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ガブとメイの結末

 例えば、ドラマが盛り上がったとき、民放得意の「この結果はコマーシャルの後!」と中断され、いらいらしながら待っていたら、コマーシャルの後、番組が突然終わっていたらどうでしょうか?
 
 何の話かと言うと、二年くらい前に娘が学校から「あらしのよるに」という絵本を借りて来たのが発端です。
 視界の悪い嵐の夜にお互いが狼と羊だという事を知らずに知り合い、その後、狼は羊を食いたくなる衝動と、羊は狼に食べられるのではないかと言う恐怖に苛まされながらも密かに友情を育てて行くと言う話でした。

 これが6冊シリーズで、徐々に二匹の関係がお互いの社会にバレてしまうようになり、最後は住んでいた森を追われる展開になるのですが、どういうわけか、娘の小学校には最後の6冊目が無いのでした。
 いつのまにか家族全員がハマっていたので、「学校の本棚をもう一度探せ」「先生に聞いてみろ」と娘にあれこれ言いつけるも、結局無いままに終わってしまいました。(本は借りたら必ず返しましょう)
 
 その時は相当いらいらしたものの、そうは言ってもそのうち借りた誰かが返してくれるかも、と待っているうちにこの話の事は忘れていきました。
 
 ところが、今日、学生の一人が課題を出し終わった後の空き時間に狐の写真を下絵にイラストを描いているのを見て、「なんかそれ狼みたいやなぁ」とふと口から感想が漏れたとき「あらしのよるに」を突然思い出したのです。
 加えてそれをぽろりと話したら近くにいた別の学生が「それ僕知ってますよ」という展開に。
 「二匹で森から逃げ出した後どうなったん?」と聞くと、その学生は気の利いた奴で、「それ、言っちゃって良いんですか?」と逆に聞いてくれました。
 一瞬躊躇して、「いや、ええわ、聞かんとく」と断ったものの、やはり結末は気になります。
 
 ということで、帰りに大型書店に行く用事を半ば無理矢理見つけ、絵本売り場で見つけてきました
 「シリーズあらしのよるに 第六部 ふぶきのあした 講談社」
 
 その書店は売り場の空きスペースに「座り読み」できるスペースがあるので、思わず座り込んで読みました。
 パラパラパラ...
 「う〜〜ん、そう言う結末だったか...」
 と唸りつつ、家族にも読ませる為にレジへ。
 
 まぁ、この物語を現代社会の様々な事に当てはめて解説する事も可能ですが、それは野暮な事でしょう。
 
 実は絵本だといっても必ずハッピーエンドにならないのが少なからずあります。
 例えば、最初は狐が食おうと思ってヒヨコをだまし、太らせてから食おうと餌をやっているうちにヒヨコが「きつねさんっていい人なんですね」と勘違いされ、その「いいひと」という甘い言葉の響きが忘れられずに最後は彼らを襲いに来た狼に狐が挑みかかり、死んでしまう、という話もありました。
 「でも死んだきつねさんは笑っていました」とかいう下りを読んで、何とも言えない気持ちになる訳ですが、そういう話も含めて絵本売り場にはいろいろな物語が並んでいて「わぁ、かわいい」と能天気に喜べない雰囲気があるなぁ、とふと感じた次第です。
 
 どうして子供の話の世界は荒唐無稽なんだろう?という長い間の疑問に少し答えが出た今日この頃なのですが、その話はまた機会を改めて...

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「ミルクと砂糖は?」「いえ、ブラックで」

 中学生の頃からコーヒーを飲み出して今に至ります。
 さらにもう30年近くブラックで飲んでいます。
 
 別にダイエットとかそんなのではなく、当時大好きだった女の子に「男の人がコーヒーに砂糖を入れるなんて信じられない」と言われたからです。 いえ、ほんと、それだけです。
 普通なら「やかましわい、ぼけぇ」で聞く耳もたない私ですが、好きな女の子の前ではそんなもんです。
 
 思うにこの女の子にはずいぶん振り回されたと同時に、色々な事を教えてもらいました。
 「女の気まぐれにいちいち目くじらを立てるな」
 「女の嘘を問いただすな」
 「甘えたい時には甘えさせろ、そうでない時にはべたべたするな」
 と、文字で書くと随分な言い分ですが、きれいな子は大概わがままできまぐれなものなので、以後、結構これが役に立ったと感謝しています。
 
 高校の入学式の時に目を付けて、ずっと狙ってたにもかかわらず、結局大人になってもものにできず、時々会ってはいたもののお互い別々の人と結婚しました。
 まぁ、長い長い片思いだったのでしょうね、結局は。
 オチは私の新婚旅行の時に機内で(彼女は某航空会社のSDになった)偶然合った事で、彼女と嫁を同一視野に見ながら、墨で心の中にでっかい「まる」を打たれた気分でした。
 
 とはいえ、あの子にであわなかったらもっと女性の気持ちがわからない唐変木になっていたと思います。(女性の気持ちがわかる=モテるではない:念のため) やはりそういう点では今でも心から感謝しています。
 もっとも、その長い間を他の女性に振り向けていればもっと多数の経験もつめたかも、とも言えますが、今となってはそれを確かめる事もできません。

 結局男は女に育てられるんじゃないかなぁ、というのが結論ですね。
 親から言われても守れないマナーや常識も好きな女の子に注意されたら素直に聞けますから。(私だけ?)
 
 その点、今はどうなのかな?
 以前、前を走る車の助手席の女の子が、食い終わったマクドの大きな紙袋を思いっきり窓から捨てるシーンを見た事があり、背筋が凍りました。 それは非常識だ、という以前に、おいおい、あんたがそんなことしたらだれが運転してる男を育てるんだよ、と。
 世の女性がしっかりしないと、男はもっと馬鹿になるばかり...
 
 もちろん、ケースバイケース。 男が女を育てる例もあるでしょう。
 見方を変えるとそれだけ良い女性に学生時代に巡り会ったのかもしれませんね、私は。
 これってちょっと素晴らしい事なのかもしれない。
 
 新幹線や飛行機でコーヒーを出されるとき、「いえ、ブラックで」という瞬間、いつもほんの少し彼女の事を思い出している様な気がします。
 
 どうも、おおきに。

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そんなに○玉が大きいのか

 昨日は良く寝ました。 やることがないわけではないのに寝てしまいました。
 嫁が飲みに行っていないことを良い事に、子供たちとピザ大会してビール飲んで、夜の8時からBlogの更新も忘れて11時間寝てしまいました。
 許して下さい>お天道さま
 
 ...さて、私はおっさんですが、おっさんが嫌いです。
 「私は女子高生ですが、女子高生が嫌いです。いえ、女が嫌いです」という少女漫画の一節をかなり昔に読みました。 でも私の場合はそれほど瑞々しくもありません。
 
 別に最近嫌いになったのではなく、少年と呼ばれていた頃から嫌いだったのです。
 その時からいつかは自分もおっさんになる事は覚悟していました。 端から見ると恐らく私はおっさんの山の中にいても一人金色に輝いている訳でもなく、山のひとつのおっさんとして区別がつかないとは自覚しています。
 
 しかし。
 やっぱり嫌いだ。
 
 例えば電車を待つひとつにしても。
 
 どうして丸や三角のホームの表示の間で待つ?
 こちとらこの歳で割り込みしたなんて言われたないねんから、右か左かはっきりせんかい!
 そんなとこで堂々としても誰も尊敬せいへんわい!
 
 どうして丸や三角のホームの表示のかなり離れた所で待つ?
 次に来た私はその後ろに並ぶか前に出ていいのか悩むやろが!
 そんなとこで余裕のある所を見せても誰も感心せいへんわい!
 
 どうしてベンチで、車内で90度股を開いて座る?
 横に人が来たら閉じる? 横に来るな、と言わんばかりにその臭そうな股で威嚇してたら誰が来るか!
 大の男が女みたいに足閉じれるか? 心配せんでもそんな醜いオカマはおらへんわい!
 それとも何か? そんなにあんたの○玉がでかいのか? そりゃ大変だ。
 電車に乗るのにも難渋するくらいでかいのなら、もうそろそろ御用済みだろうから虚勢でもしてまえ!。
 
 (すいません、さいきん魔邪に影響されてます)
 
 肌の色つやも無くなったのにクールビズに悪のりしてシャツの第二ボタン外すな!
 あ、それは私の事か...

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旅の風景

 という題名のNHKラジオ番組がありました...
 
 土曜日は久しぶりの日帰り出張。 一頃、週に1〜2日の出張はあたりまえという時期がありましたが、最近はそれもぐっと減りANAもJALもマイレージが増えない、新幹線も久しぶり、という状況です。

 今までの最高記録は週に東京五往復で、それくらいならいっそ泊まれよ、という話ながら、どうしても大阪に帰らなくてはならない理由があってそうなりました。 五往復目の早朝に東京に向かう新幹線で、NHKラジオ体操を車内サービスで聞いた時にはさすがにどっと疲れが出ました。
 まだあの頃は飛行機は使わずにずっと新幹線でしたので、もし新幹線にマイレージがついてたら結構なポイント数になっていた筈です。
 
 どうして飛行機を利用しなかったかというと、もともとうちは祖父から続く国鉄一家でしたから、海を超えない所へ行く時には鉄道が当たり前だったのです。
 加えて飛行機の予約方法がなんだかよくわからず、予約はすれども席は決まってないとか、乗る前にカウンターに寄らなくてはならないとか、鉄道のそれに比べるとややこしそうだったのも理由の一つです。
 それがインターネット時代になって自宅から予約が可能となり、その説明を読んでやっと納得できた、という訳です。
 
 そんな40歳になってからの飛行機旅の話はまたにするとして、取りあえず久々の新大阪駅新幹線ホーム。
 いつも三宮に行く時にも新大阪駅で乗り換えているのに、新幹線の改札を通り抜けるとほんの少し新鮮な気分。

 東京に行って発表会や説明会などの、ただそこに行けば良い場合は朝からビールを買いますが、さすがにその日に頭を使う仕事がある場合はそういう訳にも行きません。 この日は珍しく夏なのに進行方向右側(海側)の席。
 午前中はこちらは陽が当たるので、基本的に夏は山側、冬は逆に暖かいので海側を取ります。
 
 ま、そんな細かい話は退屈で長くなるので割愛しますが、季節柄、ホームでは愛・地球博に行く人も多く、エスカレーターで横を空けない若者の集団に出くわしたら韓国の団体学生だったり(韓国ではエスカレータで一列になるっていう習慣は無いのかな?)、ホームの電光掲示やアナウンスまでが夏の日差しの中で久々に新鮮な気持ちにしてくれたひとときでした。
 
 ただ、ふと気付いたのが新幹線の乗り心地が悪くなったこと。
 車両はかつてのぞみに使われていた300系という車両ですからそれほど悪くもないのに、前後左右の振動が絶えません。 恐らくのぞみが中心のダイヤになってひかりやこだまもそれにあわせてスピードアップしなくてはならなくなったのが影響しているんでしょう。
 そりゃ、後ろからのぞみが最高270km/hでおらおらおら〜と次々追いかけてくるのですから、こだまもひかりもおちおちしれられない、という状況なのでしょう。 でもそういうサービス向上が先日の福知山線の脱線に繋がったんだけどなぁ、と思うと、ほんの少し遅くても良いからぐっすりとうたた寝できるようにして欲しいと思います。
 
