何がファンタジー?
スターウォーズ最終作の封切りに向けていろいろな企画が増えてきました。
私はこういう性格故によくスターウォ−ズファンと間違われますが、実は全く興味がありません。
音楽にもビートルズ派とストーンズ派があるように、この手の米国宇宙ものもスターウォーズ派とスタートレック派があるようで、私は後者です。
スターウォーズにハマらなかった理由をあれこれ考えてみるに、恐らく最初の作品に出て来たレイヤ姫(レイア?)がブスだったのが最大の原因かもしれません。
他にも、なんで行く星行く星、全て酸素マスクをしなくて良いのか、という設定の甘さも考えてみましたが、これはスタートレックも似た様なものなので大した原因ではない様です。
私にとって宇宙とは絶望空間という言葉が最も近いイメージです。
それは空気が無かったり、温度の高低であったり、あまりの距離の遠さ等で、それもまだ小さい頃はワープの実現が一抹の希望を残していたものの、それが不可能であると分ってからは益々絶望の度合いを深めた訳です。
恐らくこれは丁度物事を勉強し出した頃に「サンダーバード」や「謎の円盤UFO」という子供向けにしては非常にリアルなSFを見たせいではないかと想像しています。
1980年の設定とはいえ、宇宙からは異生命体が来ているのに人間はせいぜい月止まり、当然常に宇宙服を身に着け、月との往復は大気圏再突入と常に戦う、という今ではごく当たり前の世界を1970年の小学校時代に見た訳です。
だから最近の宇宙ものでも「ミッション・トゥ・マーズ」で宇宙でヘルメットを自分で取った人間が一瞬にしてカラカラになってしまう演出に引き込まれ、逆に「アルマゲドン」で不時着してぼこぼこになったスペースシャトルが再び飛び立つなんて「んな、あほな」で、見る気を無くしてしまったのでした。
こういう科学的推察は必要であるとは思いつつ、しかし、これではファンタジーは楽しめないのではないか?と自問自答する事もあります。
これが子供向けのファンタジーであれば例えば「おじゃる丸」では理論では絶対不可能な設定やキャラクターが平気で縦横無尽に弾けているし、それよりずっと昔から、絵本の世界では平気でパジャマ姿の子供たちが宇宙の旅に出ても全く違和感を感じないのもまた不思議な話です。
大好きな「トイ・ストーリー」なんてそれこそ科学的論拠なんて完全にあり得ないですからねぇ...
「千と千尋の神隠し」のあのコンセプトって凄いね、と学生に話したら、「あれはコンセプトじゃなくて妄想です」とあっさり切り返され、思わず納得してしまった事があります。
この受け付ける事ができる境界線は何なのか、自分でもよくわかっていません。
子供向けならなんでもあり、と受け付けてしまうのか? でもそれならガンダムなどの二本足歩行ものを嫌う事は矛盾している。 でもエヴァやパトレーバーにはハマった。
そう言えば初代ガンダムって絵が気に入らなかったんだ、と思い出しました。
結局、スターウォーズの姫と言い、ガンダムの絵と言い、理屈じゃなくて見た目かい、という結論に...
ならざるを得ません。
我ながら締まりがないオチで...
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