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確かにそうだった

 そろそろ世間は新学期なぞが始まり、新年度が本格的に動き出したというところですね。
 私も昨日は来週に行われる新入生へのオリエンテーションの打ち合わせに行ってきました。
 
 最近学校に行って感じることがあります。

 ちょっとブルーな出来事があり、それなりに影響されていても不思議なことに学校に入ると明らかに気分が変わるのです。
 自虐的にみればそれは逃避なのかもしれません。
 でも、なんというかそれだけではない空気があるのは間違いないともいえます。
 
 別に泣き言でもなんでもなく、昨年は仕事面で非常にアンラッキーなことが続き、一人になると非常に落ち込むことが多かった年でした。
 さすがにこの年になるとその原因が分からずに苦しむということはなく、大方のことは明快に理由がわかっているだけに、むしろ逃げるところもないというのが青少年の悩みとの違いかもしれません。
 
 それでも毎週学校の授業はあるので、朝起きて学校に行くと明らかに気分が変わるのがわかります。 多分それなりにシャンとしなくては、と思うのでしょうね。
 この世の中、何でも肯定というのが風潮で、辛い時には辛い顔をすればいいじゃない、という考え方もあります。 でももし自分が生徒なら、教師が個人的なマイナー事を顔に出されて授業でため息をつかれたら同情するよりも多分迷惑だと思うし、若い故に残酷に軽蔑するかもしれません。
 
 基本的に自分が非常勤とはいえ教師をする時にいつも心がけているのがこの辺りのラインで、これはおそらく昔から教師が嫌いだったということが影響しているのだと思います。
 もちろん、全ての先生が嫌いだった訳ではなく、正確に言うと、教師だから、というだけで尊敬や親しみは持てず、自分なりにその人を見て、あ、この先生は信用できる、とか蒼く生意気に捉えていました。
 
 だから生徒の前では常にベストでありたいというのは決して嘘ではないのかぁ、とか考えると、そういえば小学校の頃から朝礼やなんとか式の時によく先生が「君たちのおかげで元気をもらいました!」と言ってたな、と思い出しました。
 と、同時に当時は「なに気色の悪いこと言うとんねん、このおっさん(大阪ストラット by ウルフルズ風)」と斜めに見ていたことも思い出します。
 でも、多分それがこういうことだったのだろう、と今になって納得せざるを得ません。 子供も大人もいつもそれなりに悩みはあるわけですから。
 
 先日、卒業生と飲んだ時、終わり際に「先生はいつも自信に溢れてましたね」と言われました。
 謙遜でもなんでもなく全くそんなことはないんですけどね。
 でも少なくともそう見せることに成功したというのは、嘘とか欺瞞ではなく、一応プロの先生として最低限のことはしたのかもしれないとも正直思うようにしています。
 
 そんな考え方がさらに自分を追い込むんですよ、と言う人もいます。
 でもやっぱり私が授業をしているとき、常に教室の隅で数十年前の自分がしんねりとした眼差しを向けて私の言うことを聞いていると思うと、やはり緊張します。 というか、昔の自分に対しての「何やねん、その目は? 言いたいことあんねんやったらはっきり言わんかい!」という反発心かなぁ。
 やな奴だったもんなぁ>昔の自分
 
 ということでそろそろ新年度の始まりです。

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