トップページ | 2005年6月 »

中年男のダイエット(1)

中年男のダイエット(1)

 夏も近づく八十八夜、この季節、急激にダイエット関連の広告が増えます。
 殆どが女性向けであり、ま、これから水着の季節だもんね、と納得もします。 
 が、ダイエットは女性だけのものではありません。 というより男性は、特に中年男性はダイエットとか考えないのかな?と不思議にすら思う事があります。
 
 実は私は二年前の夏に6kgダイエットし、今年の春にさらに2kg落としました。
 なんだか怪しいダイエット薬のチラシの様ですが、この間、運動らしい運動ゼロ、リバウンドもゼロです。
 正月や旅行に行った時にはさすがに2〜3kg太るもののそれでも2〜3日、最悪でも一週間程すれば元に落ち着きます。
 
 そういう体質? いえいえ、両親共に太り気味。父親に至っては完全に肥満でした。 当然私も水飲んで太陽に当たっているだけで太ると言う基本的体質でした。
 おまけに特にスポーツで鍛えた訳でもない体型なので、大学時代にプールに一緒に行った友達につけられたあだ名が「ゾウアザラシ」。
 高校時代から身長172cmは変わらず、クラブを辞める直前で57kg、辞めて60kg、その後じ〜わじわと増え続け、最悪は三年前の夏で72kg、体脂肪率21%。(男性は20%が軽肥満の入り口)
 まぁ、別段病的肥満という訳ではありませんが、ジーンズの腰回りはベロリと広がり、数年前に買った海パンの、スキー用ズボンのボタンが止まらない、という状態です。
 さすがにそこから69kg位までは落としたものの、そこからは全然落ちませんでした。
 
 これでいいのか?べつにいいだろう。いや、そうかな?と思いつつ、ある日。
 仕事で日本発売された直後のBMW MINIの試乗会で箱根に行きました。
 この車、ご存知のように非常にお洒落な車で、広告も完全にファッションを意識しています。
 車自体もBMWが初めてFFを作ったとは思えない、しかししっかりBMWらしいところは主張する出来となっており、感心しながらいつもの(たまにカーグラフィックTVでも出て来る)有料道路の駐車場に。
 そこで置き(止めた車の写真を撮る事)を押さえながらふと磨き上げられたボディとガラスに映る自分が「なんともデブ」だったわけです。
 
 車のハードを語るのには自分がどんな格好でもかまいません。 しかし近年の世界中の車がデザインを意識する中で、「この車のデザインは秀逸で...」なんて事をこんな「なんともデブ」が語っても嘘だよなぁ、とその時、思ったのです。
 「そんな太ってないですよ」「デブなんてとんでもない」とみんなが言いますが、いやだ、自分がそう思うんだ、というある種、今世間で問題になっている20代の女性の過剰な肥満への恐怖症候群の様なものにかかったわけです。
 
 かといって、努力が嫌いというタモリを心から尊敬する私は、早朝にランニングするのもいやだし(第一起きられない)、夜にランニングすると不審者状態。 水泳は自分では泳いでいるつもりだが監視員が緊張するという程苦手。 要するに「なんともダメ男」。 
 あぁ、俺はもう二度とジーンズのウエストが30インチを割る事は無いのかぁ、葬式の時にぶよんぶよんにたるんだ皮を引っさげて棺桶にはいるのかぁ、と諦めかけていました。
 
 そんな折、たまたま二年前の夏に家内の実家に帰省したおり、義理の妹が妙に細くなっている事に家内とともにびっくり。
 聞くと、旦那(義理の弟)が老人ケア施設で働いており、そこでの糖尿病対策のダイエットメニューを試したらそうなった、という事。
 体に悪い事をしてやせてもなぁ、と思っていた所なので、老人向けのメニューなら体に悪い訳も無く、即自宅にメニューのファックスを送って貰いました。
 
 長くなったので以下、つづく...
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

霧雨の首都高で聞いた曲

 結局、昨日中の更新は間に合わなかったみたいですね... 23:55頃からアクセスしたら全く無反応でした。
 最近は人気コンテンツもないんだからせめて混むサービスくらいには投資してほしいですね>@nifty
 
 ま、愚痴はともかく、そろそろ音楽ネタに行きましょう。
 先日、受け持っている学生が東京に企業説明会を受けに行きました。
 やっぱりレンガ作りの東京駅を見ると感慨深かった、とかの印象を聞くと、あぁ、自分もそうだったなぁ、と思い出します。
 この時は高校生でしたが、最も思い出深い東京は二十歳ぐらいのときに車で行った時です。
 
