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I'm only sleeping

 昨夜はまたまたよく寝てしまいました。

 通常私は夕食・入浴の後、30分から1時間くらい仮眠してそこから午前1時くらい、翌朝に予定がなければ徹夜、というパターンを敷いています。
 ところがたまに仮眠ではなくそのままぐっすりと朝まで、という日が月に一〜二度あります。
 昨夜は9時頃から朝7時まで、たっぷり10時間寝たことになり、今時は子供でもそれぐらい寝んだろう、という睡眠時間です。

 とはいえ、その前日は仕事で請け負っているwebの更新をやっていた関係で睡眠時間が3時間で、通常はだいたい一日4時間くらいが睡眠時間。
 もう少し平均化した方が良いのでしょうが、特にweb時代になって締め切りというのがなくなり、今日は何もないなぁ、と思っていたら「急ぎ訂正お願いします...」で突然入ってきます。 印刷物の場合は厳密に締め切りが決められている代わりに予定が組めますのでこれも時代の推移と言うものなのでしょう。
 
 また、何も予定がないときはそれが嬉しくて、深夜テレビだの読みかけの本だのを、酒を飲みながらだらだら見ているのでこれまた寝るのが遅くなり、結局恒常的な睡眠不足というのが解消できません。
 たまにこうしてドカっと寝てしまうのはその反動なんでしょう。
 
 おかげで今日は朝から五感すべてが快調で、いつもとは逆に毛穴の一つ一つまでが覚醒しているのを実感できます。 普段、途中まで考えていながらいつも結論がでないことも明快な答えがすぱっと出たりしますので、人間やっぱり寝なくちゃいかんなぁ、としみじみ感じます。
 
 しかし一方で、頭の中が明確になりすぎて、発想の広がりが理性に邪魔されているという気もします。
 例えば、とあるストーリー展開を考えるようなとき、論理的思考が勝りすぎて妄想的思考ができなくなるのです。 要するにファンタジー的方向に展開できないのです。
 グラフィックデザインやクリエイティブなプログラミングをしているとき、大概は体力的に厳しい状態におかれる訳ですが、いわゆる「天使が降りてくる」のもこういう時で、要するにある程度朦朧とした状態になって初めて垣間見える世界があるというのも事実だと最近は信じています。
 (厳密には天使は「降りてくる」のではなく、「足を捕まえて引きずり降ろす」ものです)
 
 まぁ、この辺りが音楽関係者やクリエイティブ方面の人間を覚せい剤に走らせる動機なのでしょう。 30年ほど前に雑誌宝島など一部の層が日本でのマリファナ解禁運動の様なものを展開していたことがあり、そこに「一時的逃避のために麻薬に走るのではなく、解放と発見のためにマリファナに走るのだ」というような主張を読んだことがあります。
 今でも別段それを支持する気にはなれませんが、理解はできるようになりました。
 
 覚醒と睡眠(朦朧)の狭間で人はものを作り出していくのでしょうか。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

 確かにこちらではお久しぶりです。
 
 「おっ、という言い回し」、よくわかります。
 たかがBlogとは言え、最後の数行には結構頭を悩ませていますから。

 いつものように適度に疲れているとささっと書いた文章でも後から読んで「お、なかなか最後の一言が効いてるなぁ」と思うことがよくあります。
 でも昨日の「I'm only sleeping」の最後は「覚醒と…」の次にくる言葉がなかなか浮かばず、国語辞典まで借りて言葉を探してしまいました。
 結局「睡眠(朦朧)」と続けましたが、括弧を使うこと自体、既に切れが悪いです。
 
 そう言えばこないだ読み返した漫画の後書きに、熱と疲労でうんうんうなされている時に突然神からの電波を受けてストーリーが完結した、とありましたから、やはりそれらしきものははっきり存在するに違いありません。
 「この闇も閃きに向かう途中」というのは希望が持てますね。
 でもこういう職業の人はどこか体悪そう...
 
 これからもノイロ文芸部、仲良くお願いします。

投稿: あやおば | 2005年7月 9日 (土) 09時13分

小畑先生、お久しぶりです。
(とはいえ、お顔は週に2度拝見しているので、ここではお久しぶりという意味^^;:)

本日のお話、とても納得、です。
実は私もここのところ娘を寝かせているうちに酔っ払って撃沈・・・という健康的な夜を過ごしています。
まぁ、そうは言っても夜更かしな娘なので悠に11時は回っているのですが、私としては5時半の起床まで6時間以上眠れるというのは人生上快挙と言えます。
1日立ちっ放しで接客・調理する、というライター時代とは真逆な生活をするようになり、顔色と肉体疲労に気を使い始めているのかもしれません。

でも・・・先生の仰るとおり、健康的生活というのは五感は澄み渡るけれども、どうにも第六感から上、七感や八感といった感覚分野は働きにくくなるような気がします。
日頃は感じないはずの尖った予感や、突拍子もない発想、我ながら“おっ”と思う言い回し・・・そうした自分が持っている能力のうち、普段は奥の奥にしまわれている部分が表面化しにくくなるような・・・。
ライター時代、極度の疲労に見舞われ、精神的に汲々としているときほど、それを突破するような文章が溢れ出たりしたものです。
カフェをやってる今でも、経営の工夫やメニュー・サービスのアイデアが出たりするのはそういう時だったりします。

昔、ある番組で歴史に残る芸術や発明をした人に共通する“閃き”はどういう仕組みで起こるのかを解明していました。
それによると、悩みに悩み、八方ふさがりな状況に陥るまで汲々と苦悩した末、これ以上の暗闇はないという限界(迷宮のゴール、と私は呼んでいます)に行き着いた時、初めて宇宙から何かしらメッセージが届き、それをキャッチすることができて、“閃き”として認知し具現化できるのだそうです。
その度を越しすぎたのが、いわゆる“てんかん”で亡くなってしまった天才芸術家たちなんですね。

つまり、心身ともに疲労困憊すればするほど、そうした第七・第八の感性が研ぎ澄まされ、信号をキャッチし、形にできるのだと私も思います。
逆に、そういう能力のある人ほど、汲々とした状況に酔いしれ快感さえ覚える性質なのだと思うので、一般的に“不健康”と思われる精神状況・肉体環境も、そういう人にとってはプラスな面も大いにあるというわけです。
だから、先生が仰るように、アーティストの薬物使用は賛成はしないまでも全く理解不可能とは私も思いません。
身を挺して素晴らしい芸術を生み出し、私たち庶民のココロを癒したり、大切な議題を与えてくれているわけなので、彼らに対してはそこそこの薬物使用に目を瞑ってあげてもなぁ・・・とさえ思います。やはり善いことではないので、あくまでも合法的な薬、の範囲内で。
でもこうなると、どのレベルの人から薬物OKという棲み分けがムズカシイ・・・

それはさておき、第六感以上の感性を磨くには、ベースになる五感のために健康生活をしながらも、時には苦悩に悶々とする状態も作るべき・・・。
逆に、そう考えると、悶々とした毎日に迷い込んでしまっても、あぁ、迷宮のゴール“閃き”に向かう道中なのだから・・・とちょっぴり灯りが見えたりしません?

長々お邪魔しました、また日曜に。
とびきりのコーヒーと笑顔?でお待ちしています。

投稿: 大島千慧 | 2005年7月 9日 (土) 00時29分

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