老兵再登板

 老後のために取得しておきたい資格、に備えた370ページにも及ぶ教科書を深夜のGSバイトに持参するようになると、それまで当たり前だったMacBook Pro.が背中に重く感じるようになりました。
 教科書を一度は読破しておきたく、そうなるとしばらくの間MacBook Pro.はいらないかと。
 ネット接続はiPhoneで可能ながら、あれこれメモとか、このblogのための文字書きとかはしたい。 だがしかし、iPhoneでの長文入力は嫌だし、無理して親指の腱を痛めたくもない。

 で、ふと思い出したのは、大昔、VAIO typeU用に購入した折りたたみキーボード
 相棒のtypeUはとっくに消えたけど、こいつはまだどこかにあったはず...と探したらありました。 電池を抜いていたので特に問題もなさそうで、iPhoneと問題なくペアリング完了。
 さて、これっていつ買ったのかな?と日付を見たら11年前。 相変わらず物持ちがよろしいようで...
 
 試しに昨日あげたテキストの下書きをこいつでやってみたところ、まずまず問題なく使えました。 辞書が愛用のMacのものとは全く違うのでそこをがかなり痛いかなと思っていたら、よく使う固有名詞などを除けば意外と大丈夫。
 
 ただ、これはキーボードの問題じゃないけど、推敲にはあまり向いてないというか、実際、昨日のテキストも、後で読んでみると似たような文脈を二度繰り返しています。
 これ、脳内では書いた記憶があるのに、画面でさっと見つけられなかった。 つまりは画面の狭さ故かもしれません。
 とはいえ、11年前にも書いている通り、「本体よりはまし、本体よりはまし」ということで。
Keyboard


※以下加筆...

 自分で貼った11年前のリンク先を改めて読むと「キーボード内蔵のスタンド」という下りがあり、はて?これはなんだったっけ、と後で改めてキーボードを手に取って見たら。 あ、こういうことだったのか。
 さすがに忘れるわなぁ... というか眺めて見ても綺麗な作りなので、引き出し可能なスタンドが入っているとは気づきにくいという。
 これなら、上の写真のように別途iPhoneスタンドを用意しなくて良いということです。
 
 この製品、今では3000シリーズになって...、と念のためメーカーサイトを見たら、もうほぼほぼ販売終了のようです。 なんか残念。
Keyboard_2

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ワコールの謝罪のいやらしさと本質

 またか、といささか辟易してしまうのがワコールの広告謝罪
 その中で最も嫌悪を感じたのは、女性の腕でもなく東北美人でもなく、「広告代理店の発案で」という言い方。
 いやさ、あんたたちの代わりに広告を引き受けるから代理店なんであって、故に発案をするのが代理店なんだから当たり前だろうて。
 そして代理故にしつこいほどの会合を重ね、依頼側の承諾印をもらって仕事が成立するのも代理店なわけですが、この言い方だと素人は「広告を一切任せていた代理店が勝手しまして、いや当方も困惑しております」と取れます。

 ほれ、あの数年前、新人アイドルグループに窒素ガスを吸わせ、そのうちの一人を殺しかけた事件。 あの時、テレビ局は下請けの制作会社がやったことでして的な謝罪をしてたけど、つまりは大手はみんなこうなんだな、と。

 いえ、問題の本質はそこではありません。
 東北美人はともかく、モチ肌の女性に抱かれている、という表現はそのレベルはともかく、ごく普通の比喩が存在できなくなるという懸念です。
 これって女性が主体だったから問題を論われただけで、別の商品に「逞しい男性の腕に抱かれているかのような安心感」という表現が用いられていたらどうだったのでしょうか。

 本来言葉では伝わらない感触、例えば質の良いシャツに腕を通した時の感触。 これをどうしても他人に伝えたい時には言葉に頼るしかありません。 そこで我々はさまざな方法を駆使するわけで、例えば比喩は重要なツールの一つと言えます。 それがたまたま女性に抱かれたような、という比喩を用いただけで「女性をモノ扱いしている」と?
 もう、言葉狩りですね。
 この人たち、「逞しい男性の腕に守られているような安心感」という表現にはどう対応してくれるのでしょうか。 男性は放置?
 