 奨学金が出たのをいいことにその金で当時、千葉の最も東京寄りである市川に住んでいた好きな女の子に会いに行ったのです。
 別に綿密に計画した訳ではなく、「明日行くで」と電話だけを入れた、まぁ、今考えると若造にありがちな自己陶酔行動そのもの。
 結局デート(というのかな、あれは)は特に盛り上がることもなく、私が宿泊先を決めていなかった事が変に誤解されて夜には口喧嘩をしてとんぼ返りという、実にしょーもない結果を迎えました。
 
 最悪の気分を噛み締めながら初めて走る首都高速を千葉から、確かあの頃は湾岸線が全通しておらず辰巳JCT.から箱崎に入ったと記憶しています。 いつの間にか天気も悪くなり、そのとき見えた霧雨の向こうの都心の夜景が非常に印象的でした。
 その時たまたまFM NHKを聞いており、クロスオーバーイレブンが始まりました。
 当時、クロスオーバーイレブンのオープニング曲は非常に都会的かつクールなフュージョン系(番組を考えるとクロスオーバーと呼ぶべきか)で、あほらしさと空しさでいっぱいの気持ちにぴったりはまり、もともと自意識過剰の傾向がある私は、その風景と音楽でいつのまにか何かになりきって気分もそれほど重くなくなっていましたから、我ながら変なやつです。
 
 それから十年くらい経って、私が関係している@niftyの自動車フォーラムでその曲が"Azymuth(アジマス)"の"Fly Over The Horizon"という事がわかり、"Light As A Feather"というアルバムを買い求める事ができました。
 こういう、ずっと気になっていた曲を手に入れたときの快感はずっと変わりません。
 
 先日作った自分用コンピレーションCDにこの曲も入れ、全体を通して聞いてみましたが、雨の首都高から20年以上経つのにもかかわらずやっぱり"Fly Over The Horizon"は輝いていました。
 
 で、その時の女の子とはどうなったかというと、同じCDに入れた"EPO"の"Girl in me"のフレーズと同じです。
 
 「あなたは私にいつでもI love you、私はあなたにいつでもI like you」

 今でもこの詩を聞くと心のどこかが痛みます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ファッションデザイナーの夢

 昨日の石津謙介氏の話ですが、彼は常々「ファッションを作りたくない、流行を作りたい」と話しておられたそうです。
 奇しくもあのココ・シャネルも同様の事を夢に抱いていたそうで、ファッションデザイナーの最大の夢というのはそういうものなのかもしれません。
 規模の大小はともかく、共にその夢は達成された事で、互いに満足されていると思います。
 
 しかし、一日一個づつ発言をあげていくというのは私の様に夜型の人間にとっては辛いですね。
 ということで、本日分はこれで終わり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石津謙介氏死去

 VAN JACKETを創った石津氏が先日死去された。
 中学から高校にかけて私にとって"VAN"の三文字は初めてで最高のブランドだった。
 恐らく我々の世代が現在に続く日本のブランドブームの最初の世代だと思う。 それはVANがきっかけだったと今、彼の死で思い出し、確信した。
 
 中学生の頃からマンシングだとかマグレガーだとかのポロシャツ、靴下が流行ったりしたものの、それはただのブランドの名前であり、それ以上の思い入れはなかった。 今でもただそれだけのブランドは多い。
 VANは違った。 ただコートを売るだけでも、ただセーターを売るだけでもしっかりと考えられたキャンペーンが考えられ、奇麗で格好良いポスターが店に貼られた。 そして何よりキャンペーンごとに魅力的なノベルティが展開された。
 それはキーホルダーだったり、マグカップだったり、製品にしてもおかしくない程の出来のエプロンだったり、「お金払うから売って」と何度も店員に頼んだ事を覚えている。
 着こなしについても、その服の由来についても、まだまだファッションや国際文化に疎かった私には全て新鮮だったし勉強になった。
 この時初めて、ファッションというのがただの布を縫い合わせたものではなく、文化だと分った様な気がするし、なにより初めて具体的に「文化」がどういうものかを理解できた。
 
