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疲れた時の戯言

 田んぼの手伝いから帰って来たのが昼過ぎ。 早めに出たので高速道路も空いてて快調に帰ってきました。
 にもかかわらず、相当疲れたのか、夕方頃には頭がフラフラするような状態で、日頃三宮の坂や学校の階段を相当歩いている程度ではまだ運動不足だと痛感しています。
 
 普段、ああいう風に体を思いっきり使う事が無いのでこの疲れが抜けたら結構良い調子になる、というのはわかっているものの、やはりこういう時には頭に浮かんでくる事がネガティブになりがちです。
 
 一時期、NHKのERにはまっていたとき、老婆が寝る前にクリスチャンらしくお祈りをするシーンを見ました。 そのとき彼女がつぶやいたのが「神様、今からひとときあなたの下に参ります。そのままそちらに思し召しの時はこのまま目覚めなくて結構です。あなたの下に置いて頂けない時はまた朝に目覚めさせて下さい」という台詞でした。
 もともとERは見終わって楽しい気持ちになるというものではありませんが、はぁ、そういう考え方があちらにはあるのか、と、正直感心しました。 寿命で死ぬというのは単に眠りの延長なのか、と。
 
 あと、こういう時に思い出すのが幼稚園の時に初めて読んだ「いたずらきかんしゃチュウチュウ」という絵本の一場面。
 誰にも指図されず自分の行きたい所に行きたい、と勝手に暴走した蒸気機関車が廃線に迷い込んでしまい、最後は燃料が切れて「チュウ...チュウ...」と行き倒れてしまうシーンです。(チュウチュウ(choo choo)、というのはアメリカでの蒸気機関車の幼児擬態語。多分コンプレッサーかポンプの排気の音から来たのかと)
 海外の絵本だった為、その頃同時に読んだ和製の「きかんしゃやえもん」とは全く違った絵柄で、白黒で描かれた雑草ぼうぼうの廃線で動きを止めてしまうチュウチュウにとてもショックを受けた覚えがあります。
 
 日々どんどんものを忘れて行っている最中なのに、どうしてそういう小さい頃の些細な事を今でも忘れないのかは不思議ではありますが、それは忘れている・いない、ではなく、自分がそういう場面に立っているからもしかすると一生思い出さなかったかもしれない(イコール忘却)脳の引き出しから無意識のうちに探し出したのかもしれないと思うとちょっと憂鬱になります。
 
 チュウチュウの様に燃料が無くなるのではなく、一度エンジンオイルの切れた車を運転した事があります。 いくらアクセルを踏んでも踏んでもどんどんエンジンのパワーが失われ、そのうち「ゴッ」という鈍い音とともに焼き付いてしまいました。

 人が疲れるというのはガソリン(燃料)が切れるんじゃなくてオイル(潤滑油)が切れる事じゃないかとふと思います。
 ガソリンの量はどんな初心者でも気を遣うけど、オイルって警告当が点くまでほったらかし、というのが実際多いですからね、
 
 今日は父の日。 みなさん、優しい言葉をかけてもらいましたか?>世のファーザー

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