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SMAP考

 今日は餅のバイト先にたくさんの学生が来たので昼で終り。
 これは天からの贈り物、と取り敢えずちょっと仮眠して少しでも小説書くぞ、と決意。
 
 NHKの7時のニュースの後、私はそのまま白くまのピースの物語を見たかったのに、私以外の家族は全員一致でSMAP×SMAPの特番で意見一致。 お〜い、ピースの話見ようよ〜。
 
 とは言え、結局11時過ぎまで見てしまいました>SMAP×SMAP
 
 特に誰のファンという訳でもなく、強いて言えば仲居が嫌いなくらいで、しかしてこの番組だけでも超長文台詞にトライしたり、料理だけでも凄いと改めて感心します。
 何よりバラエティだけではなく、当然とは言えグループとして歌と踊りを多数リリースし、そして覚えているというのも考えたら凄い事なんですね、これが。 同じ事務所から次から次と似たようなグループが出て来ても結局SMAPを抜けないのは当たり前か、と何故か冷静に考えていました。
 
 ドリフの全員集合やシャボン玉ホリデーまで遡らずとも、アイドルがお笑いを見せる、というのはそれほど珍しくありませんでした。 それで意外な素顔や魅力を出して新たなファンを獲得という作戦も当たってきました。 しかし彼らの本業は歌であり、踊りであり、本業に比べて下手であって当たり前、そんな言わば低いハードルを前提としたレベルだったのです。
 そしてそれが今のバラエティ番組となり、喋りの面白さで新境地を開いた人も多いながら、それでもそれはいわゆる茶飲み話であり、もともと持っているであろうセンスの良さに依存しているような気がします。
 
 つまり何が言いたいかと言うと、SMAPの彼らは裏で凄い努力をしてきた、という事なんですね。 でもそれをことさら日テレ的に涙の感動ストーリーにする事なく、あくまで「たったのバラエティですから」とわざとばかばかしく見せているし、それに恐らく彼ら自身も納得しているのではないかと見ています。
 
 まぁ、斜めから見れば人気が出たから様々なアイデアを持ち込まれ、それをこなす事でさらに成長して人気が出たと言う良循環に支えられただけ、という解釈もあります。 多彩なゲストとの出会いも人気番組イコール潤沢な予算があってのこと、とも解釈できます。 しかしそれに耐えるのは誰でも出来たかと言うともっと積極的な捉え方をせざるを得ません。
 実際、稲垣の路上駐車事件や、木村の(あの時点でのアイドルにはあるまじき)結婚、草なぎの薄毛化、そしてあまりの多忙さ故にグループとしての本当の結束ってあるの?とか問題が無い訳でもなかったにもかかわらず、レギュラー番組ではこれだけのまとまりを見せ続ける力ってのは単なる中年の男性としても認めざるを得ないと思います。
 
 一方で、さすがにこれからも「若い」という形容詞を掲げ続ける事は難しい年齢になったとも言えます。 しかし恐らく彼らの多くはそれをキャリアというものにして今後も生き続けて行くのだろう、となんで私がアイドルグループの年末特番を見てこんな事を書いているのか自分でも不思議ながら、年末の、それも個人的にあまり良い歳だったとは言い難かった年末にふと正直にそう感じた4時間強でした。
 
 あぁ、しかしこれでまた時間が無くなった...

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深夜のちょっとクリスマス

 いろんな事情が重なって、私の今年のクリスマスは本当にクリスマスらしくないものでした。

 まぁ、そんなときもあるさ、と思っていたら、昨夜(正確には本日未明1:30頃)ちょっと面白い風景を見かけました。

 

 相変わらず餅製造のバイトが続いてはいるものの、日程的にやっておかなくてはならないものは飛ばす訳に行かず、その時間まで事務所にいて処理。

 その後、家の方に向かって信号待ちをしていたら女の子が対向車線側を歩いているのを発見。

 