 それらには全て"VAN"のロゴがあった。
 たった三文字のロゴだが、どれだけこのマークに憧れたかと言うと、異常なほどだった。
 ただの靴下なのに足の裏のロゴが最高に嬉しかった。 その内消えてしまうのだが、できるだけ消えないように土踏まず側にロゴが来るようにいつも気をつけていた。
 上位ブランドのKENTのボタンダウンシャツは襟後ろのボタンが無く、本家とほんの少し違った。 この時[差別化」という戦略を知った。
 ボタン類の糸使いが「二」ではなく「×」であるのも微妙な違いだったが、「本物志向」というのを知った。
 
 今でも私のファッションはこの時代が基本となっている。
 当時は子供向け「VAN MINI」「VAN BOYS」というブランドもあり、自分の子供ができたらこの路線でお洒落を教えようと思っていたのに残念ながら今はVANは無い。
 もちろん商標自体は生き残っているのだが、もう私にとって今のVANはブランドではない。
 
 VANが倒産する数ヶ月前、ふと買ったボタンダウンシャツがコットン100%では無くなっていた。 袖を通した時に気付いたのだが、とても残念だった。 でも袖を通しただけでそれに気がついた私については少し嬉しかった。
 
 私のファッションの生命線とも言えるボタンダウンシャツはその後J.PRESSに落ち着いた。 これもかつてはアメリカの洋服店の名前だったのに、いつのまにかレナウンの国内ブランドになっている。 かつてのVANのような商品だけにとどまらない文化の広がりも無い。 そして少しづつ生地の耐久性が落ちて来ている。
 高くても長持ちする、というのがブランド品の良さだとすると残念だ。
 
 VANについての思い出や謝意は限りなく溢れて来るので切りがない。
 ただ、今は私がドブネズミ親父にならないよう救ってくれた石津氏の冥福を祈りたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

首相は靖国参拝を止めよ

 どうやらまたまた日中の外交がおかしいようです。

 前回の反日(抗日)デモはどうやら中国政府が主導したという線が濃厚になって来ています。 ただ、欧米から予想外の批判があった事は意外だったようで、おかげで今度は逆に火消しに回ると言う状態に落ち着いている様子。

 これで感じたのは中国も日本と同様、外交が下手で、かつ欧米の動向を非常に気にする、という共通点でした。
 今回の中国側のドタキャンも恐らく世界中が「?」でしょう。 いかにも下手。

 では翻って日本はどうか?
 もともと外交下手では定評がある国ですが、他国からの要求に対して「内政干渉」と言っちゃおしまいでしょう。 もともと他国への要望を伴う外交は全て内政干渉であり、それを理由に否定してしまうと親善訪問以外は外交なんてなりたたない。 これも不味いなぁ、と、いわゆる「どっちもどっち」というところです。

 最近、中国や韓国の反日主張に対し、ちゃんと理論的反論をした上で毅然とした態度を取るべきだ、という論調が日本に増えて来た様です。(月刊誌WiLLなど)
 これはこれで、これまで中学からの左翼系教師と朝日新聞で鍛えられて来た私にとっては、新鮮な主張でありなるほど、と納得する事も少なくありません。

 一方で最近、中国・韓国は領土や戦争責任の主張は徐々にトーンダウンし、首相の靖国参拝に的を絞っているように思えます。 これは先に書いたそれまでの反日主張に思った程他国からの支持が得られない事からの修正と私は捉えています。
 領土や戦争責任は国際法廷に持ち込む事も可能であり、実はそれは中国・韓国にとっては望ましくないらしく、それならば、と過去に第三者判定の経緯が無く、しかも特に他国からは理解しにくい(つまり大きく取り上げられにくい)日本の信仰を狙おう、という事かもしれません。

 この仮説が正しいとして、さて日本の首相はどう対応するべきでしょうか。
 私は参拝すべきではないと考えます。 これを屈辱的外交、一つ譲れば次が来るぞ、と指摘されるかもしれませんが、祈りは気持ち一つでどこでもできるし、アピールが必要であればかつてそうだったように遺族会の場に出席すれば良い。 そして反省は終戦記念日で示す事ができます。
 領土については簡単に譲れる事ではなく、これはお互いに本音ではよくわかっており、歴史認識、教科書記載については今後両国の関係者で時間をかけて調整しようと言う動きが出ているのを考え合わせると、首相の靖国参拝はそれほどこだわる問題なのだろうか、と私は思います。
 また欧米を始めとする他国もおそらくはこの問題に日本がどう対処するか、大いに注目しているでしょう。
 日本が日中韓の狭い視野のみで行動すると、世界からは「やっぱりどっちもどっち、所詮東アジアはそんなもの」と冷笑されると私は予想します。

