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白い闇

 エヴァンゲリオンのネタに触れると大方は古い話、と称する人がいますが、実は今でもコミックの世界では延々と続いています。
 通常はまずコミックが原作として発表され、それからアニメというパターンとなる中、エヴァの場合はその逆となっており、コミックの方は放映期間の制限も無い為、独自の展開があったり、別の解釈があったりと、それはそれで単なる後追いではない面白さがあります。

 加えて、アンソロジー的に、原作の構想を生かしながらさらに別のストーリー展開を見せるのもありまして、「鋼鉄のガールフレンド2」という名前で出版されてもいます。 1〜4巻は別途販売されていたパソコン用ゲームを下敷きにしたそうですが、私はゲームには興味が無いのでこの点はよくわかりません。
 とはいえ、オリジナルのストーリーとは別の方向に安心もしてみたい人にはそれなりの出来で、私はそれなりに評価しています。(息子は「絵が下手」とか言ってますけど)
 
 これは4巻で一旦終了し、なんとシンジの親であるゲンドウとユイが中学生の時代に遡っての話が先日5巻として出版されました。 まぁ、エヴァンゲリオン、EPISODE ONEというところでしょうか。
 ストーリーは独自であるものの、ちゃんと23年後に起こる本編とのつじつまは合ってるし、本編では今一つ謎だった渚カヲルの存在がより明確になる等、なかなか楽しめました。
 
 これ以上は恐らく私よりもっと詳しい人がいるでしょうから、そちらに譲るとして、私が最も印象的だったのが、作品中に出て来る「白い闇」という言葉。
 
 闇というものは通常黒い(正確には反射色が無い)という固定観念がある為、白い闇と言われるとハッとします。 それは黒い白馬とかの言葉遊びとは違った、新鮮でありながらどこかで納得する言葉だったからです。
 
 人間も植物や昆虫と同様に、闇よりは光を好みます。 しかし白い光を目指せば安心なのか。幸せなのか。
 むしろ光溢れるが故に不安や恐怖もあるのではないか、と言う事です。
 例えば将来の事を考えたとき、普通はそれが闇であるよりは光りあふれている方が素晴らしいと思われます。 いわゆる絶望の闇の先に見える一条の光という奴です。
 
 しかしあまり光が強すぎると写真と同じく何も映らなくなり、それは何も無いことと同じであり、それならば闇と同じ事になります。
 暗い室内から今の季節のように強烈な日差しの下に出ると、実際にそういう感覚を覚える事は誰でもあるかと思います。 その一瞬クラっとくる感覚はもしかすると逆に突然完璧な闇の中に放り込まれた時に覚える感覚と同じかもしれない、と思うとちょっとしばらくこの事について考えてみたくなりました。
 
 闇と光は同じなのか。
 絶望と希望はそれほど違うものではないのか。
 表と裏は実は同じなのか。 
 
 なんてちょっと楽しい、でも明らかにノイロになりそうな予感のする言葉、「白い闇」でした。
 そういえば「悲しいほど晴れ」という歌もありましたね...

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