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この気持ち

 一週間程前、久しぶりに「あの人」を見かけました。
 久しぶりに見ると、背中はしゃんとしているとは言え老婆に近くなっているのに気がつきました。
 この女性、ずっと赤ん坊の人形を抱えているのです。 そして傍らにはご主人と思われる男性がいつもいる。 この二人+人形のセットで近所のダイエー等で買い物をされている様子。
 
 この近辺の人は殆どその存在を知っている筈なのに、なぜ人形をいつも抱いているのかを知っている人は私の身の回りにはおりません。 恐らくは若い頃に子供を亡くしたなどだとは思われますが、私は彼らを見ると何とも言えない気持ちになるのです。
 先日見かけた時はこちらは信号待ちをしている車の中からだったので、見るともなくじっと見てしまったわけですが、やはりと言うかその人形に女性が話しかけているのを確認。 そして傍らの男性も昔と変わらず淡々と横に付き添っている。
 
 先日学生のblogで飼っていた犬が帰ってみると死んでいた、という話題があり、やはり何とも言えない気持ちに。
 
 さらにずっと昔、汚いホームレスのおじさんが引くリアカーに犬が三匹程とぼとぼ付いて行くのを見て、似たような気持ちを感じた事を思い出します。
 
 悲しいのか?と自分で問いかけてみて、例えば親族が死んだ時を思い出しても、はたまたお気に入りの野良猫だったチビゴジラが死んだ時の気持ちとはちょっと違う。
 むしろ、朝は普通通りだった、今飼っているインコの先代であるチュン太郎が死んだときの気持ちに似ているかのかもしれません。
 
 恐らくは日常の何の危機感も予感も無いときに突然現れる冷徹な事実に対しての、そしてそれを割り切れないまま受け取らざるを得ない周囲の者の脳が出すきしみ音の様なものかもしれません。
 
 そうだ、と本当に今思い出した。
 入院していた父親が危篤だと言う知らせを聞いて、病院に向かうタクシーの中。
 それはたまたま晴天の日曜日で、通り過ぎた天王寺の駅前にはたくさんの待ち合わせをする人がいて、みんなすごい楽しそうだった。
 信号待ちでは前には休日のドライブを楽しむロータス・ヨーロッパがエンジンルームの辺りから陽炎を立ち上らせていた。
 そのとき、自分の乗っているタクシーだけが暗澹とした気持ちに包まれているだけで、他の世界は全くそんな事知らずに動いているんだ、と気付いた事を思い出しました。 病院に着いた時には既に事切れていた父の葬式に至るまでの時の悲しさは忘れたのに、そのタクシーの中から見た風景と何とも説明できない気持ちは今でも覚えていると言うのが思えば最初の「きしみ音」だったのかもしれません。
 
 と、別に暗い話をしているのではなくそういうきしみ音を感じて、そして忘れていない間はまだ感受性があるということです。 まぁ、いつかその音の意味が解る時も来るでしょう。
 (上記、もし既にここで書いている話があったらごめんなさい。)

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心と体」カテゴリの記事

コメント

人間は社会を作らないと生きていけない動物なのでその社会を維持するためにも、いろんなことで寂しいとか辛いとか感じやすく作られているのかなって思うときがあります。
まあ、ジャングルで孤独に生きていくヒョウが何考えているかは分かりませんけどね。

投稿: DS | 2006年5月29日 (月) 08時53分

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