 見るとも無く見ていたら、やがてその女性がサンタクロース風の服を着て、その上から黒いコートを着ている事が判明。 誰かの車で送って貰ったのか、ただ家路を急いでいる、という様子でした。

 

 あの時間ですからパーティー帰りかキャバクラのバイト帰りかというところですが、何となくその風景がいかにも今風のクリスマスの断片という気がして、遅ればせながら「メリー・クリスマス」とつぶやかせてもらいました。

 特に独身の男女にとってはむしろプレッシャーと言っても良いくらいクリスマスは大事なイベントでしょう。 ま、それに縁が無い人でも人それぞれ一瞬でも「あ、クリスマス」と感じる事が出来たら良いですね。

 

 その後、家に帰ったら深夜のNHKでは「パリのクリスマス」という番組もやっていて、死ぬまでに一度パリでクリスマスを迎えてみたいと思っている私としてはなかなか素晴らしい番組で、翌朝の餅バイトの時間を気にしながら結局最後まで見てしまいました。

 

 ま、うちは代々禅宗ながら、小さい頃教会系の幼稚園に行ってたもので...

 

 皆様にとって今年のクリスマスが良きものであった事を祈ります。

 ♪諸人こぞりてぇ、般若心経は〜ら〜み〜た〜♪

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突然の年末バイト

 年末は山崎パンか神戸屋パンの工場でクリスマスケーキ作りのバイトでもしようか、とはここで書いていましたが、もちろん冗談で、ちょっと休んだら年末締め切りの小説を書こうと思っていました。
 ところが先日22日、大雪で学校の忘年会のスタートが一時間早くなり、さぁ家を出ようとした時に一本の電話。
 これが上の息子と保育園から一緒だった同級生の祖母で、家業はお菓子屋。 で、この季節は年末のお餅販売に大わらわ。 10年前くらいから数年間、ここでこの期間バイトもしていました。

 正確には「やらざるを得なかった」という側面があって、まず、この同級生の母親が息子と娘のピアノの先生。 保育園でも親同士仲が良かったので義理がある。
 加えてここの爺様(電話をもらったばあちゃんの旦那)がヤクザ顔負けの迫力の人で、実際若い頃にはそういう人とも付き合いがあったとかの今時珍しい強者。
 もちろん家業に対するやる気も半端ではなく、いわゆる一代で財を築いたという人でもあります。
 
 まぁ、おっさんのバイトというのは普通は適当に適当に、ってのが多く、メインは若者で、というのが多い中、ここはそんなの関係なく朝から晩まで「おらおらおら〜」という調子で、んでもってこの社長、頭の血の巡りの悪い人が嫌いで、さらに声が潰れ気味なので何を言っているのか掴みにくい。
 「おおいっ」と声をかけられ、一発でその命令を理解して即座に反応しなくてはならない訳で、体力的にはもちろん、気も使う、という訳です。
 
 ただ、子供の躾には非常に良い勉強でもあると思っていたので、ここ数年は息子を行かせる事で上記書いたように暫くご無沙汰だったところの一本の電話だったのです。
 
 「ちょっと助けてぇな」と開口一番、要するにちょっと人の手配をするのが遅れた為に人手が不足しているのだそうな。 何とか息子を駆り出そうとするものの、もともと来春高校受験で今年は行かないと決めていただけにうまく行かない。
 で、結局私が行く羽目に。
 
 朝のはよから腰に貼るカイロを貼って自転車に乗り20分、数年ぶりの社長はちょっと脳梗塞の気が出た(と、言いつつ変わらぬ仕事ぶり)とかで以前程キレなくはなっておられましたが、それでも労働時間の割に疲れるのはやはり気を遣っているんでしょうねぇ。
 ちなみに、今週は海老餅とか海苔餅とかがメインで、それほど仕事は厳しくありません。
 問題は来週からで、一番数が必要とされる小餅の生産が始まり、こうなると早朝から夜まで大変な状態になり、例年なら最後は車に餅を乗せて市場の特設会場に配達してそのまま販売までこなすと言うトリの仕事があるのですが、さて今年はいつまでやるのか。 見えないのですね、これが。
 一応、上記の電話では「学生のバイトを慌てて集めてるからそれが集まるまで助けて」という話しながら、どうも雲行きが見えない...
 明日は午前中、米洗いの仕事が待っています。 もちろん機械洗いながら、28kgの餅米を抱えて洗い機にドバ〜っと入れなくてはならず、芸術家の私(?)としては最もキツくて避けたい仕事。 腰骨割れそう。
 
