、SEEDの絵も嫌いではありませんでした。
 
 ここでやっと題名の変な擬音語のネタに。
 このSEED DESTINYでの会話シーンで、動揺したり核心に触れられたりするとやたら「はぁっ!」「うぅっ!」「あぁっ!」という台詞が入るのですよ。
 これが最近のアニメの台本の傾向なのかと他のを見ても別にそうでも無さそうなので、どうもこのSEED系の特徴のようです。 んで、これが妙に気に触るのです。
 
 こういう演出って、映画等では微妙な表情の変化を捉えたり、シーンを後ろ姿や指先に切り替えたりする事であえて台詞の力を借りない、というのが現在の主流な訳で、むしろアニメと言うよりマンガに近い手法かも知れません。 言い換えると「が〜ん」とか「どよ〜ん」とかの擬態語をわざと台詞として喋らせた時代からの名残りなのかも。
 
 エヴァンゲリオンでも既に「絵が古い」と言われる今、SEED系は確かに新しい絵であると思います。 なのにこの擬声語を妙に古くさく感じてしまうので余計違和感が残るのでしょうね。
 
 ま、どうでも良いと言えばどうでもいいですよ、なんですけど。
 
 ところでこのアニメシャワー、「×××HOLiC」はどうにもアキバ系というか身内ネタに走りすぎる表現が多すぎて見る事ができません。 今や死語となった「やおい系」の流れを感じてしまうからかな...
 ということは「ディスガイア」まで見てるのか?
 
 ははは、そうなんですよ。 なんというかあの台詞の端々の遊びが妙に気に入って... アキバ系どころか、私の嫌いなゲーム臭がプンプンしてるんですけどねぇ...
 ということでおつきあいで間の「ああっ女神さまっ...」も見てます... 「これってZOIDの絵だよなぁ、うん」とか言いながら。
 
 ええかいな、このおっさん...

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文部科学省の噴飯

 和田某という画家の盗作の話題が盛んに扱われています。
 
 問答無用でこれは絶対に盗用です。 それも贋作を目指したけど下手クソだったのでオリジナルだと言い張りだした無邪気な高校美術部員のギャグレベル。
 これをコラボレーションだとか、スギ氏も承認しているとか、一方でイタリアまで出かけて「訴えないで欲しい」という念書を渡したとか、ほんと、ここ暫く報道が沈静化してしまったヒューザー社長の小嶋氏並みのおバカ対応ぶりが本当に腹の底から嘲笑を誘い出してくれました。(報道映像に爆笑問題の二人が背後に映っていたのにも笑ったけど)
 
 ただ、もう少しまじめに考えると、こんな人物及び作品群に対して賞を与えてしまう文部科学省って一体なんなの?という疑問も忘れてはならないでしょう。
 
 一応クリエイション畑の末端ならぬ末梢に生きる身として、そしてアーティストとして生きたいと言う実現困難な夢に挑戦する若者を指導する身としても「盗作」は最も卑しいものと捉えています。
 もちろん「人の行動や思想は全て過去の経験からの引用である」、という言葉通り、考えに考えた末のオリジナルが結果として過去の何かに似てしまい、それが本当に悪意が無くても軽蔑の眼差しが向けられる事があります。
 一方で、ビジュアルに比べてさらに順列組み合わせの母数が少ないとされる音楽においては、理論上普通の人間が音楽として捉えられる新しいメロディの組み合わせはもう無い、ともされており、それをむしろ逆手に取ったのか、訴えられる事は無いとタカを括っているのか、明らかにパクりとしか言いようの無い曲で儲けまくっている音楽家も多数います。
 
 しかし、まぁ、こういうのは明の部分としての創作意欲の迸りであり、陰の部分として食う為という言わば人臭い行為であって、権威を求めようとするものではありません。 と、言うか、そんな行為で権威が与えられる筈が無く、もしそれが与えられるならそれは既にそれは権威ではないのです。
 
 が、それを文部科学省がやっちゃった。
 斜視的になるのをお許し頂くと、こういう賞は、まず一流芸術大学を出ている事、その後海外で活動している事、帰国後華やかに活動するか、教鞭をとっている事が大前提であり、そしてさらに既に他の名の通った賞を受賞していれば文句無し、とされています。
 その点で和田氏は東京芸大卒はもちろん、全てをクリアしていたようです。
 要するに、文部科学省は芸術選奨文部科学大臣賞を選考する際に彼の作品そのものは評価せず、既に旧安田火災東郷青児美術館大賞等が与えられていた事で、いわば安易に権威の上塗りをしただけとも言えます。
 
 報道では今回の騒動は盗作を指摘するFaxがきっかけと言う事ですが、恐らく現場の人間やより深く絵画を学んでいる画学生にとっては周知の事実であった筈。
 また、所属していた国画会は退会を勧告したと言いつつ、ここにも以前盗作の指摘が来ていたのに、本人が否定した事で事なきを得たと言うだらしなさ。 ここを見るとご大層な会のようですが、そんな自浄活動もできないのかと首をひねらざるを得ません。
 
 何よりもこの程度のうすらトンカチ共が作り上げた権威でも、それをきっかけに画壇デビューを目指したり、何とか芸術活動で身を立てたいと思っている若者が多数日々純粋な努力を続けているわけで、本当に虚しくなるやらあほらしいやら。
 
 まぁ、人が他人を評価すると言うのがいかに難しい事であるかを改めて示したわけでもあり、学生達には一度や二度コンペや就職活動に失敗したところでな〜んにも気にする事は無い、と自信を持って言えるようになったのは皮肉な収穫...

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