風が運ぶもの
昨日も今日も暑いですね。 まるで夏。
頭の中では達郎の「夏への扉」が鳴っていました。
学生に、
「盆の終り頃に海に行った帰り、イルカの浮きやアイスボックスずるずる引きずって、風呂にするか、めしにするか相談してるときみたいやなぁ」
と言ったら、
「せんせ、それ長過ぎ」
と言われました。
風は暑かったものの、幸いまだ湿度と気温は本物の程ではなかったので、恐らく夏の終り頃の情景と重なったのでしょう。
そう言えば数週間前にふと真夏の風を感じたので、「今、真夏やったなぁ」と、これまた学生に言ったら、全然同意を得る事ができませんでした。
別にそれは大した事ないのですが、こういうのを「共通の価値観」と言うのかな、とふと考えました。
まだ厳冬なのにふと春の匂いを感じたり、真夏真っ盛りなのに、「あ、秋だ、今の風は」と思ったりすることが時々あります。
歳をとっていろいろな記憶や体験がそういう感触を生み出すのかとも考えましたが、実は中学生くらいのときから似た様な事を友達に言っていた覚えがあります。
結構それを理解してくれる男友達もいて、中には「お、今の」「うん、夏や」とほぼどんぴしゃの感覚を持っていたのもいました。
当時、実はその男友達とつきあうのはうちの家族はあまり賛成しておらず、私も時々軽く悩んだ事もありました。 でもそういう友達は今でも特に頻繁に連絡を取らずとも、たまにふと飲みに行っても知らないうちに時間がどんどん経ちます。こういうつきあいのベースになるものが「共通の価値観」というものなのかもしれません。
逆にそういう共感を女性からは得なかった様な。
「今頃の若狭の海は最高やで、光は真っ白で陽炎立ってるのにビーチに誰もおらんねん」
と、同じ非常勤の元サーファー女史に得意そうに言ったら、
「でも、海まだ入られへんやん」
「そやけど... 見てるだけであかんの?」
「何がおもしろいの」
と、却下されました。
やっぱり根本的に違う生き物なんでしょうね、多分。
※画像は'94に真夏の光と風をイメージして作ったもの。(クリックすると拡大画像が表示されます)
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コメント
わっ、凄い、あれからちゃんとコメントが書けるなんて... しかもすごくまともな文章...
いや、お疲れさまでした。
私はあれから家で4時頃までほげ〜っとしてました。
酔ったというより、喋り疲れかも。 口から泡飛ばしまくってましたから。
確かにふと気がつくと「どうしてこれが分ってもらえんかな」と頑になりがちですね。 反省。
独りよがりには気をつけねば。
異質な物との共存、というのも持論の一つなのに、ついつい一つの価値観に偏りがちになります。 それは危険ですねぇ、何よりつまらんですねぇ。
確かに若い学生たちには回り道をしなくて済むのなら、傷つかずに済むのなら、と思います。 「それこそが人生」という声もわかりつつ。
回り道から戻ってくるにはそれなりに余分なエネルギーが必要ですから。
ということで寝不足を押してバーゲンに行ってきますです。(これにもエネルギーが必要だ...)
投稿: あやおば | 2005年6月12日 (日) 08時51分
小畑先生、今宵はお疲れ様でした。
『とにかく昨日のblogを読んでみて・・・』と仰ったので、
酔いの残る指先を酷使してPCを起動してみました。
小畑さんの言う『風』・・・感じれる人と感じれない人がいる事が、
悲しくも現実なのでしょうね。
風に限らず、そこらの情景でも、映画でも、音楽でも、
感じることは人それぞれで、全く何も感じない人もいますから・・・
ただ私は、そうした何気ない日常のかけらからでも、
何か感じれる人でありたいし、何か感じれる人と相まみれていたいと思います。
たとえばそれが全く反する側面の感じ方であったとしても、
互いの感じ方について正直にてらいなく語り合えるような、
そこから新しい何かを見出していける関係を築いていけたら・・・。
そういう価値観を持つ女性が少なかった、とのことですが。。。
きっと性差や年齢差に関係なく、近しい感性を持つ近しい次元の
生き物は案外存在しているものと私は思っています。
現に、今宵も年齢バラバラの4人があんなにも長時間同じテーマで
語り合えたのですから。
100%判り合える人はこの世にゼロでしょうけれど、
判り合えない事実を踏まえたうえで、
少しでも判り合いたい、判りたい、そして何かしてあげたい・・・
そう切に思える人間関係が有れば、なにより素敵で、
何より自分が癒されるのだと思います。
それから・・・わからん奴だ、所詮わかってくれない相手だ、と
思っている人にとって、実は自分自身がその人にとって
そういう存在だったりする事実もありますよね。
人はみな基本的に主観的で、自意識過剰で・・・
ついつい相手の真意を無視してしまう生き物かもしれません。
私も反省・・・・
今宵も実り多きひと時をありがとう。
先生の、一見明るく実は意味深い暗さを持ち、
支離滅裂でいて実は整然としている感性を、
教え子たちの一人でも多く感じ取ってくれて、
殺伐とした夢のない未来を進む糧にしてくれたら、と
心底思います。
私たちのように、必要以上に惑い、回り道をせずに済む様に・・・。
まぁ、回り道あっての今ですけどね。
ではまた何かしら新しくときめく明日を過ごしてください。
投稿: 大島千慧 | 2005年6月12日 (日) 03時07分