 いや、ほんと、いつもなら割り切って最後は餅売りのおっさんとして成し遂げる気になるのですが、今年はどうしても休みの間、それも年末に向けて一本書きたいんですよ〜。
 
 どうなる、私の年末?

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パチンコパチンコ♪

 という歌を憂歌団が歌ってましたが...
 
 ここ数日、家の周辺を駅前の新装開店したパチンコ屋の宣伝カーが走り回っています。
 駅前と言えばパチンコ屋。 と言いつつ、最近自分の部屋からも見える一軒が長い間「近々新装開店」という張り紙を貼ったままで結局閉店。 暫くしてディスカウントショップになってしまいました。
 
 パチンコ屋は長い間、儲かってしゃぁない、という商売だったのですが、長い間パチンコ業界に勤めていた友人によると、博打性が高まった事と遊びに必要な金額が上がり過ぎ、客の金がついに無くなって不況なのだそうです。
 一年程前、新聞にとある有名な釘師のインタビューがあり、「ここ暫く床に消費者金融のレシートが落ちている事が多くなりました。パチンコを楽しんでくれる事は有り難い事ですが、そこまでして...と思います」というのが掲載されていました。
 加えて以前導入されたカード方式によって店が球数をごまかせなくなり、いわゆる脱税で儲ける事も難しくなった事も関係しているのかもしれません。
 
 という背景を知っているだけに、「全台新台入れ替えでお待ちしておりま〜す!」と明るい声で車の拡声器から流れているのを聞くと「(お客様のケツの毛まで抜くよう)お待ちしておりま〜す!」かいな、と聞こえます。 いかんいかん、今日は空耳の話題じゃない。
 
 要するにこの業界もハイリスクハイリターンで、投資しない限り競争に勝てない、ということなんでしょう。 でも数日間、一日中宣伝カーを使い、当然新装開店の費用もかかっている訳で、その分客から取り返さないとやってられないのは当たり前。
 自分が博才無い故の負け惜しみとは言え、博打は胴元が一番儲かるのは太古の昔からの道理ですから、怖い怖い。
 
 てなわけで、パチンコに加えて多くのファンがいる競馬もやっぱりロマンとは捉えられないです。
 古い人間なんでしょう、私は。 大昔の芝居や映画で「あんた、その着物は私が嫁入りの時に母親に貰った晴れ着!」「うるせぇ、馬で倍にして返してやらぁ」ってのが頭から離れません。
 競馬に限らず舟も自転車も同じ。
 「馬で家建てた奴はいねぇよ」と植木等が数十年前に歌っても「わかっちゃいるけどやめられない」のでしょう。
 だからタバコが有害性をパッケージにガンガン書かなくてはならないように、はっきりと「博打だ、ギャンブルだ」と明記して開き直った方がまだ潔いと思うんですけどね。
 
 ロマンだ、家族サービスだ、欧州貴族文化だ、と有名芸能人を使って奇麗なものに見せかけるのは一種のロンダリングじゃなかろうかと思います。 なんか汚い。
 タバコの有害表記は今は白々しくても、これからの世代には確実にネガティブなものに印象づけられる筈です。 ところが公営ギャンブルはその逆の方向を進んでいる訳で、なんだ結局また汚い大人が若者騙してるんかい、と言うわけです。

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平壌通りに電車が走る?