 私自身は日本の国連の常任理事国入りをそれほど評価していませんが、日本が国策としてそれを狙うのであれば、首相独りの意地(もはやそういうレベルとしか取れない)と、どちらが秤で重いのか。  今は動きが見えにくいアジア各国が今後中国の画策によりどこまで日本にネガティブに移行するかを考えれば答えははっきりしています。

 首脳陣のドタバタ帰国までやらかしてしまうほど中国がこだわっているのであれば、ここは「毅然と」参拝しない、というのも胸を張った対応と言えるのではないでしょうか。 反り返って威張り散らかす事だけが「毅然」では無い筈です。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

ラスカルの初回放送

 何故か話はアニメに突然飛びます。

 

 たまたま今日は授業も無く、昼過ぎにテレビをザッピングしていたら幸運にも「あらいぐまラスカル」の初回放送にキッズステーション(CATV)に出くわしました。

 これが最初に始まった時には私は既にアニメを見る年ではなく、キャラクターとしての存在しか知りませんでした。

 ところが、数年前にCATVで再放送が始まり、当時は19:30からの放送だった為NHKのクローズアップ現代を諦めてまで家族ではまったのでした。

ruscal おかげで北海道に行った土産には北海道でしか売っていない「北海道ラスカル」(麦わら帽子をかぶってラベンダーを集めているのだったり、リュックを背負ってその中にカニの友達が入っていたりする)を子供達に買って来たりと、いまさらのラスカルファン一家だったりするのです。

 ただ、その時は気付いた時には2話くらいからで、初回を見ていませんでした。

 猟師に母あらいぐまを殺されて、残ったラスカルを育てた、という話は聞いていたのですが、これは良いチャンスと見てみると...

 確かに母あらいぐまは猟師に殺された。 が、それは主人公の飼い犬が大木の根元に営巣していたあらいぐまをみつけて掘り起こした結果、子供を守ろうとして母あらいぐまが飛び出した結果であって、そんなことをしなければ少なくともあの時母あらいぐまが殺される事は無かった事が判明。

 「大人ってひどいことするよな」と主人公の友達が声をかけていたが、その前にお前らが酷い事してるんだろうがぁ!と叫びはしなかったものの一人突っ込む事しきり。

 「大丈夫、育ててみせるよ」と主人公が愛しげにラスカルを抱いているのは良いけど、その前に母親が殺された原因を作った事を詫びろよ!、とも。

 まぁ、どうでも良い事なんだけど、結局は人間のエゴなのかなぁ、と思い、もしそれを全話通して訴えようとしているのならさすが世界名作アニメってわけか、とも思えますけどね。

 

 でもこれを子供達とライブで見ずに良かった。

 もし見てたら子供の前でこういうコメント出しただろうし、そうしたらさらに子供が偏向していたと思います。

 ま、可愛いんですけどね>あらいぐまとかレッサーパンダとか。

 でも、あのアニメを見て気軽に「実は凶暴な」あらいぐまを飼って、手に負えなくなって手放すというニュース等を聞くと何とも複雑な気分...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

男のあり合わせ料理

 料理ネタを続けます。

 今では別に男性の料理は珍しくもないと思います。
 ただ、どうしても料理の本やレシピを見ながら、というのが多いので、材料を完璧に買いそろえてというのが多いのではないでしょうか。 肉じゃがに「糸とうがらしはどこで売っている?」とか。
 この点、主婦の料理は冷蔵庫やストックの材料から何かを適当に作り、それがそこそこ旨い、という点で男がかなわない部分だと私はずっと思っていました。

 私が完璧に作ったつもりのカレーが、目分量で作った家内のカレーに子供達の判定で負ける、というのにもどこか共通しているのかもしれません。

 ただ、女性もあり合わせ料理には頭を悩ませているようで、ある日家内が図書館から「すてない!むだにしない!材料別使いきりおかず」(ISBN4-14-646192-8 ¥1,500)という本を借りてきました。
 これはNHKが「きょうの料理」という番組の一環で発行したもので、材料別で料理が検索できるようになっており、例えば昨夜の料理も冷蔵庫を見て「えのきが残っとるなぁ」というわけで「えのきだけ」で目次を引き、「えのきだけの中華風スープ」というのになりました。
 「ほうほう、生椎茸、ある。キクラゲ、ないけどエリンギで代用するか...」
という具合です。