 思い起こせば今は姿を消した二階建てのグリーン車があったひかり号(100系)が一番よかったなぁ。
 静かで眺めは良いし、食堂車もついてたし。
 どのみち東京ー博多では飛行機に勝てる訳が無いんだから、そういう選択肢も残して欲しかったと思いつつ、睡眠不足が解消できなかった新幹線出張でした。

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紳助の話芸はいじめ

 最近ゴールデンタイムに島田紳助がよく出ている。
 例の吉本社員に対する暴力事件以前よりも、もしかすると露出が多くなっているのではないか?と感じるくらい。
 
 彼とほぼ同時期にデビューし、今でも最前線で生き残っているのは明石家さんまくらいだが、二人の芸風は対照的に感じる。 関西以外の人はどう感じられているかわからないが、私にとってはさんまの話芸はおちょくり、紳助の話芸はいじめだと映る。
 
 基本的に面白いネタというのは我々(特に関西人の)日常的会話も含めて、若干いじめ的な傾向があるのは事実だ。 しかしそこからどこまで引っ張るかで笑いの中の毒の量が変わってくる。
 例えて言うと、さんまはちょっとおしゃれをした女性に対し、「えらい頑張ってるやん、まつげ1cmはあるで。 今晩合コン? あ、持ち帰られ準備やね」という程度まで比較的古典的な下ねた方向で突っ込む。
 これに対して紳助は「えらい頑張ってるやん、今晩合コン? 無理無理、お前なんかなんぼ化けても無駄やで。男はだまされへん。」と徹底的に突っ込む。
 
 考えてみるとそういう点を意識してか、さんまほど紳助は一般視聴者を扱う番組には出ないような気がする。 相手が芸能人だからそこまで突っ込める、また見る方も安心してお約束事のぼろくそいじめが楽しめる、という図式が出来上がってるのだろう。
 いじめは人間の本能であり、どこかで健全にそれを吹き出させた方が良い、それを紳助は同じ芸能人を材料に代行しているのだ、という評価も耳にしたことがある。
 
 しかし、そういうテレビの制作側と、それに馴らされた視聴者のお約束事は子供にはわからない。
 テレビの内容が日々の生活に与える影響は大きい。 子供の世界にはお金と引き換えに徹底的にいじられる芸能人はいないのだ。
 そういう視点で紳助の番組を見ていると、関西の言葉っていつのまにここまで攻撃的になったんだろう、と嫌な気分になる。 もちろん家族が彼の出ている番組を見出すと、私は早々にその場を立ち去る。
 
 紳助は公開の場でよく泣く。 大概は自分が窮地に追い込まれたり、痛い所を突かれたときなのだが、例の社員に対する暴力事件の記者会見でも大泣きだった。 本人は説明しようのない気持ちが感極まって、と言う所だろうが、私にとっては気持ちが悪いだけだ。
 昔、「猿にもわかる...」とか言う題名のうんちく番組やニュース系の司会を彼がやりだした頃から、彼はインテリ意識に目覚め、それを隠さなくなったように思える。
 このとき私は、元は暴走族・ヤンキーネタで人気を取った芸人が、何勘違いしとんねん?と嫌悪感のようなものを覚えた。
 ここまで生き残った芸能人なのだから、勉強しているのはわかる。しかしそれを芸風ににじませるかどうかは別問題だ。 それぞれの記号を間違ってはいけない。
 
 今でも司会の端々に(彼はネタのつもりだろうが)そういう「俺は賢いんや」的な発言を入れ込むことがあるが、それほどの知性があるのであれば、第三者が聞いて納得できるだけの会見をあの事件後にするべきだっただろう。
 「泣いてごまかすなよ」
 
 たかがお笑いにそこまで突っ込むな、と思われるかもしれないが、人生の方向を変えざるを得ないくらい虐められてきた子供を専門学校で見ていると、安閑として見過ごすことはできないのだ。

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SONYクオリティ

 記憶があやふやながら、確か題名の様な言葉があったと思います。(正確には言葉は違うかもしれません。その際はご容赦を)
 これはSONY製品は壊れやすいがユーザーは懲りずにまたSONY製品を買う、という意味です。
 
 今宵は阪神もぼろ負けが見えて来たし、受け持ち学生の保護者への連絡も済み、さて今日は何を書いて寝ようかと思っていたら、机の上にあるSONY製の電話機の子機が何も触っていないのに液晶表示がONになったのでふとこの言葉が浮かびました。
 
 数ヶ月前からこの状態が時々起こるようになり、別段そこから勝手にどこかに電話をかけたりする訳でもなく、いざ使う時にはまともに動くのでそれほど気にはしていません。
 でも一年程前に買ったDoCoMoの端末(SO213i、通称Premini)も最近、ロックボタンを操作するとON-OFFを勝手に繰り返すいわゆるチャタリングという現象が起きています。 まぁ、こちらはSONYブランドとはいえ、正確にはSONY-Ericssonですけど...
 
 もともとSONY製品はオーディオを中心に昔からファンが多く、私もその一人です。 単にファンであるのではなく、「あ、これ欲しい」とアンテナが反応するものにSONY製が多いのです。
 かつてHONDA-SONYブランドに共にハマった、と書くと分ってもらえる世代の方も多いかと思います。
 
 我が家のテレビは未だに厚型ブラウン管ですが、大小全てSONYトリニトロンで、MacのモニターもOEMながら全てトリニトロンという、改めて考えると相当SONYに投資している様な気がします。
 
 しかし全て、とは言いませんが、長年使っているうちにオーディオならボリュームがガリガリ言う、電源を数回入れないと入らない、ヘッドホン端子が接触不良を起こす等々、使えなくなる訳じゃないけど、些細なトラブルがよく起きるのも事実です。
 ところが、これがPanasonicやSANYOとかなら「これがモノ作りニッポンの製品かい!!!!」と激怒するのに、何故かSONY製品は「あ〜あ、やっぱSONYだな」と納得はしないものの、諦めてしまうんですね。
 これがSONYクオリティという言葉の語源だったと思います。
 他のメーカーからしてみれば羨ましい話しかも知れません。
 
 この言葉はSONY自体も知っており、以前新聞だったか雑誌に「そういう言葉があるのは知っているが、決してそれにあぐらをかいている訳ではなく、日々努力を怠っていない」という首脳陣の発言が掲載されていました。
 
 これについては、「愛着がある製品のトラブルは印象深いからだ」「愛着の無い製品は壊れても気にならないから記憶に残っていない」とか様々な世間の分析があるようで、私自身もこの場でSONY製品を糾弾する様な気持ちはさらさらないので、単なる雑談として書いていますが、やっぱり耐久性低いんじゃない?とPreminiを日々触りながら感じているのは事実です。
 
 しかし、このPreminiも他に変わる製品が無いんだもんなぁ。 カメラなんていらないし、でかい折りたたみもいらないや、と思っていた私には唯一無比の製品でしたから。
 
 なんだ、結局惚れた弱みかい...
 でもiTunes連動機能が付くMotorolaのDoCoMo端末が出たら浮気するかも。

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誰も書けない輸入車のメリット

 ネットワーク上のささやかな自動車に関するメディアでも、やっぱり書けないよな、これ、というネタが幾つかありました。
 比較的ゲリラ的性格を持つネットワーク上でこれだから、従来の紙媒体ではなおさら書けない訳です。
 まぁ、コメント機能はあるとは言え、比較的一方的要素の強いBlogならどうかな、と改めてそういう見えないタブーに挑戦してみようかと思います。
 
 私は現在ドイツ製の輸入車に乗っています。 もう一台、その前に、マツダ製だけどアメリカ向け、というオープンカーを逆輸入し(こいつは船でアメリカに行って飛行機で日本に帰って来たと言う贅沢者)、取りあえず今も保有しています。
 このマツダ製逆輸入車に乗って気がついた事がありました。
 アメリカ向けという事で日本仕様には無かったクルーズコントロールという機能がついており、これは設定した速度を自動的に維持するもので、長い高速道路を延々と走る機会が多いアメリカでは非常に有能な機能です。
 
 日本では比較的高級車に装備されていますが、ユーザーの多くは日本の高速道路は混んでいるので使いにくい、とあまり話題になる事は無い様です。
 また、日本の高速道路は現在最高100km/h制限がある為、おおむね105km/h程度で上限が制限され、それ以上の速度では使えなくなっているのも、100km/h+αで高速を延々と走る本当の高速ツアラーには「使えない」装備になっています。
 
 もうお気づきだと思いますが、この105km/hというクルーズコントロールの制限は日本車の日本市場のみでの「自主規制」なのです。 「自主」ですからいつでもメーカーは止める事ができそうなものの、そんな事をしたら国土交通省が黙っていないぜ、のいわゆる法でなくて法であるという事実上の国の方針です。
 
 これに左右されない輸入車のクルーズコントロールはどの国のものであれ(輸出用であれば日本車でも)そんな制限は無い訳で、経験上高速道路を移動する時は制限+20km/hと決めている私は恐らくこの規制が無くならない限り日本車を買う事は今後無いと思います。
 
 この話のどこかタブーかと言うと、この規制を外せ、ということはイコール高速道路で連続的な制限速度違反を認めろ、という事になり、お前は違法行為を助けるのか、と指摘されるからです。
 しかし私は長い間の大阪ー関東往復1000km日帰りの経験から、一団で延々と走る危険を犯すくらいなら速度違反と罵られても集団からできるだけ離れる走り方を選びます。
 現在研究されている自動で車間距離を保ちながら集団で走る、そのかわりドライバーは居眠りをしていても安全、というシステムが完全に実施されれば別ですが、ただ淡々と前者について行く事は、その集団のどこかでトラブルが起きた場合、意識の低下による居眠り、後続車のいらつきなどの多数の危険をはらんでいると信じているからです。
 
 世界の自動車メーカーはそういう事情を実は良く知っており、よりよいクルーズコントロールを日々研究しています。 アウディ等では前に遅い車があればそれに追従し、その車がどけば設定の速度に戻るシステムを採用しており、その際の追従車間も比較的短めです。
 しかし日本では国土交通省の余計な指図の為、同様のシステムを開発しても車間は広めなのでどんどん割り込まれるし、何より遅い前車が車線を開けても上限は105km/hというどうにも糞詰まりな製品にしかならないのです。
 たまに日本の開発者と話す事がありましたが、みなこの虚しさを嘆いており、これはもの作りを生業とする人には気の毒な限りです。
 
 105km/h以上でクルーズする事が罪なのか? それならどうしてアクセルを踏めばもっと速度が出るのか?
 それとも日本人は大型トラックのようにどんな性能を持っていても90km/h以上は出ない車を望んでいるのか?
 国土交通省の覚醒を待ちたいと思います。

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暴風マンション

 今日は久々に朝から何も予定の無い日でした。
 しばらくいろいろとヘビーな日が続いていたので、以前から「今日こそは寝たる」と決意。
 幸い、変な勧誘の電話等も無く、途中一度起きて朝食・洗濯物干しの後、午後2時まで午睡を楽しむ事ができました。
 土日は家族がわいわいと賑やかで、こういう平日を独りゆっくりと過ごすのは本当に贅沢な楽しみだと思っています。(同時にアリとキリギリスの「キリギリスへの恐怖」も背後に感じますけどね。何せバイオリン習ってたし。ははは...)

