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新たな孤独死のカタチ

 昼間見損ねた阪神の試合をニュースで見ようとNHKをつけたら「ひとり団地の一室で」というドキュメンタリーをやっていました。 最初はまた高齢化社会ネタかと思っていたら、どうやら最近は40代、50代の孤独死が増えてきている、という内容になって結局最後まで見てしまいました。
 
 公営住宅で男性が孤独死、と聞くと、ギャンブルや酒に明け暮れた挙げ句、という安直なイメージが浮かびがちながら、彼らはそうではなく、かつてはまともな家庭を持ち、真面目に長年働いてきた人ばかりだそうです。
 その中には41歳と言う、私より充分若いやん、という例もあり、ますます番組に引き込まれて行きました。
 
 典型的なパターンとして、病気や会社のリストラ・倒産で職を失い、その後妻に離婚され、子供共々去って天涯孤独に。 真面目に払ってきた年金はまだ受給条件を満たす程の年齢ではなく、精神的、経済的に追い詰められて自殺、もしくは自暴自棄の生活の結果、死亡に行き着く、と。
 
 地域社会にとけ込めないのもその一因、と分析がありました。 私はたまたま保育園に子供を預け、その時にいわゆるコミュニティに参加するコツをおぼえたとはいえ、会社の方針によっては保育園に子供を預ける事に全く理解がない会社もあり、そういうところで数十年滅私奉公すれば地域社会にとけ込むなんて事は至難の業の筈。
 
 私がふと疑問に思ったのは、どうして妻と家族があっさりと男を捨てるのか、という点でした。
 中には脳梗塞で倒れ、入院中に離婚が決まったという人もおり、いくらなんでもそりゃないだろう、という怒りに似た気持ちを覚えました。
 もちろん相手(離婚した妻)の話も聞いてみれば、なるほどそれは仕方が無い、という事情があるかもしれません。 しかし、働けなくなった、仕事を失ったから即離婚というのでは、それまで嫁と子供を思って一生懸命働き、たまの休みには家族サービスに明け暮れてきた亭主の立場は何なのさ、と毒づきたくなります。
 (そう言えば、難病にかかった途端に離婚された竹脇無我、ってのも思い出しました)
 
 そういう怒りこそが幻想である、とクールに指摘されるかもしれません。 しかし、真面目な人程、他人が思うより家族を思い、真面目故に倒れるまで働く、嫌な役回りを押し付けられてリストラの口実を与えてしまうという仮説はそれほど外れているとは思えず、その結果、娘や息子の就職や結婚、初孫との対面、老妻との旅行等、「人並みにこれがささやかな幸せ」という九十九の苦労の末の一の楽しみすらあざ笑うかの様な現実に何とも言えない憤りを感じました。
 
 宗派によって違うとは言え、結婚式の「富める時も病める時も」という誓いは、本当に何なんだろう、と。
 また、ある人は、離婚時に蓄えは殆ど家族に渡して無一文だそうで、これも子供可愛いさ、妻への申し訳なさであり、それがせめてもの男の選ぶべき選択と思い、実行されたのではないかと私は想像します。
 その結果、仕事も無く、蓄えも無く、ただただ不安と無気力の中で一人時間をやり過ごし、そして孤独死に向かうというのはあまりに惨いと同じ男として虚しさで一杯になります。
 
 私の様に好きな事をして過ごしてきたのであればそれも解る。 というより、三行半を突きつけられても当然だとも覚悟はしています。 しかし、こういうキリギリス的な生活を横目にコツコツと働き続けてきた真面目な男達のこの人生の結末は納得できません。

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受信: 2005年9月25日 (日) 08時10分

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