 「熱き血潮のような赤」→「残酷です!」
 「天気が良くて気持ちがいい」→「日光に当たれない病気を持った人の気持ちは?」
 「清水の舞台から飛び降りる」→「真似する人が出たらどうする!」
 「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」→「子供に誤った物理原則を教えないでください!(え?そこ?)」
 
 この人たち、和歌の会で「たらちね」という枕詞使う人に「なんて恥知らずな!公衆の面前で女性の劣化した容姿を語るなど!」と、いつか言いだすんだろうなぁ、
 
 あほかい。

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WordPressとcss

 とはいえ、少しは具体的なWordPress感想も残しておかないと。
 
 と、今更WordPressって特に新しくもなく、もう7〜8年くらい前に卒業した学生が「これからはWordPressですよ〜」って久々に会った時に言ってたくらいです。
 個人のblogはこの@niftyを使ってるし、仕事では使うこともなく、たまに雑誌や書籍見ながら、へぇ、基本はphpなのか、程度でした。 ならいざとなってもなんとかなるか、と捉えていたのは事実です。
 
 で、今回初めて本格的に触って見たところ、いや〜、phpというよりこりゃcssカスタマイズの塊だな、と感じました。
 制作目的は個人的なものなので、クライアントから素朴かつ難解な要望も無く、DB周りのカスタマイズはゼロ。 故に現時点でphpを編集したのは一箇所のみ。
 それ以外は全部cssで、なんか今時のweb仕事でただ一つだけ技術を選べ、と言われたらhtmlすらさしおいてcssと言っても過言じゃないような気がしてきます。
 
 ところがご存知のようにcssは上書き自由、なんかそこからかしこに思いつきで加筆とかしても、とりあえずは意図通りになる(なったように見える)ので、あとから矛盾が出た時にそのデバッグが大変だったりしますね。
 それから、いつのまにか次から次へと新しい命令やらプロパティが生まれてて(いや、少なくとも私にはそう見える)、え、今はこれだけでこんなことができるの?、と戸惑うことも一度や二度ではありません。

 ただ、当たり前と言えば当たり前ながら、基本タグだけはcssで置き換えることはできず(それすらよく探せば可能なのかもしれないけど)、上記、一箇所のみのphp編集は、「なんでここがpタグなんよ?」という部分をh3とかへの書き換えでした。
 レシポンシブについては、最初から対応済みのテーマを選んでいるので、若干の不満はありつつ、これも手間要らず。

 Museと一緒で、うるさくないクライアントというか、詳細お任せものなら仕事でも楽勝かな、と。 いや、その道のプロなら難しい要求すら解決するでしょうから、かなり以前から人気なのも今更ながら頷けました。
 
 さて、コンテンツの設計をしないとな...

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EC-CUBE3のあとはWordPressかい

 EC-CUBE3の構築が一段落し、本当はこうして落ち着いたところでtwig/Symfony2についてじっくり学ばないといけないのですが、仮にも一旦完成を見てしまうとすでに次の新しいことを探してしまうというこの性、思えば子供の頃から変わっていません。
 
 小学生時代、プラモデル作りに狂っていた私は、お年玉やら誕生日のプレゼントなど一瞬で使い果たし、一生のお願いもすでに年間で数生涯消費、それでも新しいプラモデルが欲しかった、今から考えるとちょっとネジの外れた子供でした。
 お店から買ったばかりのプラモデルのパッケージを腕に抱えて家まで帰る時の幸福感...
 そして家に帰って箱を開けてからの完成までの至福の時...
 