 とりわけ、この季節は窓を満開にしていれば12Fという立地条件故か結構家の中を風が通り抜けますので、その風を感じながらだらだら過ごすのは最高です。
 おかげでうちの家は真夏でもエアコン要らず、電気代が一年で最も安い。そしていつのまにか冷房に弱くなりました。

 そのうち半パンとTシャツで過ごすようになると、まさに「暑いの〜、今日も」と言いながら過ごす昭和30〜40年代くらいの日本の夏そのものとなります。
 とはいえ、さすがに考え事は無理みたいで、昼間、自宅で仕事をする時は自分の部屋だけエアコンをつけます。 熱帯地方から哲学者は生まれない、というのは真実だと思う瞬間でもあります。
 
 しかし、ひと夏の間、こんな日ばかりではなく、風の非常に強い日もあります。
 そうなると風上の紙類は全部風下の部屋の網戸に張り付き、子供のプリントやカラオケ屋の割引券等、無いものはこの網戸の所に探しに行く羽目に。
 加えて玄関や各部屋のドアが開きにくい or もし挟まれたら手首ごと飛ぶんじゃないかと思うくらいの勢いで閉まる、などの恐怖も体験する事となります。
 引っ越した頃に何度か風鈴をつけたら、最初のはすぐ風を受ける短冊がぶっとび、丈夫なタイプにした次のはあまりにうるさいので撤去すると言う始末。
 その風の中で鳥かごから出したインコは風上に向かって飛ぶつもりが前に進めず、その場で羽ばたいたままのヒバリ状態、といろいろな出来事が起きる暴風マンションとも化します。
 
 世の中には20数階建てのマンションも溢れていますので、こういう話しも実は珍しくないかもしれませんが、うちの場合は主に風が吹き込む南西側に何も無い、というのが12階ながらこういう状態になる理由かもしれません。
 
 以前住んでいた交通量の多い道路の前のマンションの三階では子供たちはよく咳き込んで耳鼻科にもお世話になっていたのに、ここに引っ越してからはいつのまにか鳴りを潜め、息子に至っては健康診断で「こんなきれいな肺は珍しい」と言われる始末ですから、暴風マンションは空気が良い様です。(ちなみに夫婦共スモーカー)
 
 丁度、今、雨が降り出しました。 それほど風の強くない日には雨の匂いを含んだ風がそよそよと流れ、世間一般程雨が嫌いではない私としては、階下からの車の雨を跳ね上げる音を聞きながら結構楽しんでいます。

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真夜中のLayla

 先日、家内の実家に田んぼの手伝いに行く時、サービスエリアに入った直後にFMからクラプトンのレイラがかかりました。
 あのイントロは何とも言えない魅力があるもので、かなり以前にどっかの球場で(今は無き大阪球場だったかも??)クラプトンやダイア・ストレイツ、エルトン・ジョンなどがUK連合でライブをしたときにもあのイントロで同世代の連中が涙を浮かべて(ホントの話し)大歓声を送ったのを今でも覚えています。
 
 が、キーボードの私はあのイントロよりも楽しみにしているのがブレイクの後のピアノで始まる部分なのです。
 ところが、大概はラジオではあそこからカットされると言う、言わば「天国への階段」の転調後と同じ運命にあり、その日もどうせカットだろう、と思って車を降りてしまいました。 トイレだけ済ませて再び車に乗ると、なんと、キーボードパートが鳴り続けていました。 う〜む、なかなかやるな>αステーション

 先日、夜中に酒飲んで自己満足ピアノを弾くことがある、と書きました。
 最近の一発目はこのレイラのキーボードパートです。
 実はこの部分は殆どコード弾きなのでそれほど難しくないのです。 同じ様な例はシカゴの"Saturday in the park"もそうで、要はギターのコードが弾ければ、音階をひとつひとつ拾って鍵盤に当てはめれば弾ける程度です。
 むしろキーボードの方がギターよりもベース音を独立させて変化させる事が簡単なので、レイラの様に右手はコード変化無し、左手のベース音のみで音を作って行く曲は楽かもしれません。
 
 基本的に他の曲もコードが中心で、むしろ完璧に譜面に書かれている方は苦手です。
 もともと楽譜の読み方を覚えたのがバイオリンと言う単音楽器だった為、ヘ音記号が直感的に分りません。 姉がピアノを習った事に対抗して始めたバイオリンでしたが、今考えるとピアノを習えば良かったと心底後悔しています。 ディープ・パープルの"Burn"のオルガンソロを聞く度にほんと、後悔しています。
 決定的だったのはさだまさしがテレビで精霊流しのバイオリン・ソロを流した時で、「く、く、暗れぇぇ!」と思わず呻いてしまいました。
 たくさん集まると奇麗な音が出るんですけどねぇ>ストリングス
 
 で、レイラの話。
 以前フォルクスワーゲン主催のクラプトンのライブに招待され、わざわざ武道館にまで行った事があります。 終演後のアフターバーに顔を出すと、クラプトンやスティーブ・ガッドは来なかったものの、ベースのネイザン・イーストは来ていました。(あと、フォルクスワーゲンの外人の偉いさんの娘たちとか)
 同じく緊張をほぐしに来ていたキーボードプレーヤー(名前分らない〜。資料がどこかに行った)にちょっと失礼とは思いながら「あのブレイクの後、弾くのは緊張しない?」と聞いたら、「滅茶苦茶緊張するよ」と意外に素直な答えが。 
 「だってみんな僕があのコードを弾くのを一瞬の静寂の中で待ってるんだよ?もしミスタッチしたらどうしよう、って公演の度にドキドキするよ」と言う事で、このレベルの人でさえそんなもんかぁ、と妙に納得した話しでした。
 
 ま、酔えば気分は「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギアということで。

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疲れた時の戯言

 田んぼの手伝いから帰って来たのが昼過ぎ。 早めに出たので高速道路も空いてて快調に帰ってきました。
 にもかかわらず、相当疲れたのか、夕方頃には頭がフラフラするような状態で、日頃三宮の坂や学校の階段を相当歩いている程度ではまだ運動不足だと痛感しています。
 
 普段、ああいう風に体を思いっきり使う事が無いのでこの疲れが抜けたら結構良い調子になる、というのはわかっているものの、やはりこういう時には頭に浮かんでくる事がネガティブになりがちです。
 
 一時期、NHKのERにはまっていたとき、老婆が寝る前にクリスチャンらしくお祈りをするシーンを見ました。 そのとき彼女がつぶやいたのが「神様、今からひとときあなたの下に参ります。そのままそちらに思し召しの時はこのまま目覚めなくて結構です。あなたの下に置いて頂けない時はまた朝に目覚めさせて下さい」という台詞でした。
 もともとERは見終わって楽しい気持ちになるというものではありませんが、はぁ、そういう考え方があちらにはあるのか、と、正直感心しました。 寿命で死ぬというのは単に眠りの延長なのか、と。
 
 あと、こういう時に思い出すのが幼稚園の時に初めて読んだ「いたずらきかんしゃチュウチュウ」という絵本の一場面。
 誰にも指図されず自分の行きたい所に行きたい、と勝手に暴走した蒸気機関車が廃線に迷い込んでしまい、最後は燃料が切れて「チュウ...チュウ...」と行き倒れてしまうシーンです。(チュウチュウ(choo choo)、というのはアメリカでの蒸気機関車の幼児擬態語。多分コンプレッサーかポンプの排気の音から来たのかと)
 海外の絵本だった為、その頃同時に読んだ和製の「きかんしゃやえもん」とは全く違った絵柄で、白黒で描かれた雑草ぼうぼうの廃線で動きを止めてしまうチュウチュウにとてもショックを受けた覚えがあります。
 
 日々どんどんものを忘れて行っている最中なのに、どうしてそういう小さい頃の些細な事を今でも忘れないのかは不思議ではありますが、それは忘れている・いない、ではなく、自分がそういう場面に立っているからもしかすると一生思い出さなかったかもしれない(イコール忘却)脳の引き出しから無意識のうちに探し出したのかもしれないと思うとちょっと憂鬱になります。
 
 チュウチュウの様に燃料が無くなるのではなく、一度エンジンオイルの切れた車を運転した事があります。 いくらアクセルを踏んでも踏んでもどんどんエンジンのパワーが失われ、そのうち「ゴッ」という鈍い音とともに焼き付いてしまいました。

 人が疲れるというのはガソリン(燃料)が切れるんじゃなくてオイル(潤滑油)が切れる事じゃないかとふと思います。
 ガソリンの量はどんな初心者でも気を遣うけど、オイルって警告当が点くまでほったらかし、というのが実際多いですからね、
 
 今日は父の日。 みなさん、優しい言葉をかけてもらいましたか?>世のファーザー

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水田でんねん

 本日は滋賀県にある家内の実家からお送りします。
 家内の実家は農家で、本日は田んぼの「溝きり」に息子と二人で駆り出された訳です。 結婚以来ずっと米を貰っているので断れません。
 
 本当は家内と娘を加えた四人で帰る筈でしたが、家を出る直前にボルケーノ嫁が突然噴火して結局息子と二人で帰る羽目に。 でもあんたの親の手伝いですけど>嫁
 
 それはともかく、今日は暑かった。 「こりゃ脱水症状になるで」と隊長(義父)は言うけど、いつまで経っても気温は下がらないので13:30から田んぼへ、
 溝切りというのは水田の排水をスムーズにする為に水路を掘る作業です。
 水田と言うといつも水に満たされているイメージがありますが、実は排水も重要な作業で、水が抜けきらないところがあるとそこにガスが発生したり、熱がこもったりと収穫に影響するそうです。 昔は田が小さかった為にこういう作業は不要だったそうですが、区画整理で一つの田が大きくなったが故の作業という事です。
 
 エンジン付きの溝切り専用の機械があり、それをコントロールしながら水田を隊長の指示の下で縦横に往復します。 自走式とはいえ、田植えや刈り取りと違って人間が一緒に歩かなくてはなりません。
 端から見ると田んぼを淡々と横切っているように見えますが、実は水田を歩くというのは重労働で、プールを歩く運動の多分十倍くらいしんどい作業なのです。
 長い水田になると130mくらいありますから、片道作業すると息が上がって、タバコすら吸う気にならず、ひたすら水分を取るだけです。
 心臓もバクバクで、多分血管の隅のゴミも奇麗に流されたんじゃないかと。
 溝切りを手伝うようになったのは昨年からで、こんな重労働を独りでやっていた隊長はすごい。(今でも本気で喧嘩したら多分一発で私がノサれるでしょう)
 
 これを息子と交代でやりながら四時間、掛け値無しに疲れました。 今も座っている事すらしんどくて寝転びながらラッコ状態でこのメッセージを書いている始末。
 幸い、全ての溝切りが終わったので明日は枯れ草を集めて焼くだけ、という「比較的」軽作業だけというのが救いです。
 
 ただ、悪い事ばかりではありません。
 田んぼの中にはオタマジャクシもいれば変身したばかりの小さなカエルが突然の人間の侵入に驚いてにげまわりますし、アメンボも一杯。
 畦道には白や黄色、色鮮やかな蝶もいっぱい。 空にはヒバリが「ばかやろう、お前らが来たお陰で獲物が逃げただろうが、こんにゃろうめ」と言いながら飛び回ってます。
 