 今日で学校の授業が終わり、冬休みに入りました。
 授業のある日は毎朝7時に起き、最近家族が目覚ましテレビを見たがるのを押さえてNHKに。
 7:35から関西圏の交通情報の時間になり、そこでJRのダイヤが乱れていないかどうかをチェックするのですが、最近妙に気になる日本語があります。
 
 それは「JR近郊各線は平常通り運行しています」「私鉄・地下鉄も平常通り運転しています」という言葉。
 これがふとある日「平壌通り」と聞こえたのですね。
 それで「そうかぁ、今日もいつも通りJRや阪急、大阪地下鉄が北朝鮮の平壌を走ってるのかぁ」と思って「んな、あほな」と一人突っ込みをしました。
 しかし、一度そう思ったらそれが頭を離れないのです。 いわゆる空耳です。
 
 「空耳アワー」というのがあるくらいですから、別に今更珍しくもない話ですし、大概はそのうちいつの間にか忘れてしまうとは言え、子供の頃からずっと頭から離れない空耳が「波浪警報」。
 「日本海に面した地域には波浪警報(注意報)が出ていますのでご注意を」というあれです。
 これを子供の時に、「そうかぁ、海の向こうからアメリカ人が一杯流れて来て"ハロー、ハロー"と喋りかけるのか、そりゃさぞかし喧しかろう」と捉えたのです。
 で、これが今に至るまで頭から離れない。
 
 さらに一番強烈な空耳はかつて二輪のグランプリレースに出ていた「ニール・マッケンジー」。
 これがある夜の中継の時に演歌歌手の「新沼謙治」に聞こえました。
 「そうかぁ、最近見ないと思ってたら海外で二輪のレースに出ていたんだぁ」「んな、あほな」と否定するものの、以後、彼が引退するまで二度と「ニール・マッケンジー」には聞こえませんでした。
 
 最近では平井堅の「ポップスター」。
 これが「ポスター」に聞こえる。
 「きらきらのポスター」「I wanna be your poster」
 別にこれでも意味が通ったりして。
 インターネットを見たら「パスタ」に聞こえたという人もいる様ですから、聴覚って面白いですねぇ。 と、書くと、以後そういう風に聞こえて困る、という人もこれを読むと必ず出てくる筈です。(責任取れまへん)
 
 よく「英語耳を鍛える!」なんて英語教材がありますが、確かにその時々で脳のどこが音を聞くかで変わっちゃうんでしょう。
 関西のお笑い芸人がハワイに行って「One dollar」と言われ、「あほんだらぁ」と勘違いして激怒したとかもその逆の面からの肯定なのかも。
 
 となると、世界7カ国語を自由に話せて、おまけにギャグもおもろいという人はどんな耳と脳をしているんだろう、と思うと別に夜は寝れるけど気になります。

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深夜のマイナー映画が面白い

 昨夜(土曜日の夜)、久々に深夜テレビを楽しむ事が出来ました。
 「野ブタ。をプロデュース」の最終回が終わり(今ひとつの終わり方やったなぁ)、続いてエンタの神様(つまらん芸人のときはミュート)、恋の空騒ぎと10ch.が続きます。
 この後、一時間程つまらない時間が続き、ここで寝てしまうか、時間をつぶして次の時間帯になるかが分かれ道です。
 
 一方で、サーバー管理の仕事が切れてしまったので、年末はクリスマスケーキ製造のバイトにでも行くか、それとも年末締め切りの小説を書くかとかを考えていたら、やがてサンテレビで映画が始まりました。

 「侵入者3」という題名だけでは全く興味をそそられない映画で、さすがはサンテレビ、と思いつつ、オープニングから見たご縁もあり、加えてヒロインの女優がいかにもハリウッドのフェロモン系というのもあったし、助演がビバリーヒルズ高校白書に出ていた男優だったりで結局最後まで見てしまいました。
 結局これ、題名をもっと考えればもっと当たったんじゃないの?という出来で、特に最後のオチが凄かった。
 