 だがしかし、完成してしまうとそれまでの愛情は何処へやら。 いや、少々誇張してしまいました。 実際には数日間は完成したプラモで遊んだり、鑑賞したり。 が、同時に、「次」を探し出している自分に気づきます。
 まぁ、親やそれでもこれだけ狂ったように創作意欲を次から次に沸騰させる子供に夢を投影したんでしょう。 こいつはひょっとしてすごい偉人になるのではないか、と。 全てとは言わないまでも、かなりワガママを聞いてもらいました。
 その結果、その子供はどんな偉人になったのか。

 大したこと、おまへん... いやほんま全然。 天国の父や母、ほんっと! すんません。 あの世に行ったら土下座して謝ります。
 
 閑話休題、Twig/Symfony2もそこそこに、昔の@niftyのフォーラムみたいなものを作りたくなって、突然WordPressに手を染めることに。
 正確にはWPのプラグインであるbbPressの作り込みが主なのですが、とりあえず半月ほどで機能面が完成。 あとは本来のコンテンツを盛り込んで...という段階になってまた悪い癖。 なぜかそこから制作が進まない。
 
 いや、これはこれで絶対に完成させます。 なんだけど、老後の生活設計のために取得しておきたい資格を見つけたりして、それは二年前に合格した危険物乙4よりも一段難しいということで、この夏は真剣にこれに賭けたいな、と新たな決意。
 と言えば聞こえがいいけど、結局中二病どころか、小学生の頃のあのプラモデル狂いの日々と同じじゃないかと密かに困惑。
Wp

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国分というアニメの教師が偉大

 もう十年以上前、理想とする男性像はパトレイバーの後藤課長でした。 そのうち歳を取って、老年期には攻殻機動隊の荒巻で、とここまで生きてきました。(あ、実写版の荒巻はクソです。あくまでアニメ版の方)
 
 そんな中、最近新たに「こいつ格好エエ...」と唖然とするおっさんを発見。
 それは「三月のライオン」の二期に登場する国分という教師。
 この作品、本来は将棋がテーマなんだけど、将棋に全く疎遠な私でも十分楽しめる、様々な人模様を現した傑作です。 その一つが中学でのイジメ。 最も生徒が頼りにするはずの担任すら「面倒を起こさないでちょうだい」と逃げる中で、最終的に登場したのがこの学年主任なんだけど、こいつがブレない。

Kokubu

 風体ははっきり言ってダサくて、下手するとヒール役でもいいくらいのアピアランス。 が、この独断と偏見に満ちた私ですら、生徒の気持ちを慮りすぎて言葉に詰まったり濁らせたりすることが多い昨今、この国分は迷いがない。

 いじめの張本人の親が、「うちの娘がいじめたという証拠があるんですか?」と自信たっぷりに詰め寄るのに対し、「証拠?そんなものはありませんよ」と突っぱねる。 「強いて言うなら、いじめられたという生徒のSOSが証拠です」と続け、これに対して「証拠もないのに!」と居丈高に攻める母親に、「じゃ、おたくの娘さんがいじめていないという証拠があるんですか?」と切り返す。
 
 かっけえ〜〜〜
 証拠がないからとのらりくらり逃げまくる、どこかの国の政治家や官僚エリートに見せてやりたい。
 
 まぁ、これだけだとフィクションに有り勝ちな勧善懲悪で終わるんだけど、その後、謝ったんだからもういいでしょ、と開き直るいじめた生徒を呼び出しての個人懇談。
 「先生に私の気持ちなんてわからないよ」
 そうそう、これね。 一見心情の吐露に見えるんだけど、単なる必勝セリフ。 ところがこの教師、
 「うん、だから今聴いてるんだよ。話そうぜっ」
 と切り返して王手。

 いじめた側を単に悪者として突き放すのではなく、指導も忘れない。 しかし相手の甘っちょろい話法に一切ブレない。
 揺るぎないのである。 

 非常勤とはいえ、二十年以上も教職を続けていると、時に何かを悟ったような気持ちになることがあります。 しかしそれは時に危険なことで、より学生の側に立った判断を心がけねば、とも戒めるようにもしています。
 ただ、それはともすれば切れ味の鋭い判断と言葉を鈍らせ、結果として相手に通じないことも経験しています。 そんな中で見たこの学年主任の迷いのなさ。
 
 う〜む、知り合いが徐々に定年だ、早期退職だと言い出す歳になっても、まだ目指せる理想像に出会えたのは嬉しいし、だからアニメ(というが原作は漫画だけど)はやめられない、というわけです。
 
 てなわけで、年齢順に並べ替えると、後藤→国分→荒巻、ということで...
 