 大阪駅から三つ目の駅とはいえ、昔はこんな風景が私の周りにも当たり前に存在してたんだけど、というようなことを、足を用水路の冷たい水に浸けながら畦道の上に寝転んで考えていました。
 今日はあいにく雲が多かったものの、天気がよければ飛行機雲を曵きながらジェット機が行き交う空です。
 
 ところで知ってました? 水田の泥の中って暖かいのです。
 さらに田んぼには底があるのです。 私は泥がずっと積もってて下手すると底なし沼なんじゃないか?と思っていました。 ところがズブズブ、と沈んだ後、ちゃんと堅い底に当たります。
 農家に生まれた人にとっては今更何を、かもしれませんが、40数年生きてて私は知りませんでした。
 米作りって大変なのです。

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プロ野球交流戦が終わって

 今日から四日間程阪神の試合が無い事で、あぁ交流戦が終わったんだ、と実感しました。
 
 パ・リーグファンには申し訳ないけど、最初交流戦の構想を聞いたとき、球団再編のドタバタのあおりをなんでセ・リーグが受けなあかんねん、とか、どちらかと言うと迷惑視していました。
 例年ならそのまま独走しそうだった中日がどんどん落っこちていつのまにか阪神がリーグ首位になれた、という経緯はあるとは言うものの、いや、面白かったです、36試合。

 おかげで特にファンになった、と言うパ・リーグの球団や選手はないけど、いままで本でしか読んだ事が無かった場所に初めて行ったときの様な気持ちというか、「お、ボビーや」「へぇ、日本ハムの監督も外人やったんや」「新庄、元気そうやな」「城島、相変わらず若菜譲りのめだちん(目だちたがり屋)やのぉ」「お、坪井や、こないだは吉田豊彦見たで」とかとか、いつもなら単調に「今日どこと?勝ってる?」程度で終わってしまう所が結構楽しめました。
 いつも読んでいる雑誌に綴じ込み別冊がついていた、とでも言えば良いのでしょうか。
 
 これでどの球団がリーグ優勝しても日本シリーズでの対応が変わるでしょう。 そう思うとまだお楽しみは残っています。
 
 それにしてもロッテ強い。中日弱い。巨人どこ行った?
 ロッテと言えば十年くらい前にここで近鉄がロッテに勝てば優勝、という時に、西本ファンだった私は珍しくラジオでずっと聞いていました。 当時下位だったロッテが妙に頑張って結局近鉄は優勝できず、妙にロッテに対して反感を抱いたのを覚えています。
 幕張に行くと駅前にロッテ・ショップがあって、フランチャイズ球場最寄り駅とはいえ、「へぇ、やっぱりいるんだ、ロッテファン...」とも。 ロッテファンには申し訳ないですが、その程度の印象しか無いのです。
 そのロッテが元ダイエーのソフトバンクや西武を尻目にぶっちぎりですからねぇ、やっぱりバレンタイン監督って凄い能力を持った人なんでしょう。
 
 一方の中日は交流戦まで憎たらしいまでに強かったのに、一転して笑っちゃう程パ・リーグには弱かった。
 阪神ファンとしては嬉しくない訳が無く、落合はやっぱり何も考えてないんとちゃうか、とか、コーチがいろいろ持って来るパ・リーグの資料を「いいのいいの、オレ流で。選手がやってくれるから」とか鼻くそほじくりながら言ってたんじゃないか、とか話題が尽きませんでした。
 まぁ、それも本来のリーグ戦再開で答えが出るでしょう。
 
 例年なら「あぁ、今年の阪神は例年通り夏前に終わったなぁ」と言っている筈が、この状態。
 それが交流戦だけの恩恵だったかどうかは分りませんが、久々にこの時期中だるみしなかったプロ野球でした。
 
 実は私はサッカーのコンフェデレーションカップの意味を今日まで知りませんでした。 ワールドカップの一環だとばっかり思ってたもんなぁ。
 逆にサッカーファンは交流戦を見て「まだオープン戦?」とか「え?もう日本シリーズ?」とか思っていたのでしょうか。

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酒を飲むなら...

 いつのまにか、酒を飲むのが好きになっていました。
 それまでも嫌いじゃなかったのですが、何せ350mlのビール一缶で「酔ったぁ、酔ったぁ」状態でしたから、楽しむもへったくれもありませんでした。
 二十代の頃は酒好きがたまに飲みに連れて行ってくれても、すぐに帰りたくなるので「おまえと飲んでもつまらん」と言われたものです。
 
 それが変わったのは結婚してからです。
 もともとうちの家は盆や正月、来客時以外はアルコールを飲む習慣がありませんでした。 ところが家内の実家は毎晩晩酌をしていた、という環境の違いで、徐々に毎晩ビール(と言っても350ml一缶程度)を飲むように。 それでも最初のうちは夕食後に必ず寝てましたけど...
 
 酒はある程度は訓練で強くなる、というのは本当です。 そんな事を20年近く繰り返しているうちに一応他人様と付き合い程度には飲めるようになりましたから。
 そうなると逆に他人とちょっと話そうか、ということになるとどうしても「ちょっと飲む?」ということになり、昔は「別に他人と喋るのに必ず飲まんでもええやろ」と思っていたのが懐かしい限りです。
 やはり小さい事からコツコツと、でしょうか。(違うか) 
 
 御陰さまで、仕事柄か遠慮したりゴマすったりする酒はありませんから、多分悪い酒じゃないと思います。
 主に学生、元学生、気のあう先生、友達、それから独り。
 学生や先生とはどうしても三宮中心になるので、帰りの事を考えるとそれほど酔えません。(とは言いつつ、終電に乗り遅れる事多数) というか、やはり外で飲む酒はどこか緊張している気がします。 歩いて帰れる所なら別でしょうけど。
 その点、自宅で独りの時は結構ヘロヘロになるまで飲んでいますね。 と、言ってもちゃんと布団に入って寝ますから泥酔ってのじゃありません。
 
 独りで飲むときのアルコールはイエガーマイスターというリキュールをストレートで頂きます。
 名前の通りドイツ製。 ハーブ中心なのでフラフラになるほど飲んでも朝は滅茶苦茶健康に目覚めます。
 味は...変わってますね。 他人に言わせると「養命酒」「子供の風邪の飲み薬」とかあまり評判はよろしくありません。 私は結構苦いというか癖のあるのが好きなもので。
 難点は売っている店が少ない事で、わざわざ車で30分くらいかけて箕面の方に買い出しに行きます。
 
 これを冷凍庫に入れて冷やしておき、シューターっぽいグラスでちびちび頂きながら、"fallingstars.co.kr"をBGMに本読んだり、映画やDVD見たり。 そのうち正気と酩酊の境目をさまようようになって、時にごそごそiPodを引きずり出して大音量で聞いたり、突然ピアノ(夜景が見える窓際に置いてあるんだな、これが)をこれまたヘッドホン経由でブワ〜っと自己満足弾きした後、突然「寝よ」とお開きになります。
 
 と、書くとなんだかだらしない様な気がしますね。 まぁ、自宅できりりと飲む必要も無いので、こんなもんじゃないでしょうか。 やっぱり夜景と音楽は酒によく合います。
 いや、やっぱり好きです。 夜中に独りで飲むの。

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素敵なリゾート・バス

sunset
 自動車評論家の仕事を中心にしていた頃、試乗会でそれこそ北は北海道から南は沖縄まで行く事がありました。 普段試乗会は御殿場を中心に行われますが、メーカーや輸入代理店の肝いりのイベントのときはこういった遠方で開かれるのです。

 場所にもよるとはいえ、一応業界の主催ですからホテルはいつもその地域の一流どころというのが標準で、さらにイベントを裏で取り仕切る代理店の腕の見せ所、とばかりに非常に個性的な宿泊場所が選ばれるときもあります。
 そんな中で今回の話しの流れでバスにこだわると、二カ所程思い当たります。

 第一は、ドイツV社の主催だった伊豆半島から駿河湾側にちょこっと突き出た淡島というところにある「淡島ホテル」。(http://www.awashima.com/)
 駐車場は半島側にしか無く、そこからボートで淡島に渡り、その他にはロープウェイしかありません。 そのロープウェイも夜には止まりますので、その時間帯は全く一般社会とは切り離されたホテルとなります。
 ここを貸し切ると一般人は一切入れないので、高級ブランドや芸能人のプライベートパーティーにも使われるそうですが、ロビーよりなにより部屋の作りがゆったりしており、ダイニングと寝室は別部屋、それに最高なのは夕日が沈む富士山を見ながらゆったり浸かれる駿河湾に面したバスルームです。
 バスタブにはコットンの枕がついていて、横には本や飲み物を置けるスペースが広々としており、まさに半身浴しながら明るいバスルームでだらだらと過ごす事ができます。
 富士山を肴にバスタブに浸かりながら一杯、というのも最高ですね。
 言うまでもなく他部屋から誰もバスルームが覗けない設計になっています。
 
 関東からだと二時間という所ですから、私がもし関東に住んでいたら箱根よりもこちらの方を隠れ宿として選びたいですね。 あ、でも夏は箱根かな。
 
bathroom 次は一気に沖縄に飛びまして、ザ・ブセナテラス。(http://hotel.okitour.net/hotelReport/htlBusena/index.asp)
 ここはドイツA社の仕事でしたが、何より部屋からの眺めが最高で、特に窓際にある訳ではないバスルームからでも海が見えるように、バスルームとルームの間の窓を開く事ができるようになっていました。
 朝は太陽を背に受ける為に海と空が真っ青に、夕方は真正面に太陽が沈む為に部屋にもたっぷりと南国の日差しが差し込むようになっています。
 実際にプールサイドでのイベントまでのひととき、夕日の差し込むバスルームで空の旅の疲れを癒しましたが、南国独特の空気も合わさって、仕事なんてする気が無くなるというのが本音でした。
 
 夢物語で使い分けるなら、資料等を持ち込んでのんびりじっくりと考えたい時には淡島、ハードな仕事が終わって何もかも忘れたい、というならブセナでしょうか。 ただ、目的地に着いたらあちこち遊び回りたい、というパートナーを連れて行くなら淡島はすぐに飽きるかも...
 シチュエーションは一人旅か、お互いの存在が気にならない程気取らない付き合いの異性でしょうね。
 逆にブセナは一人じゃもてあましそう。
 
 と、ロマンチックな事を書きつつ、那覇空港で初めて自衛隊ファントムのパラシュート付き編隊着陸を見て大喜びをしていた、というヲタな話しはまたいずれ...