 これをサスペンスというのか何というのか解らないけど、一見青春映画に見せかけつつ、実は最後はこうでした、っての定番とか何とか言われつつもやっぱり突き動かされるものがありますね。 これを見て、今考えている小説の構成ももっと考えなくちゃ、と思わず反省もしました。
 
 さて、これで寝ても良いけど...と思いつつまたチャンネルを変えると今度は毎日放送で「シティ・オブ・エンジェル」という、あ、そんな映画あったな、と知っているのが流れていました。
 こちらはニコラス・ケイジと、トップガン以来ファンでもあるメグ・ライアンの映画で、まぁアメリカ映画によくある神様・天使もの。
 
 こちらは「侵入者3」のまさかのエンディングの直後だっただけに、二大トップスターの力に頼っただけで、結局平凡なストーリーに感じてしまいました。
 人間の死ぬ時に何が見えるか、というのは確かに生きている人間にとって永遠の興味でもありますが、ふ〜ん、で終わってしまったのが残念。 特に最後の最後の終わり方は「へ?」てなもんでした。
 唯一、脇役のハゲデブのおじさんが「おれも天使だったんだ」というところは何となく暖かい気持ちになれましたけど。(この男優もよく脇役で出て来るし、題名忘れたけど(ヒル・ストリート・ブルースだったっけ?)二十年くらい前、深夜にやっていたアメリカの警察連続ドラマに出ていた人。この番組のテーマ音楽と映像が好きだった。)
 
 とにかく二本を見終わった時点で朝の4時頃。 窓の外を見ても一向に雪の気配も無く、しかし「侵入者3」で反省もしたのでビールを飲みつつ、年末の締め切りに向けた小説のネタをアウトラインプロセッサーで考えました。
 まぁ、最初の構想よりは練れたけど、でもまだ一つ二つ程足らないような...
 しかしてやはり深夜のケーキ製造のバイトに行くべきか、それなら山崎パンか神戸屋か。 結局何も結論が出ないまま寝てしまいました。
 
 ネタ繰りネタ繰り...

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雪は来ん来ん

 本日、例年より少し早く車のタイヤをスタッドレスに換えました。
 大昔、蓼科にある友達の親戚の別荘に行ったとき、夏タイヤで死にそうな思いをして以来、車を変えると必ずスタッドレスも用意し、冬に備えるのです。 特に今年は久しぶりの本格的な冬らしく、寒波が近畿中部にも来るというので少し前倒し。
 
 で、私は大阪に住んでいますから、実は殆ど雪は降りません。
 毎年お正月に滋賀の家内の実家に行く時にたまに雪を「踏む」程度で、他に三月に斑尾にスキーに行く時にはさすがに雪が道にも積もっている事が多いとは言え、実はあまり役には立っていません。
 だから、たまに大阪で雪が積もると嬉しくて嬉しくて、わざわざ夜中の箕面の山に登って駐車場でグルグルスピンを楽しんだりと、ほんまに中年かいな、というノリで雪を楽しんでいます。
 
 と、そう言う話を普段から雪で日常生活に支障を来している(いた)人に言うと、本当に嫌な顔をされ、「雪なんてうんざり」と言われまして、恐らく今12月としては記録的な豪雪に悩まされている地域の方には申し訳ない限りです。
 
 夏にはこんなことを書いてましたから、いわゆる非日常への憧れなんでしょう。

 車に限って言えば「備えあれば憂い無し」で、ま、あとは突然雪が積もったり、どこかに行かなくてはならないような事になっても慌てずに済むということです。
 毎年年末にスタッドレスに換え、そして三月末のスキーが終わって夏タイヤにするというパターンがここ数年続いており、さすがに作業も短く済むようになりました。 もともと自動車修理工場でバイトしていたのでなんて事は無いのですが、ドイツ車は独特の一本足ジャッキなので、特にFR車の後部を持ち上げる時に気をつけないとそのまま前に車が転がってジャッキが倒れると言う事故に繋がるのでそこは気を遣います。 FFならどこ製だろうが全く気楽なんですけどね。
 