※引用:NHK 三月のライオン二期 13話

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「覚えてない」の不誠実

 超エリートが国会の場で「知らない」「覚えてない」「記憶にない」と連呼しています。
 狡猾というのはこういうことです。 「右だ」「左だ」と言ってしまうと、あとで真実が明らかになった時に嘘をついたと責められる。
 が、記憶にない、と言っておけば、事実が後から出て来ても、「思い出しました。確かに右でした。」なら、少なくとも嘘をついたことにはならない、と。

 私は一度だけ、見回せば東大を筆頭に、一流大学出ばかりの中で仕事をしたことがあります。 そして嫌味抜きで、なるほどこいつら判断力、記憶力、仕事量など半端ない実力の持ち主である、と痛感させられました。
 思い出したくもない、結果、私は無能と判断されその仕事のメンバーから追い出されてしまいましたが、それも納得せざるを得ない実力差でした。
 
 ゆえに官僚においても筆頭の、トップクラスに上り詰める人間が「覚えていない」などあり得ません。 話の内容は全て、もしかすると会った人間の名前まで全て覚えていても不思議ではありません。 だって、彼らはそういう並外れた記憶力を頼りにこれまでのあまたある試験をパスして来たわけですから。

 にもかかわらず、とりあえず知らぬ存ぜぬ、後からつつかれたらごめんなさい戦法。
 この人たち、子供はいないんでしょうか。 自分の子供にそういう自分の姿を見せて恥ずかしくないんでしょうか。 あるいはおそらく優秀であるその子孫たちはすでにそれはのし上がるための必要悪と心得済みなのでしょうか。
 忖度があったなかったの話ではありません。 人として、また、いやしくも国民の税金で運営されて来た大学で学んだ者が取る態度ではないでしょう。
 
 別の組織とはいえ、道徳教育もこういう人たちの同類が中心になって進めていると想像すると、そりゃ誰もついてこないよ、と呟くしかありません。

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やっぱりMacBook Pro.2016は不良品だったか

 Yahoo!で、MacBook Pro.2016年モデルのキーボードの不良率が突出している、という記事を見つけました。
 それでああやっぱり、と納得した次第。
 
 このモデルに当たった学年はこの春卒業しましたが、彼らのキーボード不良が半端ではありませんでした。 正確な修理記録は手元にないものの、この学年の1/4〜1/5くらいは罹災したんじゃないかという感じです。 中には二度も修理に出した不幸な学生もいました。
 最初のうちは取り扱いが雑なんだろう、程度に考えていたものの、あまりに頻発するので、何かあるなと思うようになりました。 でも修理窓口ではいわゆる不良品的な公式情報はないということで、なんだろうなぁ、とモヤモヤしていた一件でした。
 不思議なことに翌年の、つまり2017モデルだった学生間ではキーボードトラブルはグッと減ったことで、やっぱり不良品だったわけです。

 タチが悪いのは、この修理に要する期間が長いこと。 可能な限り授業に差し支えないように、外付けキーボードでしのぎつつ、夏休みなどの長期休暇前に修理に出すように工夫もしていましたが、休みが明けてもまだ修理が終わらないと言う有様でした。
 また、修理といっても、MacBook Pro.のキーボードは単体で交換できるような構造ではありませんから、最悪本体ごと交換、つまり事前のデータバックアップ作業も伴うのでさらに面倒でした。

 費用は学生が入っている保険で賄えたから良いようなものの、学校側はスペアのノートマシンを確保し続ける必要があったり、ストレスと手間は赤字です。
 あ、そうそう、その間代理外付けキーボードとして活躍した純正bluetoothキーボードも、キートップが複数剥がれたりと耐久性の低さが目立ちます。

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吉田美奈子+渡辺香津美がすごい

 一ヶ月ほど前、たまたま妖怪人間ベムの再放送が録画されていたので、飛ばし飛ばし再生。 初放映は1968年ながら、これは2006年に放映された新しい方。 とはいえやっぱり古い。 新しい方とはいえ12年前ですからねぇ...、と物語も終えてED(エンディング)が始まった。
 するといきなり別次元の格好良い曲が。
 