※淡島ホテルの写真はいくら探してもなかったので、ザ・ブセナテラスの室内と夕日の写真を載せておきます。クリックすると拡大写真が開きます。

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風呂場でJazz♪

 「音楽は水や電気に次ぐ生活インフラだ」という記述を阪神淡路大震災に見舞われた神戸・チキンジョージ絡みのwebで読んだ事があります。
 確かにそうですね。 いつも音楽が無いと落ち着かない、とまでは言わないものの、ふと音楽が流れていると(趣味にもよりますが)やはり落ち着きます。
 
 実は暫くの間、仕事場や自宅でリラックスするときのBGMに困っていました。
 もう十年くらい前にFMラジオの選曲に失望し、かと言って手持ちのCDやレコードはすぐネタ切れで、第一ずっとかけておくには面倒、一時期有線放送を事務所に引こうかと真剣に検討した事もあった程です。
 それをインターネットラジオが救ってくれたのです。
 
 私がずっと聞いてて飽きないのはちょっと崩れたJazz系で、後でフュージョンと呼ばれる様になったクロスオーバーと呼ばれる辺りです。 今ではスムースジャズと呼ばれていますね。
 Macに標準搭載されたiTunesでインターネットラジオがブラウズできると知り、いろいろ探した結果、音質と選曲でその名も"SmoothJazz.com"という放送を見つけました。
 これには冗談抜きで狂喜乱舞し、事務所でも家でもステレオにMacを接続してご機嫌様でした。
 
 ただ、ずっと聞いていると同じ曲が何度も流れる事が気になり、選曲も徐々にJazz臭さが薄れて来ている、と感じだした頃に、韓国の"fallingstars.co.kr"というサイトを見つけました。
 これがなかなかの優れもので、アメリカの"SmoothJazz.com"と比べてアジア人として似たセンチメンタリズムを持つのか、私にはぴったり来ました。
 これについて韓国からの留学生に聞いてみた所、彼女もどこかで韓国人の選曲センスが良いと言われていると聞いた事がある、と言ってましたので、う〜ん、侮り難し韓国文化、というところ。
 
 一時期、接続が増えすぎたせいか繋がらない事が増えて来たのですが、どこか太い通信線を持つ中継サイトと提携したのか、最近はいつでもどこからでも繋がります。
 ただこのサイト、何を収入源にして経営しているかよくわからないのです。 webを見ても「今の所、非営利放送局です」という記述が2002年からずっと続いています。 まぁ、ただでこれだけのクオリティが楽しめるなら良いじゃないか、と思いつつ、ある日や〜めた、と言われそうで依存している私にとってはちょっと不安ではあります。
 
 それはともかく、この放送を風呂に入る時はUSB経由のFMトランスミッターで音を飛ばしており、目をつぶれば家の風呂でもリゾート、ってなもんです。 ラジオはホンダの試乗会で貰ったノベルティなので音は知れているものの、エコー抜群の風呂場の事、それはそれで楽しめます。
 理想はこの季節、例の狭きベランダにもスピーカーをつけて、と行きたい所ですが、さすがにそれは実現していません。
 
 風呂と言えば、私が今まで利用したリゾートホテルで一番印象に残っているのは、駿河湾に浮かぶ淡島ホテル、と書きかけて、いや、それなら沖縄の...なんて事も思い出したので、これはまた次回にでも改めて書きましょう。
 
 ま、そんなバブリーな話しではなくても、お気に入りの音楽さえあれば自宅の風呂も捨てたもんじゃない、というお話でした。

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金髪の兄ちゃん

 昨夜遅く、四年前の卒業生から突然メールがあり、私の家の近所まで来ているとの事、早速ファミレスで二時間程話をしました。
 
 彼はT君と言い、他の二人と併せて当時は二年制だった標準課程にプラス一年の三年目を一緒に過ごした一人です。 別に留年した訳ではなく、はっきり言うと二年でやりたい事が見えなかったので、取りあえずもう一年学校に来た、というわけです。
 
 一言で言うと彼らの形容詞は「やんちゃ」。 悪い事はしないものの、みんな毛を染めてるし、格好はボーダー、そして何故か彼らと仲が良かった私がその三年目の担当となりました。
 小さい一室を与えられて、週一回、そこで四人Macに向かうと言う、変な授業で、私自体もふと「美術展行こうかぁ」とか言い出したり、果ては夏休みに四人で隠岐へ旅行に行ったりと、良く言えばゼミ、悪く言うと隔離されたクラスだったのかも知れません。
 
 T君はその内最もパッとせず、PhotoShopもIllustratorも今ひとつ、さぁどうするね? 正直そんな感じでした。 顔は男前だけとツンツンの茶髪にイカツイ顔で、一部の人しか分らないでしょうが、漫画「テニスの王子様」の阿久津のようで、なにげなしに入ったコンビニで、店内にいたチーマーたちが思わず道を譲ったという逸話がある程です。 そのくせ似合わない様な真面目な女の子を好きになって告白して玉砕したり、と結構相談にも乗りました。
 
 その彼がある日、ひょんな事からAdobeのAfter Effectという映像加工ソフトにはまりました。 それ以後、他の誰より黙々と制作に打ち込み、ある日「せんせい、僕、これがやりたかったんです」とはっきりと口に出しました。
 考えてみれば日産がルノーに買収された直後のCMで流された"Fat Boy Slim"の"Right here, Right now"という印象的な曲を彼はテレビで流れる半年前に自分の作品に入れ込む等、才能の片鱗は見えていたのかもしれません。

 当然就職希望もその方面でしたが、もともと映像関係は関西では求人が少なく、加えてその当時はうちの学校は映像関係に実績が無く、結局卒業後6月になって唯一求人情報が舞い込んだY興業の下請け制作会社にバイトで転がり込みました。 この時もまだふられた凹みをひきずる彼を喫茶店に呼び出し、「このままでは悔しないか? 希望の道と違うバイトでうじうじしてるくらいなら面接行かんかい!!!!」とケツを蹴ったのを覚えています。
 
 しかしそれから正社員になるまで一苦労、現場でY興業の老社員に虐められて一苦労、残業代をピンハネされて一苦労、そして最後は社長が夜逃げして一苦労、とずいぶん苦労をした様です。
 ところが倒産と言う事態になって、その間の働きぶりを見ていたY興業が、個人契約社員として採用、結果として苦節四年、立派な給料をもらうまでになったという話しを聞いて、改めて「こいつ偉いなぁ」と思った次第です。
 突然私の所を訪ねて来たのも、やっとできた余裕の金を貯めて中古の、しかし現金で買ったバイクを私に見せに来たかった様です。
 
 今では彼の髪は茶髪を通り越して金髪、話を聞くと、それで結構第一印象を悪く持たれた事はあったそうです。 それでも彼は自分のスタイルを貫き通し、しかし、山岳部で踏み外したら一巻の終りという修羅場を高校時代に数回経験した体育会系であった事、仕事はもちろん、礼儀もしっかりしていたこと、それから後でT君が社員から聞いた話しでは、その間、誰にも媚びなかった事、などが評価されたそうです。
 
 非常勤講師をしてこういう学生ともつきあい、一つ感謝している事があります。
 それは茶髪や格好だけでこの年頃の若者に偏見を持たなくなった事です。
 そう言う連中の中にもしっかりした奴がいる事、まともな格好をしている連中の中にもずるい奴がいる。 そんな事は当たり前とは言いつつ、それを目の当たりにすると、もし彼らと接触する機会が無ければ自然と偏見を持ってしまっただろうし、それで当たり前だったかも、と感謝しています。
 
 いや、立派やで>金髪の兄ちゃん、T君

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買ぉたったぁ買ぉたったぁ

 題名は「こうたったぁ、こうたったぁ」と読みます>非関西圏の方
 このあと「金もないのに買ぉたったぁ」と続きます。
 
 私は好きな物を買って来た時こう歌う訳で、今日はオンワード樫山のバーゲンに行ってきました。
 オンワードと言えば私はJ PRESS、家内は23区だの、と狙い目のブランドがある訳で、年二回のこのバーゲンは欠かせません。
 
 実はそれほど贅沢ができる状態ではないのですが、コートだ、セーターだと金額が嵩む冬のバーゲンに比べたら夏場はそうは言っても気が楽で、消耗品であるシャツを五枚程買いました。

 こういうときお気に入りのブランドがあると楽なもんで、サイズもきっちり決まっていますから、あとは柄と素材を見てほいほい、と袋に入れるだけです。 これがあれこれブランドに迷いながら買うと同じMでも大きかったり小さかったりと結構大変です。 また、いかにもバーゲン品という変な商品も多数ありますから、そこは慎重に。
 
 あと、普段正札ではなかなか買えない冒険ができるのも魅力です。
 J PRESSのシャツはアメリカンシルエットで胴回りに殆どテーパーがかかっておらず、ちょっといつもとは違うお洒落系ジーンズとかにはどうもトップがだぶつき気味なのが気になっていました。
 以前Dior Hommeの服が気になっている、と書いたのはそう言う訳ですが、結局(値段が怖くて)店に行かずじまい。 で、バーゲン会場の社員さんに「オンワードでDior Homme的なブランドって何ですか?」と失礼な質問をして、ちゃんとテーパーのかかった細身のシャツを発見。
 こんな冒険に正札の16,800円なんて払えまへん。
 
 あと、シャツのサイズがずっと41-83だったのを、首周りが少し緩いので40-83のものも買ってみました。 変に腕が長いので、袖にあわせると体周りが太いのが少しましになりました。 これは本来ドレスシャツながら、涼しげな柄なので袖を折って夏のカジュアルに使うつもり。(って年がら年中カジュアルだけど)
 
 てなことで、紙袋抱えて帰って来た夫婦は、それぞれ買って来た服に袖を通して「どう?どう?おかしない?」と聞いたり鏡を見たりで、間抜けな風景が始まります。
 一通り満足したあと、新品の折を取るのと臭いを消す為に洗濯機に。
 昔からこの瞬間が結構好きだったりします。 コットンは一回洗わないと、ね。
 
 と、ここまで書いてこの文章はまるで女性みたいやなぁ、と。
 漫画家の安野モヨコさんが旦那であり、エヴァの監督であった庵野秀明氏について書いた「監督不行届」という単行本があります。 これに仮面ライダー555の変身ベルトを手に入れた庵野氏が嫁に「見て見て」と延々変身シーンを見せると言う下りがあり、それを思い出してしまいました。
 
 ま、これで夏の間は学校に行くのに困らないでしょう。
 生徒には能力が同じなら垢抜けた方が採用される、と言っている手前、言ってる方もいろいろコストがかかります。
 あ、靴も欲しいかも。

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すっ、とカバンからMac

 このBlogに限らず、私は全てのデジタルワークにMacを使っています。
 かつてはグラフィックに強いだの、音楽に強いだのありましたが、今はWindowsと殆ど差がないのが実情。
 確かにプロの印刷の世界ではMacは異常に強いものの、単純な世界的シェアの割合は95:3位で圧倒的にMacの負けです。
 でもその割に困る事は無く、3%の割には充実しているとも言えるかも。
 
 ま、それはお決まりの枕詞として、未だにMacは私にとってまだ格好良いツールです。
 授業は全てMacながら、時々事務関連で学校のWindows PCを使います。 でもやっぱり各部の色使いとかが落ち着かない。
 例えばスタートボタンを押した時、どうしてログアウトやシャットダウン、その他のボタンの色があんなに毒々しいのか? どうして濃紺と緑が堂々と隣り合わせでそれに平気で赤や黄色のアクセントがつくのか。
 どうしてソフトをインストールすると必ずと言っていい程勝手にデスクトップにショートカットを置いて行くのか?
 という風に乱雑な子供部屋にいるようでどうにも落ち着けません。
 
 だからたまに男女問わず、「あ、この人かっこいいなぁ」と思う人がWindowsのノートなんて鞄から出すと「え?なんで?」と素直に疑問に思ってしまいます。
 もちろんそれなりにVaioであったり、Muramasaであったり、薄手のLet's Noteだったりと気を遣っておられるのは分るのですが、でもあのインターフェースで満足されてるの?と余計な心配をしてしまいます。
 
