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石津謙介氏死去

 VAN JACKETを創った石津氏が先日死去された。
 中学から高校にかけて私にとって"VAN"の三文字は初めてで最高のブランドだった。
 恐らく我々の世代が現在に続く日本のブランドブームの最初の世代だと思う。 それはVANがきっかけだったと今、彼の死で思い出し、確信した。
 
 中学生の頃からマンシングだとかマグレガーだとかのポロシャツ、靴下が流行ったりしたものの、それはただのブランドの名前であり、それ以上の思い入れはなかった。 今でもただそれだけのブランドは多い。
 VANは違った。 ただコートを売るだけでも、ただセーターを売るだけでもしっかりと考えられたキャンペーンが考えられ、奇麗で格好良いポスターが店に貼られた。 そして何よりキャンペーンごとに魅力的なノベルティが展開された。
 それはキーホルダーだったり、マグカップだったり、製品にしてもおかしくない程の出来のエプロンだったり、「お金払うから売って」と何度も店員に頼んだ事を覚えている。
 着こなしについても、その服の由来についても、まだまだファッションや国際文化に疎かった私には全て新鮮だったし勉強になった。
 この時初めて、ファッションというのがただの布を縫い合わせたものではなく、文化だと分った様な気がするし、なにより初めて具体的に「文化」がどういうものかを理解できた。
 
 それらには全て"VAN"のロゴがあった。
 たった三文字のロゴだが、どれだけこのマークに憧れたかと言うと、異常なほどだった。
 ただの靴下なのに足の裏のロゴが最高に嬉しかった。 その内消えてしまうのだが、できるだけ消えないように土踏まず側にロゴが来るようにいつも気をつけていた。
 上位ブランドのKENTのボタンダウンシャツは襟後ろのボタンが無く、本家とほんの少し違った。 この時[差別化」という戦略を知った。
 ボタン類の糸使いが「二」ではなく「×」であるのも微妙な違いだったが、「本物志向」というのを知った。
 
 今でも私のファッションはこの時代が基本となっている。
 当時は子供向け「VAN MINI」「VAN BOYS」というブランドもあり、自分の子供ができたらこの路線でお洒落を教えようと思っていたのに残念ながら今はVANは無い。
 もちろん商標自体は生き残っているのだが、もう私にとって今のVANはブランドではない。
 
 VANが倒産する数ヶ月前、ふと買ったボタンダウンシャツがコットン100%では無くなっていた。 袖を通した時に気付いたのだが、とても残念だった。 でも袖を通しただけでそれに気がついた私については少し嬉しかった。
 
 私のファッションの生命線とも言えるボタンダウンシャツはその後J.PRESSに落ち着いた。 これもかつてはアメリカの洋服店の名前だったのに、いつのまにかレナウンの国内ブランドになっている。 かつてのVANのような商品だけにとどまらない文化の広がりも無い。 そして少しづつ生地の耐久性が落ちて来ている。
 高くても長持ちする、というのがブランド品の良さだとすると残念だ。
 
 VANについての思い出や謝意は限りなく溢れて来るので切りがない。
 ただ、今は私がドブネズミ親父にならないよう救ってくれた石津氏の冥福を祈りたい。

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コメント

 自己修正。

>いつのまにかレナウンの国内ブランド

 これは「オンワード樫山」の間違いです。
 お詫びして訂正します。

投稿: あやおば | 2005年5月30日 (月) 22時19分

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