 いや、なんだこれ、アニメのエンディングレベルじゃ無い。 誰だこの静かで格好良いギターは。 あああ、この声もどこかで聞いた声だ。
 と最後までテロップ見たら、歌が吉田美奈子、作曲が渡辺香津美の「八月の永遠」という曲でした。
 
Justice_of_darkness うわわわ、これはすごい出会いだ、iTunesストアで買わなくては、と早速検索するも、未販売。 え?じゃCD?と検索するも、どうやらアルバムで収録は無いみたいで、当時のマキシCDが一万円以上のプレミア価格で出てるだけ。 あ、いや、さすがにそれだけ出すのは...とあがくと、ありがたいことにYouTubeにあがってました。 うん、いくら絶版とはいえ著作権的には問題あるだろうなぁ、これ。
 でも音質も悪くなくて、改めてゆっくりと聴くことができました。

 やっぱり凄いこの二人。 渡辺香津美が複雑なコード進行の曲を書けば、それをことも無げに自分のスタイルで歌いこなす吉田美奈子。 この季節の夕風呂に最高です。
 
 良い曲となかなか出会えないなぁ、とぼやく中、こうした出会いがあると、素直にあぁ生きててよかったと思うのでありました。 その一方で、どこに良い曲が潜んでいるか、誠に油断できない...

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旧優生保護法-生命の選別は誤りなのか?

 強制不妊手術の実態と共に、旧優生保護法というのがさも悪魔の法律であるかのような扱いで、国連機関からもそれを後押しするような指摘がでたことで、世論の方向はどうやら確定的です。
 また、これに絡めて、出産前の染色体検査を命の選別である、と声を大きくしている動きも感じます。
 しかし私は、あえて違う主張をしておきます。
 
 上記の論者は、人権を根拠にされています。 では精神障害を抱えた子供を育てること、さらにその子供が成人し、成長し、死んでゆくまでの面倒を誰がどうやって見るかまで考えているのでしょうか。
 たまに触れているとおり、私が今住んでいる市は、大阪府内でも比較的福祉制度が充実しているせいか複数の施設があり、日常でも彼らが単独で、あるいは付添人と共に歩いているのをよく見かけます。
 障害者と共生している、とも言えますが、そんな美談ばかりではありません。
 
 私自身、電車で奇声をあげる障害者を避けるべく、目も合わせずに静かに隣の車両に移ったところ、どういうわけかついてきて、私が降りるまでずっと奇声を浴びせ続けられたこともあります。 障害者が駅のホームから他人を突き落とし、裁判では無罪という例を思い出すと、彼らの奇異な行動に正直、恐怖を感じることもあります。

 他には、父親が精神障害を持っていたために、兄も生まれながらに精神障害を発症、本人も軽い学習障害を抱えた若い娘さんも知っています。 二人の障害者の世話に疲れた母親は、その娘に就職をさせずに彼らの世話をさせるようにしむけている、という重い実話もあります。
 判断能力が低いことをいいことに、地域のゴミのような男性たちに性のはけ口にされ、何度も妊娠ー中絶を繰り返している女性も知っています。

 また、これまでなんとか本人を支えてきた両親(主に母親)の高齢化が深刻です。
 実は私は幼い頃に骨髄性小児麻痺(ポリオ)に侵され、両親は医者から、脳性であった可能性もあったのでまだ幸運だったかも、と言われた、と後に何度も語っていました。(いえ、今でも上肢に軽い障害は残っていますから、幸運とは思えないですけどね)
 これは今とは福祉レベルが全然ちがう昭和真っ只中の話ですので、感染を告げられた両親は将来を悲観して心中すら頭をよぎった、とも言ってました。

 冒頭、命の選別が、と主張している方々は、恐らくそういう問題は社会全体でフォローしてゆくべきだ、とおっしゃるのだと思います。 が、そこそこ福祉が充実していると言われている我が市でも、みなさんなかなか大変であると聞きます。 そしてその財源の幾ばくかは我々市民の税金で賄われています。 日本全体で考えても、少子高齢者の中、どれだけ財源を振り分けられるでしょうか。