 ただ、タイヤ自体は事務所のベランダに置いてあるので、そこからタイヤを出して、交換後にそこにしまうのが面倒と言えば面倒。
 休眠中のタイヤは四本横積みにしてすっぽりと下から覆うソフトケースのようなものに入れ、さらに上からフタをします。 本当はガレージの横に縦積みで保管して、そこでさっさと交換し、それが終わったら横にある小さく区切った部屋でコーヒーでも頂きたいですけどねぇ。
 そしたら幅1750mm以上の車も買えるし、バイクも安心して買えるなぁ。
 
 夢ゆめ。

 (雪振らんなぁ...)

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運勢

 これだけ年の瀬が迫って来たら来年の運勢を考える人も多いのではないでしょうか。
 
 朝のテレビ番組の星占いがよく当たるという人がいれば、いや高島易が案外行ける、とか人それぞれお気に入りの占いがあると思います。 私の場合、何故か細木数子さんのあれです。
 今みたいにテレビに頻繁に出るようになる以前に、毎年今頃本屋さんの店頭に並ぶ例の小冊子みたいな本を読み、「あ、これだ」と納得した訳です。
 とりわけ、私が霊合星人であることと、その記述が非常に今までの自分の浮き沈みの激しい運勢を非常によく言い表していたのが最大の理由です。
 
 まぁ、霊合星の人はご存知のようにこれは不気味と言うか、平々凡々とは決して生きては行けない星のもとに生まれたとしか言いようが無い訳で、顔に続いて親を恨むしかありません。
 反対の場所にある運命に大きく左右され、私の場合は今年は健弱と陰影で、確かに殆ど良い事はありませんでした。 本来なら今年から三年連続ドツボなのですが、そこは霊合星の面白いところで来年は停止と達成のコンビでいわゆる吉凶相半ばす、という「どっちやねん」の運勢な訳です。
 
 細木さんの本に曰く、「朝財布をすられたと思ったら夕方それが戻って来る」というような星回りだそうで、まぁBAD×BADの今年や再来年の減退+乱気よりはましか、とむしろほっとしてしまう程、霊合星人というのは波瀾万丈なのです。
 
 ところが細木さんのあの小冊子シリーズの霊合星人は全部の星をまとめた一冊としか出ておらず、他の星別のように月別だとかジャンル別の説明がありません。 ということで最近は霊合星の本だけを本屋で立ち読みしています。
 で、さらなる情報は無いもんかとインターネットを検索していたらここに宿命大殺界という新たな細木さんの新説(新路線?)が。
 なんでも、「宿命」とは時々刻々と変化して行く六星占術の「運命」の土台になっているのだとか。
 
 もともと今年から三年間は私は六星占術で大殺界な訳ですが、その新説によると私はさらに36歳から55歳まで宿命大殺界なのだそうな。(トホホ...)
 今現在は静雲星という宿命で、読んでみるとこれまた覚悟はしていたとは言うものの結構不幸な記述がずらずらと。
 
 まぁ、孤独は嫌いではありませんし、今更って気もしますが、しかしそれにつけてもほんと、もう少し平穏な星のもとで生きてはいけんものかと思いますね。
 実際、うちの家内なんかは120年で誰でも必ず20年はやって来ると言う宿命大殺界が76歳からですから、もうこの歳になって少々波乱が起きてもそれは寿命が尽きるくらいしか無いでしょうから、こういう人もいるのかと思うと、つくづく自分らしい運勢だと改めて思った師走でごわす。

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アンテナの錆

 先日、授業中に女子学生たちが小さい声で一冊の雑誌を見ながらあれこれ喋っていました。
 課題の制作時間なのでそれ自体は余程の大声でない限り容認ながら、それよりもその話題が面白そうで、「これこれ、授業中に雑誌を広げるとは何事か。先生が預かろう」と言ってその本を手に。
 