 まぁ、誰だって何かを買う時にみんなが買い求めるものを、というのは当たり前です。7:3くらいならともかく、95:3ですから...
 でも世のお洒落な人に限ると7:3や6:4くらいにまでには跳ね上がるんじゃないかとも思います。(そんな調査は無理ですけど)
 
 コンピューターは所詮、道具にしか過ぎません。 だからなんでも良いだろう、と言われればそれまで。
 でも私にとっちゃなんでも良い訳じゃない。
 もしそうなら世の中にこれだけの物が溢れている訳が無い。
 時計だってローレックスやブルガリなんかに憧れたくない。ティファニーのマークが欲しい。

 私はパソコンは自分の脳みその延長だとも捉えています。
 でも偉いのは自分の脳の方。だからそれを妨げる様な色使いやインターフェースってのはやっぱり選ぶ事はできません。 ふと使いたい時に左手と右手で三つのキーボードを同時に押さなくてはならないなんてちょっと横柄。
 名脇役はうまい人程主役を食わない、っていう妙な日本人観に偶然Macのインターフェースはあっていたのかもしれません。
 
 人と同じ事をするのが嫌い、という性格が理由の大半とはいえ、やっぱりMacを選んでずっと使っている私はちょっと格好良いと思います。
 「知り合いがウィニーでエロビデオ数万本取れるようにしてるで、どや?」「PhotoShopコピーさせてぇな」と言われても「あ、僕Macですから」と一言で逃げられる快感とでも言いましょうか... こういう人達と面倒な会話をしなくても住む。
 
 ということでセカンドカー(ファーストカーは車検が切れたままガレージでホコリの布団をかぶって寝ている)のトランクにはMacオタクがこだわる5色Appleマークのステッカーが。
 でもこのセカンドカー、全くAppleマークが似合う車ではございません。
 ゴルフとかシトロエンとかなら似合うんでしょうけどねぇ...

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風が運ぶもの

 Seawind昨日も今日も暑いですね。 まるで夏。
 頭の中では達郎の「夏への扉」が鳴っていました。
 
 学生に、
 「盆の終り頃に海に行った帰り、イルカの浮きやアイスボックスずるずる引きずって、風呂にするか、めしにするか相談してるときみたいやなぁ」
 と言ったら、
 「せんせ、それ長過ぎ」
 と言われました。
 
 風は暑かったものの、幸いまだ湿度と気温は本物の程ではなかったので、恐らく夏の終り頃の情景と重なったのでしょう。
 
 そう言えば数週間前にふと真夏の風を感じたので、「今、真夏やったなぁ」と、これまた学生に言ったら、全然同意を得る事ができませんでした。
 別にそれは大した事ないのですが、こういうのを「共通の価値観」と言うのかな、とふと考えました。
 
 まだ厳冬なのにふと春の匂いを感じたり、真夏真っ盛りなのに、「あ、秋だ、今の風は」と思ったりすることが時々あります。
 歳をとっていろいろな記憶や体験がそういう感触を生み出すのかとも考えましたが、実は中学生くらいのときから似た様な事を友達に言っていた覚えがあります。
 結構それを理解してくれる男友達もいて、中には「お、今の」「うん、夏や」とほぼどんぴしゃの感覚を持っていたのもいました。
 
 当時、実はその男友達とつきあうのはうちの家族はあまり賛成しておらず、私も時々軽く悩んだ事もありました。 でもそういう友達は今でも特に頻繁に連絡を取らずとも、たまにふと飲みに行っても知らないうちに時間がどんどん経ちます。こういうつきあいのベースになるものが「共通の価値観」というものなのかもしれません。
 
 逆にそういう共感を女性からは得なかった様な。
 
 「今頃の若狭の海は最高やで、光は真っ白で陽炎立ってるのにビーチに誰もおらんねん」
 と、同じ非常勤の元サーファー女史に得意そうに言ったら、
 「でも、海まだ入られへんやん」
 「そやけど... 見てるだけであかんの?」
 「何がおもしろいの」
 と、却下されました。
 
 やっぱり根本的に違う生き物なんでしょうね、多分。
 
※画像は'94に真夏の光と風をイメージして作ったもの。(クリックすると拡大画像が表示されます)

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今更エヴァにはまったワケ

 あまりそうは見られない様ですが、実は結構アニメを見るのが好きだったりします。
 考えてみれば鉄腕アトムも鉄人28号も、東映まんが祭りも私の世代から始まった訳で、別に不思議ではないのですけどね。

 時は流れて、2004年の春、新世紀エヴァンゲリオンがCATVで再放送されました。
 '95の初放映時、私は既に30代後半で「シンジは僕です」なんて訳も無く、何より「あの大きさの二本足歩行ロボットはあり得ない」と一切ガンダムには興味を示さなかった誇り(?)がありましたから、1〜2回ちょこっと見て、エンディングの"Fly me to the moon"だけ興味を示したくらいでした。
 だからその直後にエヴァブームが起こった時にも「そんなシトおらんやろ」と飲み屋で「こだま・ひびき」風ギャグのパロディに使う程度でした。
 
 SFものに科学的リアリティを求めるようになったのは恐らくサンダーバードを見てからです。 それまでの円谷系やそれよりもっと酷い特撮を見ていた子供にはあのリアリティは革命的でしたから。
 ま、ITC系の話は置いておくとして、そんな「二本足歩行モノ」の再放送にリアリティではまってしまったのです。
 
 たまたま息子と見ていた第一回の放送で、使徒と国連軍との戦いにシンジが遭遇します。 攻撃による地響きで街の電線が「ビュワワワ」と震える演出がありました。 これ、実際に私は阪神淡路大震災で経験しているのです。
 何度も襲って来る余震に怯えながら夜明けを待ち、歩いていつも子供を預けている保育園の被害をチェックしに行ったときです。 丁度そのとき大きめの余震が来て、私は例えば「ゴゴゴ」と地響きがするとか、「ミシミシ」と周りの建物が音を出すと予想していたのに、頭上の電線が電柱の揺れにあわせて「ビュビュビュ」という何とも不気味な音を立てていたのに正直ビビりました。
 庵野監督他、制作スタッフにあの震災経験者がいたかどうかは分りませんが、この演出で一気に引き込まれた事は間違いありません。
 
 その後、二本足歩行についてはエヴァがロボットではなく人造人間である事で自分を納得させ、その後、ずっと最後まで見てしまいました。 今では全話のDVDすら手元にあります。
 二本足歩行については実はエヴァ以外にパトレーバーにもはまったので実はいい加減なものです。でもあれも警察ものの妙なリアリティがあったなぁ... 要するに演出に弱いのかも。
 
 クラシック音楽の使い方も魅力的でした。
 アスカが神経攻撃を受けたとき、いきなり「ハレルヤ」が流れ、思わず鳥肌もんで「かっこえぇ...」とつぶやいてしまいましたから。
 その他シンジが無伴奏チェロ組曲を弾いたり、カヲル君との戦いではベートーベンの第九の合唱が流れたりと、決してクラシックも嫌いではない私にとってはハマりました。
 第九については音楽に絵を合わせたかの様なコンテになっており、一旦ブレイク(とは言わんのだろう、クラシックでは)した後に再度合唱が始まる部分に物語の盛り上がりがピタリとシンクロしているのは何度見ても見事としか言いようがありません。
 今でも湖畔でカヲル君が第九のフレーズを鼻歌で歌っている所から首が落とされる直前までのシーンは私のお気に入りです。

 今年の春休みにamazon.comで6冊程エヴァ絡みの古本を集め(別途、「監督不行き届き by 安野モヨコ」も)、全部めくってみても音楽についての記述が少なかったのは少々意外です。 もっと注目されても良かったのに。
 ということで、携帯の着メロは番組挿入のとてもマニアックな(主題歌等ではない)エヴァ系です。
 
 まぁ、今なら「ゲンドウは僕です」ってなもんかな...
 
 ※これを書きながら作っていた料理:茄子の田舎煮

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困ったもんだの安倍ボン

 相変わらず小泉首相の靖国問題ははっきりした見通しが立たないままです。
 私は5/25の発言通り、参拝反対派です。 御霊がどうの、という立場ではなく、これからの国際的な立場を考えての意見からです。
 
 で、基本的に発言が許されない議長である河野洋平氏が異例の大臣への参拝中止提言をしたのと対照的に、安倍晋三幹事長代理はきっぱりくっきり、「今回はもちろん、これからの歴代大臣もずっと公式参拝を続けるべきだ」と元気に主張しています。
 
 う〜ん、この人大丈夫かいな。
 政治絡みの本を読むと、この人、今はタカ派議員の先鋒とか言われているものの、議員になりたての頃は会館で漫画を読んでいたと言うボンボンで、いつの間にこのような熱い信念を持つようになったのか。

 何度も首相候補に名前が挙がりながら志半ばで命尽きた父親(晋太郎)の雪辱を果たそうというのはおそらく間違いなく、小泉首相でいかに外見が重要かが証明された今、安倍氏の総理大臣もそう荒唐無稽な話ではないと思います。
 そんな中、たまたま北朝鮮の拉致問題の交渉役として選ばれ、非常に日本で受けが良かったのに気を良くし、さらなる存在感アップには偏狭なナショナリズムが美味しいとでも思ったのでしょうか。

 というのは、幹事長代理という立場ですから、別に特に大きな責任がある訳でもなく、小泉首相が参拝しようがしまいが自分には大した影響は無い訳で、言わば言ったもん勝ちです。
 参拝すれば当然安倍氏は後押しした、と株が上がるし、しなくても彼を支持する人には充分アピールできる訳で、どちらに転んでもマイナスは無い、と計算したんでしょう。
 
 そんな実績が、もし仮に将来総理大臣になった時にマイナスになるという計算よりも、アメリカでさえ懸念し出した中国の軍事予算の肥大→中国脅威論→国粋主義の高まりの方にプラスになると言う読みでしょう。
 
 全てはしがない素人の推測ながら、その程度の人であるとするなら、仮に総理大臣になったら外交はますますお先真っ暗、国際的疑心暗鬼の末の戦争突入にならねば良いが、と懸念するばかりです。
 
 しかし、政治ネタを扱う漫画家達が「帝国海軍総理大臣」とこぞって揶揄した中曽根氏でさえ中止した公式参拝、それでも小泉氏は遂行するのでしょうか。 それが第一の問題ですね、やっぱり。
 やっぱり男はどこでも自分の仕事のマーキングを残したいのかな...