 年代的に食い物を捨てるのは非常に抵抗がある、もったいないお化け信奉派ですのでこの本はありがたく、幸いNHKのサイトを見るとまだ販売していたので即買い求めました。
 内容的にはちょっとひねった新しい献立が中心となっているので、もともと婆の味中心の私にとっては新鮮なメニューを提供する事ができて、重宝しています。

 とは言っても二日連続で晩飯を担当すると正直疲れますね。 明日は学校なので恐らく作れないでしょう...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

深夜の料理

 ちょっと重くて陰鬱な話題を続けたので、軽い話を。
 よく深夜に料理をします。
 先ほどもAM1:00頃から千切り大根に鶏肉と大根の葉、厚揚げを加えた煮物を作っていました。

 もともと料理は嫌いな方じゃなかったのですが、共働きで子供を保育園に預けるようになってから否が応でも本格的に調理しなくてはならず、その時に目玉焼きと焼き飯レベルからは卒業しました。
 それと、息子や娘に男は家事をしないもの、という風に思わせたくなかったというのもありますね。 さらには家事全般を女性に頼らないと何もできない男にはなりたくなかった、というのも。(とはいえ、今でもアイロンがけは苦手)

 最初の頃は洋食中心でしたが、そのうち昔祖母が作ってくれた煮物や焼き物が食いたくなり、そういうものを好んで選ぶようになりました。 私の両親もこれまた共働きだったもので、同居家族だった我が家の「お袋の味」というのは実は「婆(ばば)の味」なのです。
 この婆様というのが凄い人で、自分は一切牛乳や肉を食わないくせに、美味いカレーやシチューを一切の味見無しに作ったと言う、今思い出すと信じられない人でした。 何はともあれ、その婆が作ってくれた昔から日本にあるプロレタリアート料理、例えば先ほど作った千切り大根、キンピラごぼう、豆、昆布の煮物、単にキュウリの辛子漬け、焼き茄子、などなど、あぁ、そいうのも食ったなぁ、というのを思い出しつつ、近所のスーパーに買い物に行く事から始めます。

 仕事が不規則なので、専門学校に行かず、かつ外での仕事が無い時には私が料理当番で買い出しから料理までを行います。 時々、主婦に混じってのスーパーでの買い物が嫌だという男性の声を聞きますが、確かに多くのおばさんや非常識な若奥さんを鬱陶しくも思いながら、それでも彼らは動きの鈍いおっさんよりはましだったりします。 足腰弱ったおばあさん程不思議な程他人に邪魔にならないように買い物をしているもので、さすがの年季と感心します。
 要するに毎日の買い出しなんてなんて事ないのです。
 「クレーマー・クレーマー」の主人公になったつもりでもなり切って、「そうそう、あっちからカメラが狙って」と思えばこういうベタな家事もまた楽し、と。

 で、深夜の料理の話。
 そうやってスーパーで煮物や焼き物の材料を買っておいたのを、ふと12時近くになって思い出すのですね。これが。
 私は事務所を自転車で5分くらいのところに持っており、その時間くらいに出勤して朝まで仕事、というのが翌朝学校が無い時のパターンという不規則な仕事をしています。 多分心の奥にそれに対する逃避心理があるのでしょう。 とにかく買ったままの材料を思い出すと「あれを片付けねば」と突如決心する訳です。
 料理と言えば家族の為。 家族の為であれば何を差し置いても、例え仕事を差し置いてもやらねば、という大義名分が成り立つのでそのままタバコを握って夜中のキッチンに立ちます。 その為に結構苦労して探したスヌーピーの紺色のエプロンもあります。(高校生時代、喫茶店でバイトしていたのでエプロンには結構うるさい)
 当然酒の一杯もつけないと夜中の男の料理は成り立たないので、料理が終わった頃には事務所には行けなくなり、そのまま寝る事となります。

 と、まぁ、そういうやましい心理だけではないのですが、誰にもせかされず夜中に作る料理は失敗する事はありません。 最高の出来です。 でも翌朝以降、家族はさも当たり前のように普通に食って終りです。
 やっぱり家族に虐められているのかな>自分
 あと、夜中のキッチンに音楽があれば最高ながら、残念ながらさすがにその時間に流す訳にも行かず、これはちょっと残念。

 夕方に調理する時には、梅田FMという大阪駅前に本拠を構えるコミュニティFMか、Fallingstarsという韓国のインターネットラジオを聞いており、これはなかなかのものです。

 家族に虐められているかもしれない憂鬱と、音楽に関する話はまた今度。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

なぜ乗り合わせたJR運転手は立ち去ったか?

