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のら

 今日も炊事担当故に夕方に買い物へ。
 ここしばらく油濃いものが続いたのであっさりしたものを...とか考えてたらふと歩道脇の植え込みの縁にちょこんと座っていた黒猫と目が合いました。
 が、見事に向こうの方が視線をはっきりと下に逸らして、何となく残念。
 
 大昔、大島弓子という漫画家が描いた「綿の国星」という漫画で、「猫とすれ違っても敢えて目を合わさないというのが礼儀というもの」というのが猫側の台詞であったのを何故かずっと覚えています。
 この漫画、今ではもうクラシックの領域に入るものですが、今なら間違いなく癒し系でしょうね。 もしかしたら元祖猫耳系かも。
 当時、猫型の女の子に手を焼いていた私としては恐らく藁をもすがる気持ちでこれを読んでいたのかもしれません。
 
 ま、とにかく猫にとって目が合うというのはそれが求愛だろうが威嚇だろうが何かと面倒な事なんだそうで、存在を知っていてもできるだけそっとしておけ、ということだそうです。
 
 そう言えば以前、知り合いの家の猫に思いっきり歯を見せて、いわゆる「ぎゃお〜」みたいな顔をしたら、即向こうも同じように威嚇の表情をしたのには驚きました。
 つまり、猫(恐らく動物一般も)は表情が理解できるという事です。
 ということはこっちが笑っているのも解るはずで、ドリトル先生なんて絶対不可能、と動物とのコミュニケーションをある程度冷めた目で見ていた私としては新鮮な発見でした。
 
 その後、動物の子供は顔に対してどうして目が大きいのか、という話があり、もともと眼球は顔の成長に比べてあらかじめ大きく作られている、という理由以外に、いわゆる愛苦しい顔によって親が思わず愛情を持ってしまうようにできているというのも聞いて、また驚き。
 つまり動物は「可愛い」という感情も持つ事ができるし、それを感じることもできるというわけです。
 
 別途、心理学の本で、小猿に対してミルクをやる機械をニ体与え、片方は哺乳に必要な機械が丸出しで、残りは毛が生えたような布を巻き付けて、さらに大きな目玉らしきものをつけたものを並べると、貰えるミルクは同じなのに、後者を選ぶというのも読みました。
 そういえばうちのアホインコも手を振って名前を呼ぶと必ず籠の中の同じ場所で同じ仕草をしますから、彼らなりの認識とコミュニケーションをしている事は間違い無さそうです。
 
 そう言えば私が小さかった頃はのら犬、のら猫がたくさんいて、れっきとした飼い犬すら夜以外はずっと放し飼いってのが当たり前だったような気がします。 そのへんを散歩してるけどあれはどこどこのタロー、あれは向かいのシロみたいに。
 で、こっちも向こうも適当に親近感と距離感があって、それでも大して事故等が無かったのが今思えばおもしろい。 もちろん今と比べてあちこちに糞が転がってましたけどね。
  
 おそらく私が動物と目を合わせてなんとなく意思疎通らしき事をやるのはその時の名残かも。
 なにせ本来の飼い主よりもうちの家族になついている犬や猫がいたくらいで。
 
 その頃は一戸建に住んでいたのに結局犬猫と一緒に暮らす事ができなかった私は、今でもちょっと後悔しています。

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