 強制不妊についてのニュースを検索してみても、元になった優生保護法が何を根拠に、つまり精神障害がどれくらいの確率で遺伝するのかが共に書かれているものがありません。 中には、戦前のナチスドイツの制度を元にしている、といういかにもそもそもが悪法であったという方向に導こうという話法もあります。
 一方で、統合失調症の遺伝というアプローチで検索をかけると、冷静な数字が上がっているサイトがあり、それによるとやはり遺伝の可能性は否定できないようです。
 先にあげた、親族の世話のために自分の夢を摘み取られそうになっている娘さんの家族の遺伝も例外では無いということです。

 以上の日々の体験から、私には旧優生保護法が間違っていたとは言い切れません。 これは現在では母性保護と改変され、本人の承諾を得て、と修正されています。
 しかしそこでさらに私が懸念するのは、妊娠し( or させて)親になることと、人権という抽象的な概念を承諾を求められる本人が理解できるかどうかです。 健常者であっても自らの人権をしっかりと理解し、その上で判断するというのは実は難しいことであるにもかかわらず、です。

 ここで思い出すのは、つい先日の精神障害のある息子を長い間檻に閉じ込めていた事件。
 この事件を「虐待」と一括りにするのは簡単です。 しかし、実はこの親は夜中に大声で奇声をあげる息子が近所に迷惑をかけていることを気にかけ、何度も市役所にこの息子の世話について相談に行ったそうです。 市はそれについて「十分な対応をしたと思っている」というコメントを出しています。 また、親族も社協に相談に行ったという報道も見ましたが、これも「対応に問題はなかった」と結ばれています。
 結果として親は自宅の檻で生かさず殺さずで「飼う」ことを選ばざるを得なかったわけです。 

 不衛生な環境中で息子はほぼ視力を失い、気の毒には思いつつ、では両親は悪魔だったのか? 本能のまま子供を作り続け、懐かないからと虐待を繰り返すヤン親と同じに扱うべき事件では無いでしょう。
 これが人権者が謳う「障害者は社会全体で受け止める」の「社会」の実情です。 その「社会」の窓口となる役所は法に則り、体良く補助を断る機関でしかなかったのです。
 
 障害児を育てる覚悟のあるものだけ声をあげよ、と偏狭なことを言うつもりはありません。 しかし、実際の社会環境を見ずに、あるいはいつ実現するかもわからない理想環境を前提に命の称賛のみを訴えるのは、むしろ無責任だと私は考えます。

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USB-CのみのMacノートはポンコツ?

 うちの学校(コース)はすべての学生にMacBook Proを購入してもらうことになっており、現在は例のUSB-Cしかないモデル。 毎年G/W辺りまでは、初期設定やら基本操作でドタバタする中、先日もワイヤレスネットワーク接続のトラブルで一悶着。

 そんな中、同僚から聞いた話が、現MacBook Pro搭載のUSB-Cが、2.4GHzのWi-Fiと干渉する、という構造的問題。 教えてもらったリンクを読んで唖然。 というか、あぁ、それで... という感じ。
 それでなくても、このCしかない今のMacノート群、単体で動かすぶんには格好良いけど、充電器やら有線Ether、USBマウス、タブレット、外付けドライブにカードリーダーなんぞを使おうとすると、不細工なアダプターが多数必要で、結果美しく無い様態、机の上やカバンの中もアダプターだらけになってしまいます。

 上記リンクのような事情を知らない間は、かつてUSB(いわゆるType-A)が初代iMacに搭載され、それまでのレガシィインターフェースが一掃されたように、やがてはすべての外部接続はCになるかなと思っていたけど、いやはや、こんな代物だったとは。
 
 私が今こうして文章を入力しているMacBook Pro.は、BTOで3GHzのi7にしたのと、ここしばらくintelのCPUの進歩が停滞しているので今でも特に遅いとは感じません。 それどころかポートはUSB-AとThunderBoltを各2基、HDMI、SDカードリーダーのタイプと豊富で、結構これは今でも悪く無いMacノートではないかと密かに安堵した、というわけです。

Usb

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