 たまたまJR西日本の脱線事故のコラムが続きますが、別にそういうサイトにするつもりは無く、本来はもっと気楽な話題を書いて行くつもりです。
 ただ、JR発足後ずっと関係者の間で指摘されて来た事が最悪の事態という結果で現れたということをつぶやきとしてでも残しておきたいという気持ちです。
 
 私の父は旧国鉄職員でした。 いわゆる中間管理職と言う立場で、最も労使紛争が激しかったときの現場の仲裁役という激務に追われ、過労による肝硬変で急死しました。 今なら恐らく公的な過労死認定でしょう。
 その父がずっと可愛がっていた部下の方々が今でも年一回、仏壇に手を合わせる為に母の家を訪れてくれます。
 私も時々その場に参加しますので、いろいろと話をさせて頂くのですが、JR化以後の労働管理は非常に厳しく、「いつかえらいことになるで」というのがいつもの結論でした。
 もっともそれは在来線ではなく、新幹線ののぞみが脱線して未曾有の大惨事、という予測だったのですが、形は違えど、二十年近く危惧し続けて来た事が実際に起こると、部外者ながら何とかならなかったのかという気持ちになります。
 
 事故列車に乗り合わせたJR運転士が救助活動をせずにそのまま立ち去って所定の勤務についた事が報道され、人格を疑うという献花者のコメントも併せて流れました。 さらにそれぞれの反省文が原文のまま新聞やテレビで伝えられると、まるでギロチン処刑前の口上文読み上げのように私は感じました。
 確かに彼らの行動は非常識だった。
 しかし彼らは本当に人命よりも仕事を優先する様な冷血で思慮の浅い人たちだったのでしょうか?
 一人ならともかく、二人揃ってそういう非社会的な人物であったとは考えにくい。
 
 それでも出勤せざるを得なかった事情は、つまり出勤しなければ彼らもまた管理側から処分されるという恐怖があった訳です。 通常の会社では欠勤に相当しますが、人手が無いからこの電車は運休とはいかないのが運輸業の宿命です。
 もちろん不慮の事態に備えて予備の人材も待機させてはいますが、何事も無く推移すれば彼らの勤務は経営者側から見ると無駄な費用となり、できるだけ予備配置は控えようと考えるのが自然です。 もしあの日、他のトラブルで既に予備要員が出払っていたら運休という最悪の結果にも繋がりかねません。
 そうなったら利益を第一の目的に掲げていた会社側は休んだ運転士を許しはしないでしょうし、常日頃からそう言い含められていた筈です。
 
 一般の方はどう思われているか知りませんが、鉄道車両の運転士というのは想像以上の責任感とプライドを持っているのが普通です。 それが裏目に出たのが脱線事故を起こした高見運転士の行動であり、現場から立ち去った運転士二名もまた、「自分のせいで電車が走らず、多くの人に迷惑をかけたら」とも考え、またその結果、誇りを持っている運転士職からおろされたら、と考え、断腸の思いで業務を優先したのだと私は想像します。
 つまり、他人の命を奪う事も無く、自分の命も無事ではあったものの、高見運転士と同じ極限的精神状態に置かれていたという見方もできる、という事です。
 それほどの責任感とプライドが無ければ安い給料で運転士なんて激務ができるか、というのが父の部下の本音です。
 
 また、電話で事故の報告を受けながら敢えて出勤を指示した当直の上司も立場こそ違え会社の方針と言う重い重圧を受けていたとも言えます。
 この点では最初は運転士の乱心と捉えられていた報道が、会社の常軌を逸した労働管理に根本原因があるという風に比較的早期に論調が変わった事は評価できると思います。
 
 しかし、なぜJR西日本はそこまでの厳しい管理を敷いたのか?
 私は旧国鉄時代の仕事自体が悪である、といわんばかりの行き過ぎた労働組合運動にあったと私は捉えています。
 あの時代に経営側は労働者不信となり、手綱を緩めるとまたあの悪夢が蘇る、という強迫観念に似た認識があるのではないかという訳です。
 
 国鉄民営化の時、当の国鉄職員達はこれが徹底的な組合潰しであると捉えていました。
 組合闘争に父を殺された私としてはこれをはっきり評価しています。 あれは既に労働者の権利を守る為の団体ではなく、公的運輸業に巣食う政治的、思想的な癌でしたから。
 しかし、一方でもしそれが経営側の過度の労働者不信を生んだとすれば、数十年の時を経て今、亡霊のように惨事を生み出す為に表に吹き出したようにも見え、何ともやるせない気持ちになるのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

軽量鉄道車両は悪か?

