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猫の愛情

 だいたいいつも私はこのblogを日付が変わる前に書きます。
 A型故か何か、日付が翌日になるのが凄く嫌で、入力が間に合わないときは取り敢えずタイトルと「※現在執筆中※」とだけ入れておいて、後で修正するほど結構こだわっています。
 だからこの時間にネタを書くのは非常に珍しいのですが、今日は昼から予定があり、その後さらに仕事絡みの飲みが入りそうなのと、自分の昨日の記事を読んでいてふと思い出した猫ネタがあったので何故かこんな時間に書いています。
 (寝る前のビールのふたを開けてしまったから、というのもありますけどね)
 
 「犬は三日飼えば三年恩を忘れない」という言葉の対極に「猫は三年飼っても三日で恩を忘れる」という有名な言葉があります。 さらに酷いのは「鳥は三歩けば忘れてしまう」というのもありますが、これは飛ぶ為に極度の軽量化をした結果、脳みそが小さいのだから仕方が無いのかもしれません。 だってそれと引き換えに飛べるんだから。
 
 ま、それはともかく。
 15年程前まで、私は生まれてからずっと同じ家に住んでいました。 その家に仕事から車で帰ったとき、前にタクシーが。 一つ角を曲がれば自分の家、というときに黒い物体が二つ、そのタクシーの床下を横切るのが私の車のヘッドライトに照らされて見えました。
 私にはすぐに最初に横切ったのが「ゴジラ」で、後ろに続いたのが「チビゴジラ」であることがわかりました。
 
 これは何かと言うと、その三ヶ月前程からうちの裏庭に住み着いていた親子猫の名前です。
 勝手に親猫をゴジラと名付け、三匹いた子猫の一匹が一番母親似だったのでチビゴジラになったわけです。
 
 私はもともと犬好きで、性格も犬型と自覚しております。 でも一時期猫型の女性が好きだったのでそのうち猫も嫌いではなくなり、男に捨てられた(かどうかは解らない。別に飲み屋で膝つきあわせて身の上話を聞いた訳じゃないから)母ゴジラ猫が哀れで、時々牛乳やだしじゃこなどをやっているうちに裏庭にいついた訳です。
 子猫三匹が裏庭の雑草の上で遊んだり惰眠を貪っている姿はそれは可愛いもので、このうち、一番利発そうで元気だったのがチビゴジラでした。
 
 で、その時、タクシーの床下を走り抜けたのはゴジラだけで、チビゴジラはどこかを跳ねられた様で、道ばたにコロンと横たわっているのを目撃。 私は車を駐車場に入れてすぐに引き返し、チビゴジラを両手で拾い上げましたが、既に全く反応はありませんでした。
 その頃はまだ子供がおらず、嫁に「チビゴジラが死んだ」と言いつつ、大人になってこれくらい涙が出た事はないだろうという位にボロボロ泣いていたのを思い出します。
 でも現金なもので、それまで体毛の間に素食っていた小さな虫達が、体温の低下とともにじわじわと出てくるのも見えました。 なんて自然の摂理って理詰めで冷静なんだろう、と思いつつ、家にそんな虫たちを入れる訳にも行かないのでそのまま袋にチビゴジラを入れてさらに箱に納棺。
 
 獣医をしている小学校からの友達に相談すると隣の市では動物でも焼き場で焼いてくれる、と教えてくれたので、翌日彼(だったのかなぁ、彼女かも)が裏庭でよく遊んでいた古靴とボールを箱に入れてその焼き場に行く事になりました。 
 さて車を駐車場から出して、という時、なんとゴジラがうちの玄関にちょこんと座ってずっとこちらを見守っていたのにを見て驚きました。
 跳ねられた直後から家に持って帰るまで彼女がどこにいたのかは全く気が回りませんでしたが、どうやら彼女なりにどこかから成り行きを見ていた様です。 結局見えなくなるまでゴジラはずっとこっちを見ているのがミラーで確認できて、その時「猫って薄情じゃないんだ」と確信した次第です。
 
 その後、最後に残っていた子猫も記録的に暑い夏の日にいなくなり、しばらくうちの裏庭は閑散としていましたが、数ヶ月後のある日、塀の上を子猫二匹くわえてゴジラがまたやってきました。
 
 「おまえ、ちょっとは懲りろよ。ってか男選べよ。」
 
 やっぱ三日で忘れる様で...

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ペット」カテゴリの記事

コメント

 ようこそ>ドキンちゃん

 小さい頃、一戸建てに住みながら、祖母が動物嫌いなので犬も猫も飼えなかった私は結局動物への何と言うか渇望みたいなのがあるのかもしれません。
 マンションでも許可が出ている我が家のインコですらちょっとした仕草や肩に乗って来ると何かしか話しかけています。

 事務所にしているマンションの近所にあんまり好きじゃないバァさんがいるのですが、先日飼い猫と揃って座って日向で佇んでいるのを見るとちょっと羨ましかったです。 その時のその猫の目がいわゆるあの「逆八の字」で、なんとも幸せそうで。

投稿: あやおば | 2006年6月11日 (日) 00時35分

はじめまして。
ココログからやって参りました!
私もとっても動物が好きで、文を読むうちにコメントしたくなってしまいました。
あやおば様とは逆に私は猫派だったんですが、今では両方共に大好きに!
…犬の大変な所は、お散歩に行かねばならない所ですね^^
その点、にゃんこは自由気まま…食べて寝て、そして旅に出る。
猫の毎日って、本当に良いですね( ´艸`)
しかしそんな彼等は、時に命を落としやすいものです。
私も幼い頃、何度も可愛いのら猫達の死を経験して、その度に泣きました。
彼等動物の死って、本当に悲しい…けれど、不思議な感覚ですね。
またここに来させて頂きます…では、この辺りで…。

投稿: ドキンちゃん | 2006年6月10日 (土) 18時08分

 ほんと、動物って何の為に生まれてくるんでしょうね>内藤さん

 クールな話をすると、野生の動物は「ある程度死ぬ事」を前提に多めに生みますね。 魚の卵にしても犬にしても。
 こないだちびまるこを見てたらカラスの子供が巣から落ちているシーンがあり、これは他のテレビでも助けてはいけないという獣医のコメントを聞いた事があります。
 単純に種の保存と言う事を考えればそれらは納得できる話です。
 じゃ、人間は?
 と思うと、難しい質問です...

投稿: あやおば | 2006年5月16日 (火) 06時34分

跳ねられたチビゴジラ、その消えた命に対して涙してくれる人が
居た事で、その命には意味があったのではないでしょうか?
というか、そう思いたいですね。
自分も何度か育児放棄された目の開かない子猫を助けようとしたことがあります。
最初は、4匹中既に2匹が死亡しており、残る2匹の命も風前の灯に見えましたが、徹夜の介護で復活。その後、当時の彼女の家に引き取られ、現在17歳。今も二人ともとっても元気だそうです。
最初が見事に復活したので、やっぱ動物はタフなんだ!と思っていたら、その後の子達はその2匹よりよほど元気な状態で保護したにも関わらず、皆お星様になってしまいました。
毎度大泣きして、目も開かず、この世を目にする事も無く消えてゆく命なら、何故生まれてきたんだろう?
この子達のたった2週間の命に何か意味はあるのだろうか?
と考え込んだりしましたが、きっと意味はあるんだと思います。
今でもその子達の事を覚えていますし、このコメントを書きながら
泣けてしまう事がその証拠。
だと思って、今も動物達と接しています。
長々とスイマセンでした。

投稿: 内藤隼人 | 2006年5月12日 (金) 17時59分

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