 その雑誌はspoon.と言って、少女以上大人未満の女性がターゲットという感じで、生徒があれこれ話をしていたのはスイーツ特集でした。
 ぱらぱらめくると、北海道土産のバターサンドで有名な六花亭が今日の繁栄を築くまでの記事や、身近なキャラメルコーン、チロルチョコのページが続きます。 それらが若い女の子向けによくあるような表だけをサラっと流す浅いものではなく、しっかりと取材し、しかし読みやすい量と文章で書いてあるのも感心しました。
 (グレー地に黄緑の本文色はエディトリアルとしては視認性の点で認め難いけど)
 
 さらに軽いショックを受けたのは沖縄にブルーシールというアイスクリームブランドが戦後からあり、結構有名だと言う事。
 別に私は沖縄マニアではないものの、アメリカ文化、戦後の沖縄に結構興味がある筈だったのに全く知らなかったのはさすがに「アンテナ錆びたなぁ」と感じざるを得ませんでした。
 
 だいたいこのspoon.という雑誌にしても、いくら女性向けとは言え、以前なら見落とさなかったと言うか、言い方を変えると本の方からこちらにシグナルを送って来るような感じで必ず本屋で気付き、手に取っていたのになぁ、というのも「錆びた」と言えます。
 
 別にそれで特に大きく卑下するような事はないし、これまでそうやって蓄積した情報を自分の感性を加えて練り直せば良いとも思っています。 でもやっぱりちょっと寂しいですね。
 ま、ちょっと今、色々な点でキツキツになっているところがあるので、もう少し余裕ができれば、と思うところもあるし、いや、これはそういうもんではないのかも、と思うところもあり、よく言えばささやかながら少し考えさせられるポイントではありました。
 
 う〜ん、油断大敵。

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染み込まない学問

 (相変わらず早寝の傾向は止まりません。)
 なんだか小難しい題名になってしまいました。
 
 クリスマス前だと言っても別に盛り上がるネタもなく、ぼ〜っと迎えた土曜日、例の宇治の塾講師による小学生刺殺のニュースが流れました。
 何より殺すことはないだろうというのは言うまでもないとして、これで教える側の信頼が揺らいでしまったわけです。
 恐らく小学生に自分を否定された、という事実を素直に受け入れられなかったという幼稚な加害者の精神形成が原因だとは思いますが、今回事件を起点にやがて学校で先生が生徒を手にかける、という時代が来ないことを切に願うばかりです。
 
 皮肉を混めて報道されているのが、加害者が大学で「犯罪と刑罰」というゼミを取っていた、ということです。 「それなのになぜ」という流れですが、私は久々に「手段としての勉強」という言葉を思い起こしました。
 数十年前、日本で受験戦争という言葉が生まれ、相当な論議が行われました。その後、社会や学校、親など様々な要素が変わり、また反省するべき点もある程度改善され、高学歴指向はなくなるのではなく、様々な選択肢の一つとして一部に定着し、また社会もそれを認めるという着地点に落ち着いたと私は捉えていました。
 実際、そういう経過を経て社会人になった人間とも知り合い、それなりの判断力、知識力、記憶力は評価に値すると自分で感じたこともこれを加速しています。
 
 別に大学のゼミでなくとも犯罪が悪いことであることは学べる訳で、恐らくは小学生になればそれははっきりと認識できます。 要するに少なくとも今回の加害者は勉強や学問は自分の中に染み込ませる肥料としてではなく、自分が道を進んで行くために必要な手段の一つとしてしか捉えていなかったことは明白です。
 しかして、彼のみならず、こうして司法試験を突破して法の番人になる人も少なくないだろうし、別に司法に限らず医療、教育その他、人間形成的に問題があっても点数で関門を突破している潜在的犯罪者予備軍は多数いるとも言えます。
 