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なす術も無く壊れ行く

 最近教えている二年生がどんどん壊れて行きつつあります。
 理由は就職活動。 いよいよ社会とのご対面なので仕方ありません。
 仕事が決まればケロリと復活するとはいうものの、本当に気の毒。
 
 昨年までは単なる教科担当だったので遠い所から見るだけでしたが、担任となるともっと生臭い距離まで近づかざるを得ません。 当然憎まれ口も叩かなくてはなりません。
 クリエイションでめし食って行くってのは並大抵の事じゃない。 ただ学校にさえ来ていればいつのまにか何とかなる、ってもんじゃないのです、辛い事に。
 アイデアが出ない、バイトだ、体調が悪い、色々悩みが、データが飛んだ、と課題の〆切を平気で破って行く生徒達。 そして気分だけはいっぱしのクリエイター。 これは本当に現場では使い物になりません。 採用される訳が無い。
 
 それを指摘されて壊れてしまう。
 言われなくても自分で分っているからさらに壊れてしまう。
 期待できる子にはもっと高い所に行って欲しいから厳しく指導して壊してしまう。
 そうでない子にはそれじゃいつか泣く事になるから厳しく指導して壊してしまう。
 壊してしまった生徒、申し訳ない。
 ずっと学校が桃源郷であり続ければいいのにね。 ほんと。
 一年生のときのように屈託なく笑えれば良いのにね。
 
 新しい一年生とは今、楽しくやっています。 昨年と同じ。
 でも彼らも来年の今頃になると笑ってばかりの関係ではいられない。
 二年間って本当に短い。
 
 私が彼らくらいのときは何をしていたんだろう?と思い出す。
 丁度専門学校を中退して浮き草状態だった。
 TVCFを作る仕事に興味があって新宿外苑まで会社訪問にも行った。 でも結局高卒ではどうしようもないから、と進学を勧められ、その他いろいろあって結局大学に行く事を選んだ。
 大学入試直前の成人式には出なかった。
 
 ある日、人気TVCFを多数作っていたCFクリエイターが自殺した記事を読んだ。
 「夢が無いのに夢のある広告は作れません」と遺書にあったそうだ。
 それは私が訪問をした会社の社員だった。
 
 好きな事で飯を食う事は素晴らしいこと。 でもそこに入れても本当はそこからが本当の戦い。
 好きな事で食わなくても素晴らしい事はあるんじゃないかとも最近は思うようになっています。 でもずっとほろ苦さは心に残るでしょう。
 どちらが正解かは私には正直分らない。
 
 薔薇色の魔法の言葉があればかけてあげたいけど、そんなものは残念ながら持ち合わせていません。
 いつか良い事があるから頑張れ、としか言いようがありません。
 
 昔、片岡義男という小説家と、安田南というシンガーが実に私的風な深夜番組をFMでやっていました。
 その時のエンディングの言葉を君たちに残します。
 
 『おやすみ、悪い子供たち』

written on a borderline, yesterday and today.

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選んだ気持ちが空を飛ぶ

 先日も書いた自分用のコンピレーションCDをとある店でかけていたら、お客さんが興味を持たれたよ、と聞かされました。(著作権法違反です。すいません。すいません>JASRAC殿)
 そのお客に、ちょこっとデザインしたジャケットごと見せたら熱心に収録曲名を見られていたとか。
 
 これってこの手のコンピレーションを作るものにとっては最高の喜びです。
 どこのだれだか知らない人が自分の選んだ曲とその順番にほんの少しでも心を動かしてくれたんですから。
 今回は明るい気持ちになりたい時に聞く「白版」と、静かな気持ちになりたい時に聞く「黒版」の二枚組で、冗談で黒の方は落ち込んでる時に聞くとさらに堕ちるよ、とか言ってますが、"Notes under the moonlight with a line of tears"というタイトルもちょっと自己満足しています。
 
 私はFMの番組を作りたい、という夢をずっと持っていました。
 そんなある日、FM802がまだできていなかった頃のFM大阪のオーディションに通り、夏の一日、3時間番組に参加した事があります。 実は私はそこから何らかの道が開けるのではないかと期待していましたが、その道に進めたのはもう一人パスした男、今はFM802の代表的なDJ、ヒロ寺平氏のみでした。
 悔しかった、これは。 まぁ、声と言い、語学力と言い、私とは段違いでしたからむべなるかなです。
 後に彼とは読売テレビで一緒に仕事をしましたが、その頃には既に彼はスターでした。
 
 とはいえ、自分の出た番組が本当にFMラジオから流れたときはやっぱり嬉しかったし、選曲は全部自分だったので「あぁ、今、関西に俺が選んだ曲が電波に乗って流れてるんだ」と正直感動しました。(実はこの時レコードを持って来てくれたりしていたアシスタント嬢と約15年後にひょんなことから吹田で再会すると言う余談あり)
 
 そのままその夢は不完全燃焼のまま、あの震災が来ました。 その関係でとある人から、神戸の北野坂にある地域FM局(コミュニティFM)で番組をしないか?という話が転がり込んできました。
 今はこの局はJRのガード下に移りましたが、取りあえず北野地区の情報番組という企画でノンスポンサー・ノーギャラで始まり、結局30分番組を秋から週一回、一年間やり通しました。
 情報集めをしてくれていた専門学校の学生達が春に卒業してしまい、その後はネタに困って、たまたま当時同じ非常勤講師だった人に紹介してもらった女子大生に神戸にまつわる色々な話を調べてもらい、別に元ジャズ歌手というコンピューター・インストラクターのこれまた女性に神戸にゆかりの深いジャズの話をしてもらい、それに情報を加えてなんとか回していたのを思い出します。
 
InfoKitano
 彼女達も当然ノーギャラで、本当にお世話になったと同時に申し訳なかったと思います。
 とはいえ、基本的な選曲は全部自分ができる訳で、当時仲の良かったジャズバーからCDを借りて来たり、自前のCDやレコードからピックアップしたり、時にはレンタル屋から借りたりしてそれはそれで楽しかった。
 ジャズだけではなく、通常ラジオ放送では途中から必ずカットされる「天国への階段」「レイラ」をそのまま最後まで流したり、朝一なのにCTIのモロジャズを流したり、とやりたい放題でしたから。(朝からハービー・ハンコックはなかんべや)
 
 メジャー局と比べるべくもありませんが、とにかく一年間、そうやって自分の選んだ曲が実際に電波に乗って神戸周辺に飛んでいた訳で、これで私は大いに納得と満足をした、という訳です。

 これで学んだ事は、番組を続ける事が如何に大変か、という事です。 さすがに疲れて予定の一年を超えた後の企画書は出しませんでしたが、本当に貴重な体験でした。
 だって、震災の記念日には自分がボランティアに参加したきっかけを話し(しかもバイリンガル!)、続けて"Tears in heaven"を流し、夏にはネタ切れをごまかす為に音楽特集と偽って自分が高校生だった頃の思い出とその頃聞いていた音楽を流すとか、たまらんかったですぜ...

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狭きベランダからの夜景

 我が家はマンションの12Fにあります。

 昔、梅田で働いていた家内は大雨のときでも傘が要らないと言うくらいでしたから確かに立地条件は良いんですけど(今考えるとよくローンが通ったもんだ)、家内に言わせるとそれだけが取り柄の、天井低い、狭いのマンションです。

 

 と、自虐的に言いつつ実はここからの眺めは気に入っています。 メインの開口部である南西方向は近くに高い建物が無く、今の所南は生駒山系が端から端まで、西は淡路島、六甲山までが見渡せます。 残念ながら大阪湾は見えませんが、大阪平野がほぼ視界に入っているという感じです。

 勤め先の近所の新神戸オリエンタルホテルも見えますので、「ほ〜、週三日、あんな所まで通っているのか」と実感したり。

 

 引っ越した頃は足下を見ると本当に足がすくみました。 平屋で育った私は時々夢でベランダから落ちる夢を見た程です。 が、一旦視線を遠くに向けると上記の景色がいつでも目に入り、別にビルのトップラウンジなんか行く必要全くありません。

 夏は大阪のみならず奈良や神戸周辺の殆どの花火大会が見えるし、夕立時には遠くに落ちる何本もの稲妻をじっくり観察でき、みるみる成長する入道雲、生駒からあがる朝日、六甲山に沈む夕日、その前後の茜色の空等々、時々ぼ〜っとベランダや部屋からそれを眺めています。

 

 そのベランダも狭くて閉口しますが、それでもなんとか小さなテーブルと椅子を置き、今の季節は風呂上がりにタバコと飲み物を持ってこれまたぼ〜っと過ごしています。 たまにビールも。

 秋から春にかけては結構風が強い為、実はこうしてベランダで過ごせるときは案外ないのです。

 何せその風の強さで大概の鉢植えは枯れてしまう程で、実は高山植物くらいしか育たんのではないか、と一時は真剣に思っていた程です。

 

 ここでの一つの楽しみは空を行き交う飛行機。

 nightflight

もともと乗り物好きなので、すぐそばを走るJR、少し遠くに阪急電車、さらに遠くに新幹線と、「鉄」な人には最適なロケーションながら、実は大阪空港もそう遠くなく、遠く関空に離発着する飛行機も見える事があります。

 「空港では誰でもドラマの主人公になれる」というコピーがありますが、夜空を行き交う飛行機もそう言う人たちを乗せているせいかどうか、なんとも言えない風情があり、離陸直後のスポットライト、青赤の翼端灯、白や赤のストロボ(衝突防止灯)を煌めかせ、まるで宝石が漂っているかのようにも見えます。

 大阪空港の使用時間が夜9:00までですから残念ながらショータイムは8:30頃で終わってしまうものの、それでも空気の澄んだ時にははるか高空を東西に行き交う巡航機もまだ見え隠れします。

 

 「ジェットストリームやのぉ」と、犬も飼えないけど、庭も無いけど、上の階の物音はよく聞こえるけど、夜中に酔っぱらいの声がうるさいけど、ローンは辛いけど、密かなお気に入りです。

 0時近くにはかつて良く利用した東京からの最終の新幹線、深夜になれば東京や九州に向かう夜行特急も見えるしね...

※写真はベランダから撮影した多数の写真の合成。クリスマス用に作った画像なので左上の月がサンタの帽子を冠っているのはご愛嬌。(クリックすると拡大画像が表示されます)

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いや、あのね...

 夕方、母親から電話があった。
 以前、とある選考の最終まで残ったエッセイ原稿を渡したので、それについてだった。
 
 最初は文中にある事実についての注意だった。 もともとそのエッセイのテーマが「追憶」だったので、古い話についてはやはり年寄りの話は役に立つ。 なるほどなるほど、機会があれば訂正します、と素直にメモを取る。

 しかしその後は誤字が多い、あきらかに言葉遣いがおかしい、よって赤鉛筆で訂正を入れておくから...と言い出した。
 誤字については応募前に相当見直したのでおかしいな、と思っていたら、例えば「葛藤」の文字が辞書を見ると違う、とか。 いや、それはパソコンの文字形態の問題ですよ、母上、という事に。

 次に祖母についての記述が親族としてはどうかと思う、と。
 いや、それもたまたま世間一般に向けた記述を親族である母に見せただけで、それは表現の自由、言葉の見せ所、リズム、語感の問題ですよ、母上、と言うと「相変わらず強情や」とのご指摘。
 
 う〜ん、学校の作文をお見せした訳ではないのですけど、と二度程文章全体はどうだったのか、と聞くと「まぁ、それはそれで特に問題はない」と内容に関する突っ込みは全く無く、どうでも良いみたいなお答えでした。
 
 「坊ちゃん」の「変しい変しい」ではありませんが、なんか親書で手渡した手紙を添削されて返信されたようで少々虚しい。
 この調子じゃ、同じく選に漏れたアウトロー小説なんて読ませたら卒倒するんだろうなぁ...
 