 JR福知山線の脱線事故をきっかけに鉄道の軽量車両に対しての批判がマスコミを賑わせている。
 これで思い出したのがマスコミ、特に新聞記者の自動車オンチだ。

 どういうわけか、特に大新聞の記者は自動車技術に対してあまり理解が無い、と自動車関係者の間で言われ続けている。
 もともと彼らは自動車イコール悪、という考えがあり、時代は変わってさすがにそういう前時代的な感覚は無くなって来てはいても、どうもその流れが根底にまだ残っている様な気がする。

 話を鉄道に戻すと、今回脱線した車両は確かに全鋼鉄製に比べると重量は軽いが、だからといって華奢というわけではない。
 まさか銀色の車両だからあの車両をアルミ製だと思っているのでは?と勘ぐりたくなるが、実際はステンレス製であり、これはれっきとした鉄だ。 従って強度は基本的には同じと言って良く、材質自体の重さは鉄板のそれと大して変わらない。
 車両の軽量化は例えばそれまで動的負荷負担を全く持たなかったボディに自動車のモノコックボディのように一部車両強度を負担させる、と言った設計の進歩により稼いでいるのだ。

 仮にあの脱線車両が従来の全鋼製であったとしたらあれほど壊れず、犠牲者の数は減っただろうか?
 いずれはコンピュータによるシミュレーションテストも行われるだろうが、私は大差ないと想像している。
 ボディが重い事により車輪がレールより離れにくくなったとしても、逆に慣性により、より早期に、また遠くへ飛ばされる事も考えられるからだ。 また、ボディが重い事は重心が高くなる事も意味しており、より低い速度での転覆が危惧される。

 動く事が使命の乗り物は常に重量との戦いを強いられている。
 軽ければ移動に必要なエネルギーを節約できるし、止まるのも短い距離で可能、方向転換も素早くできる。 それらは全て地球環境保全に直結する。
 人命を顧みても、短い距離で停止可能であることは決してマイナスではないし、何よりより速く目的地に到達できることは人類の永遠の追求テーマなのだ。

 自動車例にとれば、最近こそ側面衝突対策で徐々に重くなって来てはいるものの、同程度の強度と衝撃吸収性能を昔の技術で得ようとすれば数倍の重量になるだろう。 つまり相対的に自動車も飛躍的に軽量化されているとも言える。
 交差点でいつ横っ腹に突っ込まれるか分らない自動車に比べ、鉄道車両のその可能性が如何に低いかはどのような研究を持って来ても明らかだろう。 恐らく現在、日本では人が乗る鉄道路線で交差点の様に直角に線路が交わるところは無い。
 それらを考えると、今後は側面からの衝撃も考慮し、より鉄道車両を堅牢化させるべきだという論調には賛成しかねる。
 既に鉄道車両は踏切で立ち往生してるダンプカーに正面から衝突しても粉々にはならないだけの強度を数十年前から確保しているのだ。 それだけの強度を持つ乗り物が船舶以外にあるだろうか?
 仮にびくともしない車両を作っても、管理面で追い詰められた運転手が存在する限り、また同じ悲劇は起こるし、衝撃吸収性がないので中に乗っている人間に加わる衝撃はむしろ増加する可能性もあるのだ。

 既に専門組織による科学的原因分析は始まっているが、それには一定の時間がかかる。
 それを待たずに、中途半端な知識で書かれた記事を鵜呑みにするのは考えものだと私は思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

取りあえずはじめてみました

専門学校の非常勤講師をしている関係で学生のBBSやBLOGをよく見ますが、自分のは無いという状態でした。
日記なんて生まれてこのかた続いた事が無いので毎日更新なんて事は無理ですが、思いついた事を整理して書いて行ければ、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2005年6月 »