痛い映画
数ヶ月前に「嘆きの天使」というDVDを買った話。
1930年の白黒ドイツ映画ですから、相当なもんです。
数年前にテレビの深夜枠で放映されており、あまりの「痛さ」に途中で見るのをやめたものです。
ただ、何となく気になっていたというか、ドイツ映画なのに原題がどうして"blue engel"なのか?とか、真面目な中年男が派手な女との恋で身を持ち崩した話にこの映画が引き合いに出されていたりして、インターネット時代とは恐ろしいもの、ふと「ポチっとな」をしてしまったわけです。
原題の件はなんて事は無い、ドイツ語でも"blaue engel"とほぼ読みが同じだっただけでしたが、映画そのものはやはり滅茶苦茶痛い内容でした。 知って買ったとは言え。
まぁ、老人ホームでも若い女性職員のお尻を触ったり、逆に老婆同士が老彼の取り合いで殴り合いをしたり、という話をよく聞く昨今ですから、異性への衝動というのは死ぬまで不滅、とは分かっています。
ましてやそこまで歳でもなく、独身でもある主人公の場合は別に突っ走っても問題ない訳ですが、やはりプロフェッサーとも呼ばれるまでになる為には普通は相当な努力を強いられた訳で、通常なら若いうちに友達などと飲みに行って見聞きする事で「あぁ、そういうもんなんだ」的に学ぶ事ができなかったんでしょうね。
それほど脇目も振らず勉強に打ち込んだ事は立派な事だし、そんな脇道に逸れていたら教師になれなかったかもしれない。
そういう極当たり前の前提があるからこそこの映画は辛いのだと思います。
別に映画から何かを学ばなくてはならない訳じゃないものの、強いて言うならこの映画は何なんでしょう。
若いうちに適当に遊んでおけ、という事なのか。
自分でそれが無理ならせめて訳知りの友達を持っておけ、という事なのか。
もっと古来日本的に身の程を知れ、という事なのか。
どれも当たりであって、まだまだ他に答えもあるでしょう。
ただ、プロフェッサーなどではないものの、一応非常勤ながら教師をしていると何か暗示的な重さを感じてしまいます。
何より、この映画の監督が主演女優のマレーネ・ディートリッヒに固執するあまり、最後は映画そのもののように落ちぶれてしまった、という逸話を読むとさらに重さを感じざるを得ません。
しかしこの終わり方はさすが欧州映画。
何にせよ中年に向かう前に男は一度は見ておいた方が良いかもしれません。
(米海軍はこの映画を知ってアクロチームに名前をつけたんだろうか...)
そうそう、昨日の丸洗いした布団はというと、無事乾きました。
期待程ではなかったものの、ちゃんと弾力は復活し、不安だったゴチゴチも乾けば解消。
うちの洗濯機が72Lですから、もう一回り大きければもっと楽に洗えるでしょう。
そんな事より丸二日干さなくてはならないという方が問題かも。
何はともあれちょっと凸む(なんて読む?)
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