 かといってこの門を広げ、別の方法、例えば面接や内申で人物本位に別の関門を課すというのも現実的には難しいでしょうし、本当に困ったものだと唸るしかありません。
 
 話を今回の事件に戻して、既に被害者の親は加害者とのコミュニケーション崩壊を知り、塾に訴え、塾も(迅速だったかどうかは不明ながら)それに対応した上での惨事ですので本当にやりきれないだろうと想像できます。
 しかし、塾もまさかそこまでの人物だったとは思わなかっただろうし、今回のような事件に発展しなければ恐らく被害者の親が非常識なほど逆切れでもしなければさらなる効果的な対策は打たなかったとも想像します。
 
 考えてみれば、まだ社会にも出ていない精神的発展途上中の大学生に子供の指導をさせる、ということに改めて疑問を感じます。 しかしこれを社会人に置き換えるとなると、個別指導、少人数指導傾向が強くなる中で人材不足、コストアップという問題に直面することにもなります。
 
 栃木の小学生殺害事件などの流れを受けて、学習塾はいち早く送迎バスの導入・徹底化を打ち出してそのフットワークの軽さを訴えた直後の出来事だけに、世の親は一体どうすればよいのか本当に不安の時代に入ったと痛感しています。
 また、今は顕在化していないものの、親が自力で学校や学習以外の習い事も含めた塾の送り迎えをせざるを得ない、という場合、共働き夫婦には新たな問題が生まれる訳で、単に育児休暇や手当の徹底に終始しがちな少子化対策も今後は柔軟に拡大してもらわないとやがて別の面で困ることになるでしょう。

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早寝はブロガーの敵?

 みなさん、ご無沙汰しております。
 ここ暫く更新が滞っていましたが、別にネタ切れした訳でもなく熱が冷めた訳でもありません。
 ただただ「早寝する魅力にハマってしまった」のでした。
 
 ここ暫く寒い日が続き、もちろんエアコンやストーブの恩恵にもあずかっているとは言うものの、布団の中の暖かさにはかないません。
 特にリビングで家内と娘が、私の部屋で息子が(そして私が見たくもない)テレビを見ているような時、狭い我が家では行き場も無く、ついつい9時台だろうが10時台だろうが布団の中に入る事になります。
 
 ここ暫く、その時間に眠りについても11時頃に目が覚めていた筈なのに、恐らく数週間程前の風邪の時に延々と朝まで寝る癖がついたのか、ふと目が覚めても4時半とかで、「ええか、このまま朝まで寝よ」という状態になってしまいました。
 
 おかげで体の方は調子がいいし、授業中でも眠くならないしと悪い事は無いとは言え、このblogが更新できません。
 その他の片付けなくてはならない事は昼間〜夕方の間に片付けるので、その時に書けば良いじゃないか、と言われるかもしれませんが、短文とは言え、物を書くというのはそれなりの自分なりの決まった時間がありまして、私の場合はなかなか外が明るいうちには書けないようです。
 
 さすがにこの歳になると、夜に書く文章を開けてから読み返すと中学生も真っ青の青臭い自己満足やポエミィなものになる、ということは無いとは言え、外が明るいうちに書ければまた違う面白さを自分で発見できるかも、と思いつつ、ずるずると横着を続けております。
 
 しかし寝る環境はここ数年同じ敷き布団+毛布+掛け布団という構成なので、どうして今年に限ってこれだけ布団の中が暖かいのかよくわかりません。 確か昨年まではいくら時間が経っても足が寒くてなかなか寝付けなかったのですけどねぇ。
 寝ている時間はタバコもコーヒーもアルコールも摂らない訳で、こういうのが相互的に作用しているのかもしれません。

 以前一種朦朧とした感覚が創作意欲をもたらす、ということをここでも書きましたが、そう言う点からはここ暫くそういう神経環境になる訳も無く、堕落しているのかも。

 いえ、まぁ、だから何が悪いという訳ではありませんが、この年代の男性は忙しくてなかなか体を休める間が無い中、なんと言うか後ろめたいというか、申し訳ないと言うか...

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