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染み込まない学問

 (相変わらず早寝の傾向は止まりません。)
 なんだか小難しい題名になってしまいました。
 
 クリスマス前だと言っても別に盛り上がるネタもなく、ぼ〜っと迎えた土曜日、例の宇治の塾講師による小学生刺殺のニュースが流れました。
 何より殺すことはないだろうというのは言うまでもないとして、これで教える側の信頼が揺らいでしまったわけです。
 恐らく小学生に自分を否定された、という事実を素直に受け入れられなかったという幼稚な加害者の精神形成が原因だとは思いますが、今回事件を起点にやがて学校で先生が生徒を手にかける、という時代が来ないことを切に願うばかりです。
 
 皮肉を混めて報道されているのが、加害者が大学で「犯罪と刑罰」というゼミを取っていた、ということです。 「それなのになぜ」という流れですが、私は久々に「手段としての勉強」という言葉を思い起こしました。
 数十年前、日本で受験戦争という言葉が生まれ、相当な論議が行われました。その後、社会や学校、親など様々な要素が変わり、また反省するべき点もある程度改善され、高学歴指向はなくなるのではなく、様々な選択肢の一つとして一部に定着し、また社会もそれを認めるという着地点に落ち着いたと私は捉えていました。
 実際、そういう経過を経て社会人になった人間とも知り合い、それなりの判断力、知識力、記憶力は評価に値すると自分で感じたこともこれを加速しています。
 
 別に大学のゼミでなくとも犯罪が悪いことであることは学べる訳で、恐らくは小学生になればそれははっきりと認識できます。 要するに少なくとも今回の加害者は勉強や学問は自分の中に染み込ませる肥料としてではなく、自分が道を進んで行くために必要な手段の一つとしてしか捉えていなかったことは明白です。
 しかして、彼のみならず、こうして司法試験を突破して法の番人になる人も少なくないだろうし、別に司法に限らず医療、教育その他、人間形成的に問題があっても点数で関門を突破している潜在的犯罪者予備軍は多数いるとも言えます。
 
 かといってこの門を広げ、別の方法、例えば面接や内申で人物本位に別の関門を課すというのも現実的には難しいでしょうし、本当に困ったものだと唸るしかありません。
 
 話を今回の事件に戻して、既に被害者の親は加害者とのコミュニケーション崩壊を知り、塾に訴え、塾も(迅速だったかどうかは不明ながら)それに対応した上での惨事ですので本当にやりきれないだろうと想像できます。
 しかし、塾もまさかそこまでの人物だったとは思わなかっただろうし、今回のような事件に発展しなければ恐らく被害者の親が非常識なほど逆切れでもしなければさらなる効果的な対策は打たなかったとも想像します。
 
 考えてみれば、まだ社会にも出ていない精神的発展途上中の大学生に子供の指導をさせる、ということに改めて疑問を感じます。 しかしこれを社会人に置き換えるとなると、個別指導、少人数指導傾向が強くなる中で人材不足、コストアップという問題に直面することにもなります。
 
 栃木の小学生殺害事件などの流れを受けて、学習塾はいち早く送迎バスの導入・徹底化を打ち出してそのフットワークの軽さを訴えた直後の出来事だけに、世の親は一体どうすればよいのか本当に不安の時代に入ったと痛感しています。
 また、今は顕在化していないものの、親が自力で学校や学習以外の習い事も含めた塾の送り迎えをせざるを得ない、という場合、共働き夫婦には新たな問題が生まれる訳で、単に育児休暇や手当の徹底に終始しがちな少子化対策も今後は柔軟に拡大してもらわないとやがて別の面で困ることになるでしょう。

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