 げにお堅い職業一家に突然変異的に生まれた私の苦悩は40年以上経ても続くのであった。

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逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ

 タイトルは某人造人間アニメでの有名な台詞です。
 
 人の心の世界では、逃げちゃだめなのか、逃げてもよいのか、ずっとせめぎ合いが続いているような気がします。
 乱暴にまとめるなら、逃げちゃだめだ、と必死でがんばって、それでも駄目なら逃げてもよい、というところでしょうか...
 
 基本となる「逃げちゃだめ」という言葉、実によく使われます。 そして私には非常に苦くてリアリティのある実話があります。 あまりそういう話は思い出したくないのですが、最近教えている生徒の一部もこのBlogを読んでいるらしく、敢えて書いておくこととします。
 
 私が水泳が苦手だという話は既に書きました。 よく考えるに、恐らく生まれつきそうだったようで、幼稚園に行く前に須磨海岸で水が怖くて泣きわめいていたのを今でも覚えています。
 幼稚園に上がってもそれは同じでしたが、さすがにこれではいかんと小学校に上がってからは「なんとか頑張ろう」とそれなりに決意をしていました。 そして高学年用プールに移ったときですから多分小三くらいのとき、プールの縁を伝い歩き、というときに私は手が手すりから離れて溺れかけたのです。
 手も足も手応えなく沈み込んでゆくとき、水面に見え隠れする級友の背中など、多分、生まれて初めて「死ぬかも」と自覚した瞬間でした。
 
 幸い、教師が助け上げてくれたものの、どういうわけか一言のいたわりの言葉もかけてもらえずそのまま授業終了までコースの端に立たされていました。 今考えると昔の教師って今ほど厳しい環境でもなく、結構感情的ないい加減な人が多かったように思います。
 確かにちょっと周りの友達とふざけてはいましたが、死にかけたのにそれはないだろうよ、と思うと同時に、小さい頃の水への恐怖が確定的となってしまいました。
 
 以後、高校二年までずっと水泳の時間はずる休みをかますことに。
 もちろん「これではいかん」とは思っていたので陰でこそこそ遠くのプールに行って練習してなんとか泳げるようにはなったものの、その頃みんなはクロールだのバタフライだのへ進んでいたので話になりません。
 これで日陰でおとなしく暮らしていればよかったものの、水泳以外ではギャーギャーうるさいし、目立つことが好きときてますから、恐らく快く思っていない友人や教師も少なからずいたようです。
 
 高三のある日、かつて所属していたクラブの顧問(体育教師)に呼ばれ、「おまえ、いつまで逃げてんねん」と説教。
 結局どういう判断なのか、プールは一コースを私専用とするから、授業とは無関係にずっとそこで泳いでおけ、という信じられない沙汰が下りました。 悪いのは誰かははっきりわかっていましたから決定に反論することもできず、悪夢の夏の始まりです。
 何が嫌だって、ただ一言、格好悪いこと。 同級生、下級生、男子女子問わず恥さらしです。
 あれほど恨めしい夏の日差しと水しぶきはなかったですね。
 
 件の体育教師が私を晒ものにするつもりがあったのかどうかはわかりませんし、もともと悪いのは自分(まぁあの小学校の先生が悪いという気持ちも少しはありますが)、さらにずっと水泳の授業をさぼっているときから「いつまでもこんなことできる訳がない」とも思っていたので、結局一夏の地獄に耐えました。
 その最中、なんとなく学校の廊下ですれ違う連中がこっちをあざ笑っている様な気もしましたし、今思い出してもヘビーでした。
 
 ところがその秋頃、それまでずっと私に対して非友好的な態度を取っていた同級生がふと声をかけてきました。
 「おまえ、水泳今年は出てんな」と。
 私は、やっぱりそのネタかいな、と思ったものの、キレる訳にもいかないので、
 「あぁ、最悪やったわ」
 と答えるしかありません。 すると彼は、
 「よう頑張ったやんけ、根性あるわ」
 と、にやりとして言ったのです。
 
 私は最初、その意味が分かりかね、ぽかんとしていました。
 が、そのうち、なんだそんなことだったのか、と正に目から鱗が落ちた思いでした。
 そう、そんなことだったのです。
 
 正面の山にどこか低いところがあるのならそれを探してずっと迂回しても良い。でもそのあてがないのなら面倒でもさっさと正面突破した方が結局速くて楽だ、というのは私の持論です。 それを自信を持って言えるのは、この夏の悪夢の恥かきであったと確信しています。
 
 と、書くと格好良いですが、やっぱり格好悪かったですよ。 あれは。
 でも、逃げちゃだめだったんです。

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中年男のダイエット(3)

 ふと考えてみると、このダイエットをする前後で大きく変わったのは昼食だという事に気がつきます。
 それまで、特に専門学校に登校しているときは学校契約の弁当を注文しており、それが相当な量でした。 メニューも澱粉中心と言うか、酷い時にはネタに困ったのかご飯におかずが焼きそばという炭水化物づくしという日もあり、しかし「おのこし許しまへんで(C)忍たま乱太郎」主義の私は全部平らげていました。

 そういえばあの頃はいつも昼食後に酷い胸焼けに悩まされていたなぁ、と思い出します。
 今は登校時にローソンでサンドウィッチとヨーグルトを買うだけだけ。(でも三食はきっちり食べてます)
 
 やっぱり栄養、それも炭水化物の取り過ぎだったんでしょうねぇ。
 
 ということで、ダイエットの結果の○と×。

○服を着る時が快感
○ジーンズの腰回りが広がらなくなった
○ジーンズのサイズが30から29inch.に落ちた
○何かをする時に「よいしょっ」と気合いを入れずに済むようになった
○膝とかに痛みを感じなくなった
○胸焼けなど、何となくの体の不調が無くなった
○風呂に入る時に憂鬱にならずに済む
○帯電静電気が減った
○白髪の増殖が止まった
○頭髪が減らない
○老化が少し止まった気もする

×スーツやスラックスが合わなくなった
×「癌とちゃう?」「何かあったん?」と聞かれる事がある
×仕事がヘビーだとたまにくらっと来るときがある
×冬、寒い

 実験的に再度同じメニューをこなしたら2kg簡単に痩せた、と前回書きました。 さすがに60kgを切ると他人から「なんかやつれた」とか「以前の方が包容力がある外見だった様な気がする」とか急に言われるようになった所をみると私の場合60kg位が程々という所かと思います。
 まぁ、高校生時代に戻った訳ですからそれで十分です。
 
 老化進行が遅くなった気がする、というのは恐らく消化食物が減ったせいで活性酸素も減ったからでしょう。

 そう言えば以前、リニューアル前のGQ JAPANに、とあるファッション系の大御所(詳細失念)が「Dior hommeの服が着たくなった」という動機で非常に危険な方法で20kgくらい減量した、というインタビューが載っていました。 その人は既に70歳位の人でしたが、たった一つのブランドを着る為に(危険な方法というのはさておき)一念発起したというのはちょっと感動しました。
 Dior Hommeの服が幾らか知らないので、そのうち三宮のショップに覗きに行きたいと思います。

 ま、そんな格好良い話は別として、電車の中で大きく股を開いて座っている中年太りのおっさんに軽蔑の眼差しを投げる程度でしょうか、最大のマルは。
 そんな「おっさんになりたくなかったおっさんの話」はまたいずれ。

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中年男のダイエット(2)

 そのメニューはExcel化してあるのでどこかで公開すれば良いのですが、著作権が誰にあるのかよくわからない。 A4たった一枚のシートの冒頭にはこうあります。(著作権対策で全文を引用します)

 

『このダイエットは、2週間で5キロを目標に体内で化学変化を起こさせるように重点を置いています。食べる量は全く問題ではありません。規定されているメニューの食物は必ず食べて下さい。希望通りの減量結果を維持するなら、絶対確実に実行して下さい。期間は2週間です。10キロ痩せることも可能です。このダイエットを終えると変化した体内の組織が余分な栄養を要求しないのでアチベットが減少し太りにくくなります。しかしデンプン質の食物はなるべく避けるようにして下さい。』

 

 ダイエットを深く研究している人はおそらくこの文章を見てどういうダイエットかすぐにお分りになられるのではないでしょうか。(私は説明できない)

 

 例を挙げると、一週/一日目の朝食はゆで卵、グレープフルーツ、トースト各1、そしてコーヒー、昼食はゆで卵、トマトとコーヒー、夕食はゆで卵、キュウリ・ニンジン・セロリのサラダ、浅漬け野菜、という具合で、日が進むにつれゆで卵が無い日があったりします。

 注意書きとして、「サラダはノンオイルドレッシング」「マヨネーズは厳禁」「コーヒーはブラック」「肉は油を使わず、焼くか煮るだけ」「芋粥、お粥は禁止。」「油を引いたフライパンは禁止」等々。

 

 今みると何とも思いませんが、初めてこのファックスを見た時、家内と震え上がりました。(大げさか)

 実際、始めると最初の2〜3日は昼の三時頃になると畳掻きむしって「めし〜、めし〜」とのたまわってました。

 が、丁度良い具合にこの頃から明確に体重計の数値が落ち始めます。 最初の頃は誤差か?と思っていたら、確実に0.5kg刻みくらいで落ちていました。

 こうなるとやりがいがある、ってなもんで、またその頃になると胃も少しづつ小さくなり、空腹の苦痛はそれほどではなくなります。

 

 実際には砂糖を極端に少なめたコーヒーゼリーを作ったり、空腹で眠れない時にはトマトを食ったりしてましたし、夜には家内とこっそりキリン淡麗グリーンラベルの500mlを半分づつのんではいましたが...

 胃が小さくなるお陰でその後もそれほど大食をする事が無くなり、結果、そんなズルをしながらも、その夏休みで冒頭に書いたように6kgマイナスの63kgになった、というわけです。

 

 ただ、一時的に低血糖状態になるようで、頭がぼーっとするという事はあります。

 たまたま私は学校への定期的な出勤の無い夏休みに実践したから仕事への影響は避ける事が出来ました。

 

 その後、たまに腹一杯焼き肉や寿司、お好み焼きを食う事もやったものの、本当にリバウンドは起こりませんでした。 酒も結構飲むときは飲みますし。

 思うに、体の代謝等の基礎情報ダイヤルがバチンとリセットされるのかもしれません。 これを徐々にやったのでは一旦動いたダイヤルがまたじわじわと戻るのでそれがリバウンドとして出てくるのかも。

 実際、あまり真剣にメニューを守らなかった家内は4kg位痩せてまた元に戻りました。

 私はその後、太る事も無い代わりに痩せる事も無く、実験的にこの春に再び同じメニューを一週間やってみたら簡単に2kg落ちたので、どうもリセットというのがポイントである事は間違い無さそうです。

 

 その間の運動は毎日膝折腹筋と背筋十回ずつのみ。

 その程度で腹が凹む程脂肪が燃えるか!と言う人もいます。 ただ、ある日、「腹部には肋骨の様な骨が無いので、腹筋が弱まると自己防衛の為に皮下脂肪で守ろうとする。だから腹筋がつけば余分な皮下脂肪は不要と体が判断する」という説を見つけたので、どうもこの程度で良さそうです。 この時にはいつのまにかムー大陸のように沈んでいた腹筋がうっすら20年ぶりに浮かんでましたから。(今はまた沈んだ)

 

 さて、現在61kg、体脂肪15%の私が空腹との戦いのみで大した努力をせずに痩せたメリットとは何でしょう?

 というのはまた長くなったのでつづく...

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